第18話 神仏と僕たち
『千手観音です』
『はい?』
『千手観音様がいらっしゃいました。マルくんは必死に観音様を拝んでいます』
辺りがやたらと眩しかったのは、千手観音様がすぐそこにおわして、その全体が光り輝いていたからだった。僕は神仏の類に詳しくはないが、あの本当に千本あるのではないかと思わせる腕の多さを見て、すぐに千手観音様という言葉が思い浮かんだ。マルくんはそのお方に、繰り返し頭を下げていたのだ。
『ええ? 何故?』
『言葉は聞き取れないので、分かりませんでした。何か謝っているように見えましたが、確証はありません』
『今クウちゃんたちを派遣した。明日の朝には情報をまとめて帰ってくるはずだ』
『ありがとうございます』
『何だ、知らないうちに陰の世界で何が起こっているんだ? だいたい、仏様が実際にいらっしゃるなんて、管狐たちは一度も私に言って来なかったぞ』
『陰の世界のことは、先輩もよく知らないと言っていましたね』
『何なんだろうな。普段から出入りできる場所である陰の世界について、管狐たちはほとんど何も教えない。陰の世界が本当に宇宙のように広大ならば、そこに住んでいるほんの少しの神仏になど滅多にお目にかかれない、ということなのだろうか……だとしたらマルくんはとんでもないミラクルラッキーボーイということになるんだが……? ???』
はてなマークを浮かべた白狐のスタンプが連続で送られてくる。山吹先輩も相当混乱しているらしい。
一夜明けて朝、寝不足の目を擦って僕はスマホの画面を確認した。まだ山吹先輩からのメッセージは入っていない。
『おはようございます。クウちゃんたちは帰ってきましたか?』
僕がメッセージを送ると、ほぼ同じタイミングで、腹を抱えて笑っている白狐のスタンプが来た。
『? 何ですか?』
『マルくんのせいだった』
『どういうことですか?』
『いいか、まず、あや研の変な噂を広めたのはマルくんだ。マルくんは陰の世界で、自分を強く見せるために、私たちのことをかなり大袈裟に話したそうだ。その件でマルくんは仏様に怒られて、詫びを入れている最中だとさ』
前の二文は分かったが、最後の一文が理解できない。
『やはり仏様がいらっしゃるのですか、陰の世界に』
『私も今さっき知ったんだが、千手観音は一番ポピュラーな仏様だそうだよ。この辺りにも稀に現れるという』
『クウちゃんたちは、そのことを知らなかったんですか?』
『知っていたが聞かれなかったので答えなかったそうだ!』
『はい?』
僕は目を疑ったが、残念ながら画面に表示された文字は変わらない。
『聞かなかったんですか? 前にも気になるというようなことを言っていたのに……』
『その時も管狐たちに直接質問はしていなかった気がする』
『まじですか』
『まじだ。いやはや、私ももう管狐を使うようになってから十何年も経つが、まさかまだ使いこなせていなかったとはね! 驚きだよ!』
僕はベッドでごろんと仰向けになった。山吹先輩が膝を叩いて大声で笑っている姿は容易に想像できた。
『でも、マルくんはそこまで悪いことをしたでしょうか? 勝手ながら、仏様というと寛容なイメージがありました。話を盛り過ぎたくらいでお怒りになるのでしょうか』
『そうだね、神様と違って仏様は慈悲や救いをもたらす存在という印象が私にもあるよ。それと今聞いてみたんだが、神様ならば陰の世界にはたくさんいるそうだ! 爆笑してしまったよ! 狐につままれるとは正にこのことだね!』
また、腹を抱えて笑う白狐のスタンプ。どこまでも前向きな人だな、と僕は思った。
『おっと、話が脱線した。今から、管狐たちに、何故マルくんが目をつけられたのか、ストレートに聞いてみるよ』
『はい』
『何でも、私の悪評が広まる分には問題は無いらしいが、室井くんの悪評が広まってしまっては困るのだそうだ』
僕はぽかんとした。
『僕ですか?』
『うん』
『わけが分かりません』
『私もさっぱり分からん。ただ、室井くんと仏様のセットと言われてパッと思いつくのは、前に鎌倉観光に行った時のことだな。あの時、室井くんは、寺の中で半透明になって発光していた』
そういえば、そうだった。そんなこともあった。
『あの場所でかつて僕は、千里眼を手に入れたんですよね……』
『室井くんの千里眼は、仏様にまつわるものなのかな?』
『さて……』
『その辺は私もまだ知識が浅い。調べてみるよ』
『お願いします。僕もできることがないか探してみますね』
それで一旦、会話が途切れた。僕はもそもそと起き上がって、着替えをし、朝食を摂り、歯を磨いた。
だらだらと惰性でスマホゲームをしながら、千里眼について考える。
あの異能を手に入れた時に、僕のそばにあった仏像は、確か五体。果たして、真ん中の仏像は誰だったか。ちゃんと見ていなかった。
スマホの画面を切り替えて、「長谷寺 仏像」で検索してみる。すると奈良県の長谷寺の情報が出てきた。そういえば空を飛んで奈良にも行ったなあと思いながら、「長谷寺 仏像 鎌倉」で検索すると、目的の寺のページがヒットする。読めばご本尊の仏像は十一面観世音菩薩と言うらしいことが分かる。だが僕が知りたいのは本尊の情報ではなく、その手前、屋外にあった像のことだ。どういった語句で検索すれば、あの仏像について調べられるだろうか。
「うーん、分からない」
こういうことは山吹先輩が調べた方が百倍早い。調査はおあずけにして、僕はあや研の噂の揉み消しでも……いや、それも管狐を派遣しなければできないか。僕は見る専門で、聞いたり話したりはできないのだ。
僕なんかより山吹先輩の方がずっと有能じゃないか、と改めて思う。それなのに、どうして山吹先輩の悪評は放っておかれて、僕の悪評だけ取り沙汰されるんだろう。
分からないことだらけだ。
何もしないよりましかと思って、その日僕は陰の世界を観光して過ごした。
陰の世界は陽の世界とそれとなくリンクしているようで、僕が家で千里眼を使うと必ず見える景色というのがある。陽の世界での僕の家に当たる場所は、陰の世界では森の中だ。何の木か知らないがいつも青々と葉を茂らせている。そこからドローンを飛ばすようにして色んな景色の元まで行くのがお決まりの手順だが、何もここを起点にせずとも、僕は好きな時に好きなところにワープできる。
今日は僕は森の中から里の方へと出た。陰の世界にも家という概念があって、木でできた家々にあやかしたちは住んでいる。逆に、食べ物のいらないあやかしたちには田んぼや畑もいらないから、里はまるで団地のように、あやかしたちの住環境のみを整える場所となっている。
今日はその連なった家の中からあやかしたちが道に出てきて、とある方向を一心に拝んでいる。そちらの方角に千手観音様がおわすことを、僕は知っている。あやかしたちも何らかの気配を察知しているのだろうか。拝みながらも浮き足立っている連中がいるのが面白く、興味深かった。
僕はちょっとマルくんの様子が気になって、千手観音様の方へとワープした。今もまだ謝り続けているなら気の毒なことだと思ったのだ。だがそこにはマルくんはいなかった。代わりに、如何にも強そうな天狗やら、強面の赤鬼やら、天を衝くほどの巨人やら、色んなものが来て千手観音様を一目見ようとしている。僕にはただ、あやかしたちの向こうに埋もれた観音様の光が見えるのみだ。
やり方を変えよう。マルくんのところ、と念じてみる。すると今度は全く別の里の中の、一軒の家が視界に入ってきた。その中の一室で、マルくんは丸くなって寝ていた。何か具合でも悪いのかと思ったが、単に寝ているだけらしい。夢の中でも謝っているのか、前足と頭がひょこひょこ動いている。マルくんには申し訳ないことをした。あんなに必死になって謝るなんて、怒られたことがよほどこたえたのだろう。その原因は僕のあずかりしらぬところにあるようだけれど、それにもかかわらず僕のせいだというから、不思議な話だ。
その後も僕は陽の世界や陰の世界のあちらこちらを行ったり来たりしていた。夜になって、また山吹先輩からメッセージが届いた。
『分かったかも知れない』
山吹先輩は言っている。
『室井くん、君は恐らく、──────』
僕はその言葉を、僕の異能に対する初めての解釈として、粛然と受け取った。
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