第5話 化け狸の困りごと

「え?」

 山吹先輩は彼女を見返した。相手は丁寧に話しかけてくる。

「あなたは、管狐使いの方とお見受けします。どうかそのお力で、私の夫を助けて頂きたいのです」

「嫌だけど?」


 スッパリと切り捨てた先輩に、僕は慌てて「ちょっと!」と言った。


「話くらい聞いてもいいんじゃないですか?」

「嫌なものは嫌だね。こっちは慈善事業じゃないんだ。報酬もなしにホイホイとこの化け狸についていく気にはならないな」


 化け狸の方は困惑したように僕らを見比べていた。


「あの……報酬とは具体的に何でしょうか」

「おっ、くれるの? そういうことなら話は別だよ。そうだな……うーん、何がいいかな……」


 僕と狸は揃って固唾を飲んだ。


「抹茶ソフト」


 先輩は言った。


「へ?」

「抹茶のソフトクリーム二人前。私と室井くんの分。それで話だけは聞いてあげよう」

「ええと……そ、それでよろしいのでしたら、いくらでも奢りますが」

「そんなには要らない。冷たいもの食べすぎるとお腹壊しちゃうからね」

「はあ……」


 こうして僕らはソフトクリーム屋に向かうことになった。山吹先輩は、ケチなのかチョロいのかよく分からないな、と僕は思った。


 ***


 僕はありがたくソフトクリームのおこぼれに預かっていた。


「これ、支払いはちゃんとしたお金なんですよね……? 実は木の葉だったとかいうことはないですよね?」

「ちゃんとしたお金ですよ。日雇い労働で稼いだんです」

「へ、へえ……」


 さて、本題である。この化け狸──美津みつさんの話によると、夫の三郎太さぶろうたさんの魂がどこかへ散歩に出掛けてしまって、三郎太さんは寝たきりになってしまったそうだ。それからもう十日も経つらしい。


「魂が散歩に行く……って何ですか?」

 僕は尋ねた。美津さんは目を潤ませた。

「化け狸の界隈ではよくあることなんです。狸は化ける時に魂の形に特に気を配りますから。化けるものによって魂の形を臨機応変に変えるんです。ですが、うっかりしていると魂がこう、スポーンと、ひとりでに家出してしまうことがあって……。通常は三日ほどで戻るんですが、夫の魂はまだ戻っていなくて……。元々あの人はおっとりした性格ではあるのですが、十日もいないのは流石に……心配で……」

「ふむ、分かった」


 山吹先輩はソフトクリームの最後のコーンの部分をばりばりと噛み砕いた。


「とりあえず美津さんの未来を読むよ。大丈夫、未来のあんたのそばには、元気な三郎太さんの姿があるよ」

「本当ですか!」

「うん。まあ、だからといって放っておけば彼が戻ってくるというわけでもないだろう。美津さん、あんたの家は陰の世界にあるんだな?」

「は、はい、もちろんです」

「私はまあまあ普通の人間だから、陰の世界には行けない。代わりにこの子を──管狐のクウちゃんを派遣するよ。美津さんはクウちゃんを案内して、寝たきりだっていう三郎太さんに引き合わせてくれ。それでうまく過去や未来が読めるはずだ」


 美津さんは相変わらず潤んだ瞳で、決然とした表情をしてみせた。


「分かりました。ではクウさんをお借りします。すぐに戻りますので」

「別に、焦らなくていいぞ」

「いえ、そういうわけにはいきません。ちょっと失礼」


 美津さんとクウちゃんはとぷんと影の中に消えた。


「あ……」


 幸い店内にひとけはなく、美津さんが消えたところを目撃した人はいなさそうだ。

 僕と山吹先輩はしばらく待つことになった。僕もソフトクリームのコーンの最後のかけらを口に入れた。


「美味しかったですね、ソフトクリーム」

「うん。やはり鎌倉に来たからには抹茶ソフトを食わねばな。危うく忘れるところだった」

「あ、あはは……。それにしても、陰の世界って、広いんですね。ずっと探しても、三郎太さんの魂が見つからないなんて」

「陰の世界は、陽の世界よりずっと広いよ。それこそ、広がりゆくこの宇宙よりも尚大きい」

「……そうなんですか」


 思っていたより数兆倍大きな規模の話だった。計り知れない、あやかしの世界。そこはどんな景色なのだろう。陰というからには暗いのだろうか。そして、魑魅魍魎が跋扈しているのだろうか。その中に、僕に千里眼を与えたあやかしが紛れているのだろうか。だとしたら、そいつを探し出すのは……大変な困難を伴うことだろう。本当に見つけることができるのだろうか?

 僕は考え込んでいた。山吹先輩は小さく口笛を吹きながら、足を組んで座っていた。そうして少し経った頃、「お待たせしました」と美津さんの声がした。


「お、戻ったか。クウちゃん、おいで」

 山吹先輩が手を地面の方に伸ばすと、クウちゃんはするするっとその腕を登って、先輩に何か耳打ちした。

「ははーん」

 先輩は何か言いたそうな目で僕のことを見た。

「? 何ですか?」

「クウちゃんは、室井くんの力があれば、三郎太さんの魂が見つかる、と言っているよ」

「えっ? 僕ですか?」

「そうだ。探し物は得意中の得意だろう?」

「そっ……そうですけど……。僕は、陰の世界まで見通せるのでしょうか。それに、魂って、僕の目に見えるんでしょうか」

「クウちゃんが行けると言っているのだから大丈夫だろう。試しにやってみたらどうだ? ソフトクリームの礼だと思って」

「は、はあ……」


 そう言われると尻込みするのも申し訳なくなってくる。抹茶ソフトは、確かに美味しかったのである。


「じゃあ、やってみます」

「ああ、助かります。お願いします」

 美津さんは深々と頭を下げた。僕は少しばかり緊張してきた。


「行きます」

 なるべく声を落ち着かせてそう言い、目を閉じた。陰の世界の、三郎太さんの魂のところへ、と強く念じる。

 ぐにゃっ、と頭蓋骨がスライムの如く奇妙に波打つ感触がした。ちょっと気持ちが悪かったが、やがて僕の目の前には、この世のものではない景色が広がっていた。

 どこまでも続く蓮の池。その真ん中にある遊歩道。金色の陽光が燦々と頭上から降り注ぐ。

 遊歩道を少し進んでみると、小さな狸が倒れているのが見えてきた。……きっとこの狸が三郎太さんの魂に違いない。……恐らく。だって僕は、三郎太さんのいるところを見たいと念じたのだから。

 僕は周りの景色を覚えておこうとしたが、何しろだだっ広い蓮池があるばかりで目印になるようなものもない。僕は千里眼で景色を見ているだけだから、三郎太さんに声がけすることも、何か目印を作ることもできない。

 何か手はないかと周りをぐるりと見回す。


「──こい!」

 どこか遠くで声が聞こえる。

「戻って来い、室井くん! しっかりしろ!」


 山吹先輩の声だ。僕はパチッと瞼を開いた。

 最初に見えたのは、ソフトクリーム屋の床だった。どうやら僕は椅子から落ちて倒れたらしい。体中が何となく痛む。それから、血相を変えて僕のことを揺り起こす山吹先輩の顔も見えた。


「室井くん、大丈夫か!?」

「ええ、大丈夫、で……」


 起き上がろうとしたが、ふらついてしまって、再び床に手をつく。その手はよく見ると、幽霊のようにやや透けているように見えた。金色の淡い光も発している。


「あれ?」

「分かった、とりあえず床で寝ていていいから。無理はするな」

「……はい」

 僕は寝そべった姿勢で、美津さんを探した。

 美津さんはテーブルの横で、心配そうにこちらを窺っていた。

「あの……私のお願いのせいで倒れられてしまうなんて……申し訳ないです」

「いや、いいんですよ。それより──」


 僕は、蓮池の様子をなるべく正確に美津さんに伝えた。美津さんはおろおろしていた。


「あの、あまり無理して話されない方が……」

「いえ、大事なことですから。忘れないうちに」

「……ああ……ありがとうございます……」


 僕の話を聞き終わった美津さんは、大きく頷いた。


「その場所なら心当たりがあります。恐らく、昔、夫婦で旅をしていた時に訪れた蓮池でしょう。片っ端から探せば見つかるはずです」

「そうですか。それなら良かったです」


 僕は力無く微笑んでみせた。


「僕の力も、たまには役に立つようですね」

「こら、無駄なお喋りはやめて安静にしていろ」

「あ、はい、先輩……」


 僕は口をつぐんだ。それからしばらくは、ひんやりと冷たい床に横たわったままでいた。店員が色を失って右往左往していて、気の毒だった。


「きゅっ、救急車を呼びましょうか」

「あ、いえ、結構です。そんな大したことではないので」

「だから、室井くんは黙っていなさい。救急車は今のところ大丈夫ですよ。この子はじきに回復しますから」


 山吹先輩がこう断言できるのも、管狐の未来予知だろうか。いやはや、便利なものだ、と思いながら、僕は目を閉じた。今度は、休むために。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る