第3話 あやかしとの契約
「さて、新歓の続きと行こうか。幸い、ポテチはまだ湿気てないし」
山吹先輩は椅子に足を組んで座り、おやつをばりばりと食べ出した。
「しかしさっきは室井くんが居て助かったな」
「そうですか? 僕は特に何もしていませんが……」
「いやいや、正論で真正面からパンチするっていうのは相当な威力があるものだよ。室井くんは奴を追い払うのに一役買ってくれたってわけ。まあ正論を食らってダメージを負った奴が、激昂して殴りかかってくる危険も、無きにしも非ずだったけど」
「そ、そうなんですか? 僕は普通のことしか言っていませんよ」
「あっはっは。良いねえ、室井くん。君はそのまま健やかに成長してくれ」
「もう成長期は終わっているはずなんですけど……」
「精神的に向上心のない者は馬鹿なのだよ、室井くん。大人だろうが何だろうが、人とは常に成長するものだ」
「……ああ、まあ……そうですね。はい」
これは山吹先輩が適当なことを言っているに過ぎないようだ。まともに考えていたらこんな所で夏目漱石を引用したりしない。僕は炭酸の抜けたコーラを口に含んだ。ぼやけた味だが、これはこれでマイルドで良いかも知れない。多分そんなような気がする。何だか山吹先輩に影響されて僕まで適当な気分になってきた。
「で、どうだった?」
「どう、とは」
「あやかし研究会、興味持ってくれたかい?」
「あ、えーと……」
「ああ、別に無理にとは言わないよ。入部しなくても、約束通り君の千里眼のルーツは探ってあげるし。あとは君がこの部屋を使いたいかどうかという点と、私と一緒にいても苦じゃないかっていう点かな」
「あ、苦ではないです、全然」
「おや? そうか。珍しいな」
「そうですか?」
「うん、珍しい。それじゃあ、入部は前向きに検討してくれているってことでいいかな?」
「ええ、まあ……」
僕はゆっくりと口に出した。
「特に他のサークルに興味も無いですし……入学してから一気に色んな怪奇現象にぶち当たってしまっているので……あやかしについて学ぶのも悪くないかなと思っています」
「そうか、それは良かった。私も、室井くんなら歓迎するよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
僕は頭を下げた。
こうして、僕のあやかし研究会への所属が決まった。
翌日は早速、好きな講義を選んで出席する日だった。共通教養という講義もあってそれはクラス分けが決まっているのだが、選択科目になるとそういった集団行動は求められない。僕はほっとしていた。どうも僕は、大勢の中で取り残されないように行動するのが苦手なのだ。それで昔は苦労した。
大学では僕が一人で自由に行動していても、誰も白い目で見てこない。気軽な気持ちで、一人で講義に出たり、一人でご飯を食べたりできる。大学生活というのは僕にとっては息のしやすい環境であるらしかった。
それから、サークルに所属しているとメリットもあった。僕は山吹先輩から、講義の選び方のアドバイスをもらうことができた。
「一般的には、一、二年生のうちに取れるものはなるべく取ったほうがいいよ。三年以降はゼミとか研究室で忙しくなるし。早めに片付けられるものは早めに詰め込んだ方がいいと思う。単位を落とした時の保険にもなるぞ」
「ふむふむ」
山吹先輩のお陰で、有意義な講義計画を立てることができた。こういう時には人脈って大事だよなあ、と僕は束の間遠い目をした。
人付き合いは苦手だけれど、これはいつかは克服していかなければならないものなのだろう。
そんなこんなで入学してから二週間が経過した頃。
大学のキャンパス全体を覆う黒雲が出現した。空が黒一色になるのを、僕は講堂の窓から確認した。
僕は猛烈な倦怠感に襲われて、思わずうずくまってしまった。
周囲の一年生たちも、急に咳き込んだり、体を震わせたりと、被害に遭っているようだ。
思い当たることはただ一つ。川上くんとかいう逆恨み野郎がまた馬鹿げた逆恨みで何か仕掛けてきたのだ。
僕は目を閉じた。川上くんのいる場所は──校門前だ。
講義は終わっている。これからしばらく僕は暇だ。
ひとまず山吹先輩にスマホで報告を入れてから、僕はよたよたと頼りない足取りで校門前まで向かった。
千里眼で見た通り、川上くんはそこにいた。
「君、それ、やめてくれないかな」
僕が頭痛を我慢しながら懸命に声をかけると、彼は振り返った。
「ああ、またお前か……。俺を止めに来たのか? 前回とは場所を変えたのに、見つけるのが早いな」
「黒雲を使えるってことは、先輩のかけた呪いが解けたのかな? こんなことをしても、君の勉強時間が削られるだけで、何の意味もないと思うけど」
「その通りだな」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「あやかしを使うことに関する法律があるとすれば、君は確実に逮捕されるレベルだよ。しかも前より力が何倍にも増している。……君、まさか、契約内容を更新したか?」
山吹先輩が、いくらか血の気の引いた顔色で、こちらに歩み寄ってくるところだった。今日は薄青と白のストライプ柄のワンピースを着ている。
「……流石にバレるか。そうだ。俺は
僕には何の話か分からなかったので、不安に思って二人の顔を見比べた。
「大学生への逆恨み程度の瑣末事でそんな契約をしてしまうなんて、君の精神状態は尋常ではないな」
山吹先輩はスマホを取り出すと、どこかに電話をかけた。
「あ、もしもし。律子です。あやかしに取り入られ過ぎた人間を見つけたから、保護をお願いしたいんだけど。うん、今は大学の校門のところにいるよ。来てもらえる? うん、ありがとう」
僕と川上くんはいくらかぽかんとして山吹先輩を見ていた。
「今のは何の電話ですか?」
「ああ、実家の母にね。母は裏稼業で憑き物カウンセリングもやってるからね。川上くんにはちょっとした治療を受けてもらうよ」
「はっ? 治療だと? そんなものなど必要は……」
「あ、来た。うちの車」
「えっ」
いくらなんでも早すぎる。電話してから一分も経過していない。
「まあ、憑き物カウンセリングも、首都圏のあやかし出没情報を独自に入手してるからね。この辺りは既に視野に入れていたんだろう。さあ川上くん、乗るんだ」
「い、嫌だ。俺はこの大学に復讐を……」
「復習ならあやかしに頼らずにこつこつと勉強することだね。さあさあ」
山吹先輩は川上くんを強引に車に押し込むと、バーンと車のドアを閉めた。男性相手にこんな力技を使えるとは、山吹先輩は結構強いな、と僕は思った。
「それじゃ、行ってらっしゃーい」
川上くんが車に連れ去られると、大学を覆っていた黒雲も徐々に消えていった。ぼくは頭を押さえていた手を離して、ふうっと息をついた。
「すごく楽になりました。ありがとうございます」
「何、室井くんが居場所を教えてくれたお陰だよ」
何となく、二人で部室に行く流れになったので、僕たちはぶらぶらとサークル棟に向かった。
「あの、山吹先輩」
「ん?」
「あやかしとの契約って、何ですか?」
「えっ? ……ああ、そうか」
山吹先輩は腕を組んだ。
「君は千里眼の能力を得るために何をしたのか、記憶に無いんだったね」
「はい。……それが何か……?」
「普通、あやかしの力を借りるにはね、契約が必要なんだよ。だいたいは、人間側が死んだ時に、あやかしにその魂を食わせてやるという条件で、人間はあやかしの力を得ることができるんだ」
「へえ……?」
「川上くんは、魂を全部食わせるという契約を結び直したってこと」
「えーと」
僕はいささか困惑していた。
「つまり、先輩も死んだら、管狐たちに魂を食べられちゃうんですか?」
山吹先輩はあっさりとこれを肯定した。
「そうそう。クウちゃんとキイちゃんとリンちゃんで仲良く分け合って、私の魂は綺麗さっぱり無くなっちゃうってわけ。ま、この契約は山吹家の伝統だから、私はそれが何を意味するのかもよく知らずに、三歳の頃に契約したのだけれど」
「えええ……」
「その点、室井くんのパターンは異例だね。どのあやかしと契約したのかも分からず、魂を食わせる約束をした記憶もない。それなのに異能を持っている。普通なら考えられない事態だよ。ノーリスクで異能を使えるなんて聞いたこともない。危険な香りすらする」
「……」
そもそもあやかしとの契約という時点で普通ではない気がするが、そこには目を瞑るとして。
「それにしても、二度も室井くんに助けられてしまった。君の能力の秘密を探るという約束は、必ず果たさなくてはね」
「あ……別に、そんなにお気遣い頂かなくても……適当でいいです、適当で」
「そうはいかないよ。近い内に準備を整えておくから、また連絡するね」
「は、はあ、分かりました」
準備って何だろうと僕は思いながら、曖昧に返答した。
「さあ、着いた」
僕たちはボロのサークル棟のあやかし研究会部室前に到着していた。
「とにかく今回はお疲れ様ということで、ジュースとお菓子を開けよう。何が良い?」
「先輩がお好きなもので構いませんよ」
「こら、選択権を放棄するんじゃない。遠慮なく選んでくれ。ほらほら」
「……じゃあ、ポップコーンとほうじ茶で……」
「任せろ。座って待ってな」
山吹先輩がごそごそと菓子の山を探り出す。
ゆるいサークルというのも、なかなか悪くないなと、僕は思った。
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