第2話 黒雲の使い手


 あの黒雲を出現させた人間はどこか。目を瞑って、念じながら探す。この条件だけで探し当てるのはやや困難ではあるものの、対象が大学構内にいるであろうと分かっているから、まだ探しやすい。

 やがてぼんやりと景色が見えてきた。視点を定めてじっと観察していると、次第にくっきりと辺りの様子が判別できるようになっていく。


 草が生い茂る庭の中の、濁った池のほとりのベンチに、男性が一人座っていた。彼は天を仰いでいる。視線の先を辿るに、どうやら彼は黒雲の行方を気にしているようだ。そして彼の足元には、小さな管狐が倒れ伏していた。見るからにぐったりとしていて、元気がない。

 ここは、どこだろう。現在地からこの場所へのルートを辿るのは、結構体力を使うので、あまりやりたくない。でも、今は隣に山吹先輩がいる。三年というからには大学構内のことに詳しいに違いない。特徴を言えば、場所を特定してくれるだろうか。


 僕は目を開けた。そして、見た景色をそのまま山吹先輩に伝えた。山吹先輩は「ああ」とあっさりと頷いた。


「それならきっと、学務の裏の中庭みたいなところだね。池の近くならすぐに犯人が見つかるだろう」

 山吹先輩はうん、うん、としきりに頷いている。

「ありがとう、室井くん。早速向かうよ。悪いけど留守を頼む」

「は、はい」

「それとも見学に来る?」

「えっ?」

「あや研としては、久々の実地活動だ。面白いものが見られるかも知れないよ。ま、興味無ければここで待っていてくれていいけど」


 僕はしばし逡巡したが、「行きます」と答えた。


「怪しい男性一人に対して、山吹先輩をお一人で送り出すのは、心が痛みますし。僕がどれほどお役に立てるかは、分かりませんが……」

「おやおや」


 山吹先輩は、ちょっとからかうような目で、笑みを浮かべた。


「室井くんは紳士的だね。さすが聖人なだけはある」

「いや、聖人じゃないです」

「まあまあ。そういうことなら、ついてきてもらおうかね。二人で行った方が相手もビビるだろうし」


 そんなわけで僕と山吹先輩は揃って部室を出た。


 道中、僕は色々と質問した。黒雲を見ないように、俯きながらのお喋りではあったが、先輩は僕の態度など気にした様子もなく、何でも答えてくれた。


「あの、あや研は、その……山吹先輩の他に会員はいるのですか?」

「いや、いないよ。前はもう一人いたけど、辞めちゃってね。今は私だけだよ」

「そうですか……。ええと、具体的には、どういう活動をされてるんですか?」

「うーん、一応、妖怪などに関する資料を集めたりするのが、表向きの活動内容なんだけど。でも学園祭で展示するくらいしか目標もないから、基本的には私がダラダラしてるだけかな」

「ダラダラ……」

「そういう不真面目なサークルなんていくらでもあるよ? 飲みサーと言って、実情は飲み会でバカ騒ぎするのが主体のサークルがあるくらいだし。彼らに比べれば私はまだ真面目に活動しているよ。たまにはちゃんと調べ物をしているからね」

「なるほど……?」

「室井くんも会員になったらいつでもダラダラしに来て良いよ。部室も自由に使える。講義のための課題とかをやっつける場所に使ってもいいし、昼食を食べる場所に困ったら寄ってもいいし。大学生活において、拠り所となる居場所があるっていうのは、意外と便利なものだよ」

「へえ……」


 僕たちはそれから何となく黙って歩いていた。……何か、話を振らないと失礼に当たるだろうか。僕は恐る恐る口を開く。


「あの」

「ん? 何かな?」

「今から……黒雲を出した人物に会って、何をなさるつもりですか?」

「うーん」

 山吹先輩は顎に手を当てた。

「まずはキイちゃんを回収しないとね。そのあと然るべき処置を取るよ」

「然るべき処置……?」

「黒雲ね。あれは鬱陶しいからね。あれをどうにかしてもらうんだよ」

「どうにかって、具体的にどうやって……?」

「それは、相手の考えによるかなあ」

「は、はあ……」


 肝心なところで要領を得ないというか、曖昧な話し振りである。まるで何も考えていない行き当たりばったりのような……。

 困惑しているうちに、僕らは目的の場所に着いた。中庭の小道から池のある場所まで辿り着くと、千里眼で見た通りの場所に彼は座っていた。

 何をするつもりなのか、山吹先輩はつかつかとその男の前に歩いて行った。しゃがみ込んでそいつの顔をじっと見つめる。

 そのまま動かず、数秒。


「あの……何か?」

 そいつは迷惑そうに聞いた。


「この子を返してもらえないかと思ってね」


 山吹先輩はぐったりしている管狐をそっとつまんで手のひらに乗せた。


「ああ、それ、あなたのだったんですね」

「うん、そう。それで、あの黒雲は君のせいだね?」

「まあ、はい、そうです」

「あれのせいで体調不良を起こす者が出ている。キイちゃんがぐったりしているのも、黒雲の効果だろう。私もあの雲にはいささかうんざりしていてね。ここは一つ、引っ込めてはもらえないだろうか」

「それはできかねますね」

「ふうん……? 何でだい?」

「あなたが誰かは知りませんが、どうせここの学生なんでしょう? 俺の邪魔をするようなら容赦はしませんよ」


 彼が天に手を差し伸べると、黒雲がこっちに向かってくるのが見えた。僕はびくりとして下を向いた。察するに、黒雲はどうやら彼の指示に従って、低空飛行で山吹先輩の真上に移動したらしい。


「うぐっ……」

 山吹先輩は膝を折り、地面に片手をついた。

「山吹先輩!」

 僕は駆け寄って、先輩のことをぎこちなく支えた。彼は僕に目を留めて言った。


「そこのお前は新入生じゃないか」

 男は言った。

「え……? そうですが、それが何か?」

「ああ、お前は知らなくていいよ」


 男は素っ気なく言った。

 ふっ、と山吹先輩が苦しみながらも笑ってみせた。


「くだらない。君の考えは本当にくだらないよ」

「何ですか? いきなり。失礼ですね」

「教えてあげようか。管狐使いというのは、相手の過去や未来を読み取れるし、相手に災いを呼ぶこともできるんだ」

「……それがどうしたっていうんです」

「迂闊に黒雲を私のそばに呼ばない方が良かったね。……クウちゃん、リンちゃん、力を貸してくれ。彼のぬえに災いをもたらし、無力化するんだ」


「キュウウウン」

 二匹の管狐が先輩の頭の上に乗っかった。先輩は地面についた手を離して、パチンと指を鳴らした。


 途端に、黒雲が妙な形に凹んだ。その後も絶え間なくボコボコボコッと凹んでいったかと思うと、黒雲は綺麗さっぱり、無くなってしまった。代わりに上空には、何だか色んな動物を合体させたキメラみたいな怪物が現れていた。


「なっ……鵺、何をやってる!」

 男は叫んだ。

「いや、お前が何をやってんだ」

 山吹先輩は僕の肩を借りて立ち上がった。


「あやかしを、あんな気色の悪い手段で使うなんて、……しかも動機がくだらなさすぎる。こんなことばっかりやってるから、君はこの大学に受からなくて、浪人する羽目になるんだよ。川上猛かわかみたけるくん」

「えっ」


 僕は改めてその川上とかいう男を見た。つまり、この人は学生ではなく、浪人生なのか? それが何故こんなところに来て、迷惑行為を働いているんだろう。


「くだらないだって!?」


 川上は叫んだ。


「お前たちは知らないだろう。俺がどんな思いで受験期を過ごしてきたか」

「知るかよ。いや、読もうと思えば読めるけどさ、別に知りたくもないし」

「新入生がウキウキと入学式に出ているのを見ると虫唾が走るよ! お前らの内何人かが落ちていれば、俺が受かってたかも知れないのに……!! ……そうだよ、お前だよ!!」


 山下は僕のことを指差した。


「ご丁寧におろし立てのスーツなんか着やがって。ああ、忌々しい……!!」


 僕は居心地が悪い思いになった。受験という競争を勝ち抜いた以上、自分のせいで落ちてしまった人間もそれなりにいるはずだと思ったのだ。まあ、その人物が──つまり川上くんが、勉強不足だったというのが、真実なのだろうけれども。

 山吹先輩は川上の言葉を一蹴した。


「完全なる逆恨みだな。いっそ清々しいよ、君。それで、新入生に体調不良になってもらおうだって? 馬鹿げた真似を。そこまで馬鹿なら受験に落ちるのも当然だな。……ま、こんな迷惑行為に貴重な時間を費やすくらいだし、君の努力ってのもタカが知れてるがね」

「なっ……!!」

「管狐使いとして君の未来を教えてあげようか? 君がこの大学に受かることはない。この先、一生な」


 川上はショックを受けたような顔をして、たじろいだ。


「う、うるさい! 逆恨みだろうが何だろうが、未来がどうあろうが、知ったことか! 新入生どもに不幸にでもなってもらわなくちゃ、俺のこれまでの努力があんまりにも報われないだろ!」

「……あの」


 僕はおずおずと口を挟んだ。


「これは、僕の口からは聞きたくないことかも知れないけど……努力したからって必ず報われるものじゃないよ」

「は? 何だと……?」

「それに、どんな理由があっても、人を苦しめるのは……良くないことだと思うよ」

「……うるっせええ!」


 川上は叫んだが、山吹先輩はからからと笑った。


「まあ、室井くんの意見は正論中の正論だな。どうだ、川上くん。これに懲りたら、鵺の能力を悪用するのをやめて、真面目に勉学に励むというのは」

「……うるさいっつってんだろ!」


 川上は僕たちを睨むと、ベンチから立ち上がって中庭を後にした。後から鵺がゆらゆらと空を飛んでついていった。


「あ……」

 僕は引き止めようとしたが、山吹先輩は首を振った。

「私が鵺に課した災いとは、しばらく能力を使えなくするものだ。だから心配はいらない。後は、災いの効果が切れる前に、彼の頭が冷めることを祈るしかないよ」

「そ、そうですか……」


 僕は何となくもやもやした気持ちを抱えて、山吹先輩について部室に戻った。

 できれば、川上くんを正しい道に導きたかった。だが口先だけで容易に他人の心を動かそうなんて、おこがましいことなのかも知れない。他人のことをそう簡単に変えることができないということは、僕もよく知っている。


 とりあえず、山吹先輩のお陰で、あの困った雲は消えた。僕は今日キャンパスに入ってから初めて、すっきりした気持ちで空を見上げることができた。


 天気は、綺麗な快晴だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る