第2章 陰の世界と、化け狸の話
第4話 お出かけ日和
『今度鎌倉に調査に行くから、空いてる日を教えてくれない?』
こんなメッセージが、僕のスマホに届いた。山吹律子先輩からだ。
僕は素早く返事を打った。
『いいですけど、何で鎌倉なんですか?』
『室井くんの能力のルーツを辿るために決まってるじゃないか! そういう約束だっただろ?』
僕は目を瞬いた。確かにそういう話はしたが、こうも早く実行に移してもらえるとは思っていなかった。鎌倉にもう一度行くという発想も、僕には無かった。中一の頃の事件以降、何となく近寄り難く思っていたのだ。
『僕のためにわざわざありがとうございます』
『いいってことよ。それより、いつが空いてる?』
『今週でしたら、土曜日なら、講義もバイトもない日ですね』
『OK、それじゃあ次の土曜の朝十時に鎌倉駅集合で』
『承知しました』
僕はスマホの画面を切ると、しばらく教室の椅子に座ったまま、鎌倉に行く日のことを考えた。これは、山吹先輩と二人きりのお出かけということだろうか。それとも、他の誰かが同行するのだろうか。
誰かが一緒だといいな、と僕は思った。だって、二人きりだったら、デートみたいで何だか気恥ずかしいというか、気まずいというか、なんというか、とかく落ち着かないではないか。いや、これはもちろん、れっきとしたサークル活動の一環であって、何もやましいことなど無いのだけれど。
さて、約束の日になった。
都内から鎌倉に行くとなるとやや骨が折れるが、電車の乗り間違えさえしなければあとはぼーっとしているだけで着く。普段、講義やらバイトやらで忙しく動いているのだから、たまにはぼんやりと息抜きしてもいいだろう。
鎌倉駅に着くと、改札の中で山吹先輩が待っていた。
「あ、室井くん。こっちこっち」
大きく手を振る先輩の今日のいでたちは、渋いワイン色のワンピースだった。先輩は頻繁にワンピースを着ているが、いつもよく似合っていると思う。そしてその肩の上では管狐が三匹ちょろちょろと遊び回っている。先輩曰く、あやかしに縁のある人にしか管狐の姿は見えないそうだ。
僕はというと、普段のよれよれの服よりはちゃんとしたものを着てきた。白いTシャツにモスグリーンのシャツを重ね着して、チノパンを穿いている。
因みに他に同行する人はいなさそうである。やはり二人きりの旅行か。僕は何となく心がもぞもぞするような居心地の悪い気分に襲われた。いや、決して、山吹先輩が苦手とか、そういうわけではないのだが。
「すみません、お待たせしましたか」
「待ってない待ってない。さあ行こうか。長谷寺……の前に」
「の前に?」
「せっかく鎌倉に来たんだから観光を楽しもう! この先にある小町通りって行ってみたかったんだよな。美味しいもんがたくさんあるんだろ?」
「あ……はい。多分」
「よし、行こう!」
山吹先輩は意気揚々と歩き出す。僕は後をついて行った。
外はいい天気だった。風が気持ちいい。そして休日の観光地らしいことに、通りは人でごった返していた。
先輩は、よく食べた。カラフルな餡子がのった団子やら、抹茶ラテやら、醤油煎餅やら、クレープやら、蜂蜜ドリンクやら、チョコレートやら。たまに管狐たちにも分けてやっている。
「管狐って物食べるんですね」
「だいたいのあやかしは食べるよ。彼らの主食は魂だから、他に食事の必要は別にないんだけど、美味しいものは食べてみたいようだね」
そして山吹先輩は流れるような自然な身のこなしで次の店に向かおうとする。
「あの、先輩」
「ん?」
「一応確認なんですけど、長谷寺には何時ごろ行くんです?」
「あぁ……まあ、そうだね。私もまあまあ満足したし、そろそろ行くか。長谷寺」
僕たちはぶらぶらと歩いて鎌倉駅に戻った。江ノ電に乗って長谷駅で降り、問題の長谷寺に向かった。拝観料を払って中に踏み入る。
「おお……」
前に来た時の記憶は迷子事件で塗りつぶされていて他はよく覚えていなかったが、確かにこんな感じだったなあ、と思い出す。境内が綺麗に掃き清められていて、池があって錦鯉が泳いでいて、長い階段があって。
山吹先輩は奥の階段のそのまた上を指差した。
「問題の場所は最上部だね?」
「はい」
「よし、行くぞ」
先輩は石段に足をかけた。僕はごくりと唾を飲み込んで、その後に続いた。先輩は迷わずすたすたと階段を登っていく。途中で、お詣りスポットもいくつかあったが、それらは全て無視して、一路、最上部へ向かった。
僕は動悸が激しくなるのを感じた。階段を登っているせいもあるが、これは間違いなく緊張のせいだ。
千里眼の能力を手に入れて以降、忌避して一度も訪れなかった場所。そこにずんずんと近づいている緊張感。あそこに行ったら何が起こるのだろう。僕はどうなってしまうだろう。
「それにしてもなあ」
山吹先輩は言った。
「神仏のおわすような場所に、あやかしが巣食うかな? いや、神社に住む眷属とかなら分かるけど、ここ寺なんだよな……廃仏毀釈の影響で、寺にはあんまり……眷属みたいなやつは多くないはず……」
「何か変なんですか?」
「いや……。実際見てみないことには、何とも」
とうとう僕らは最上部まで階段を登り切った。僕は辺りを見回して、右の方を指差した。
「あそこです。昔、変な風が吹いたのは、確かにあそこにいた時でした」
「へえ?」
一体の大きな仏像を取り囲むようにして、四体の仏像が居並んでいる。
「ん〜?」
山吹先輩は首を傾げた。先輩の肩に乗っかった管狐たちも、それに合わせて頭をひねる。
「今のところ妙な気配は無さそうだが」
僕は先輩を追い越して、仏像の間に踏み入った。そして、大きい仏像を取り囲む四つの像のうち、左後方にある仏像に近づいた。
何故かは分からないが、心惹かれたのだ。
「おや、室井くん? そこに何かあるのかな?」
「はい……何だか懐かしい気持ちがします……」
僕は夢見心地で答えた。
「室井くん? ちょっと、室井くん! しっかりしなさい」
山吹先輩が僕の腕を掴んだ。僕は不思議に思って山吹先輩を見上げた。
「あの、何かありましたか?」
「何かって……今、君、体が半透明になって透けて見えてたぞ」
「えっ?」
「このまま
「陰の世界? って何ですか?」
「……ああ、そうか。室井くんはそこから説明しないと駄目か」
「す、すみません……?」
「謝るようなことじゃない。とりあえずここを離れよう。安全な場所で話してやるから」
「はい」
「とは言え、どこなら安全かねえ」
山吹先輩は僕の服を掴んで、その場から引き剥がすようにして、僕を展望台まで連れて行った。ベンチに座って一息つく。
「陰の世界ってのはね」
山吹先輩が話し出す。
「まだ分からないことが多いんだが、あやかしたちが本来住んでいる異界のことだよ。君も前に見ただろう。クウちゃんが部室の前でスッと姿を消して、扉を開けずに部室に入って行ったところを」
「あ、はい。見ました」
「あれは一旦陰の世界に入って移動してたんだ。陰の世界とこっちの世界は背中合わせに繋がっているからね」
「へー……」
しばし沈黙が降りた。
「室井くんは中一のあの時に、陰の世界に入っていたんじゃないかな」
山吹先輩は言った。
「そのせいで、周りの観光客が消えたり、妙な声が聞こえたりしたんだろう。そう考えるのが一番妥当だ。一応は。変な話ではあるが……」
「人間ってそもそも、陰の世界に入れるのですか?」
「無理矢理やろうとすればできなくもないが、普通はやらないな。あっちでトラブルにでも巻き込まれたら、
「……でも僕は、入っていたかもしれないんですよね」
「さてな。人間を陰の世界に引き摺り込むような物好きなあやかしがいるとも思えんが……」
「へえ」
「……何かが分かりそうで分からない気がする。これはもう少し資料を漁ってみるか……」
「資料ですか?」
「そうだよ」
山吹先輩はむんと胸を張った。
「あや研といってもずっと管狐と遊んでいるわけじゃない。ちゃんと調べ物もしているんだよ。というか、そっちの活動の方がメインだ。文献を当たったり現地を視察したりして、情報をまとめる」
「そうだったんですね……」
てっきり、あやかしとじゃれあって過ごしているだけかと思っていた。
「遠くまで付き合わせて悪かったね。これは私の情報収集不足だ」
「いえ、そんな。そういうことなら、僕も調べますけど」
「いいの?」
「いいも何も……これは僕の問題ですから。それに、サークルの一員でもありますし」
「そうか……ありがとう。じゃあ後で調べて欲しいことを伝えるよ」
「こちらこそありがとうございます」
こうして僕と山吹先輩はゆるゆると階段を降りて、長谷寺を後にした。それからまたぶらぶら歩いて駅へ向かう。もうすぐ着くかと思った時、恰幅の良い女の人がつかつかと僕らに近づいてきた。
……いや、女の人ではなかった。よく見るとうっすらと頭に耳が生えているのが透けて見えるし、どうやら後ろには同じように尻尾も生えている。
僕はいささかぎょっとしたが、それを顔に出すのは失礼だと思ったので、我慢して真顔を貫いた。
彼女は唐突に、山吹先輩に話しかけてきた。
「すみません、そこのお嬢さん。ちょっとお力を貸していただきたいのですが」
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