第7章 世界の平和と、学園祭の話

第19話 お誘いを受けたこと


「それで、僕にどんなお話があるのでしょうか」


 山吹先輩が講義に出ている間に、珍しく人間の客人を迎えた僕は、お茶を出しながら問うた。


「ええ、では、先程も申し上げましたが、改めて自己紹介を。私はボランティア団体『天陰あまかげの会』のメンバー、吉村香穂子よしむらかほこです。よろしくお願いします」

「あ、はい、室井駿太です。よろしくお願いします」


 吉村さんは冷たい緑茶を紙コップから飲むと、茶色の髪を後ろに払って、話を始めた。


「室井さんは、『天陰の会』についてどれほどご存知ですか?」

「すみませんが、聞いたことは無いです」

「そうですか! それなら簡単にご説明しますね。『天陰の会』は他大学と共同で立ち上げたインカレサークルです」

「インカレ?」

「複数の大学が合同でやっているサークルのことです。天陰の会は、主にあやかしと縁のある学生を中心メンバーとしていて、あやかしの力を人の役に立てることを目標としています」

「人の、役に……」


 僕は昔のことを思い出して、少し俯いた。だが吉村さんはぐいっと身を乗り出してきた。


「室井さんのことは、陰の世界でこのみずちが聞きました」


 吉村さんは小さな竜のようなものを手のひらに乗せて僕に見せた。


「室井さんは、神や仏すら関わってくるような素晴らしい能力をお持ちなんですよね。羨ましいです。と同時に、勿体無いです。その力を世のため人のため、世界平和のために使いたくはありませんか?」

「それは」


 僕は俯いたまま答える。


「できたらそうしたいところですが……僕の能力はそんな大層なものではありません」

「いいえ、室井さんの力はすごいものなんですよ。もっと自信を持ってください」

「……でも」

「大丈夫です。うちのサークルに入れば、能力の正しい使い方も自然と身に付きます」

「……でも……」

「こんな素晴らしい力を自分だけのために使うなんて罰が当たりますって! 力あるものは力無きものを救済する義務がある……そうは思いませんか?」

「……」


 吉村さんの言うことには筋が通っているし、僕だってできることならこの力を人のために使いたい。


「あっ」


 唐突に、吉村さんは言った。


「そろそろ行かないとまずいですね……。とりあえず、資料だけでもお渡ししておきますので、ご検討の程よろしくお願いします」

「え? あの……」

「では失礼します。またお会いしましょうね」


 吉村さんはそそくさと出て行った。

 しばらくしてドーンと扉を無造作に開ける音がして、山吹先輩が部室に入ってきた。そして僕の方を見て舌打ちした。


「チッ、逃げられたか。あの野郎〜」

「え、ええ?」

「リンちゃんが知らせてくれたんだ。吉村の奴が部室に来ているとな」

「吉村さんと、お知り合いなんですか」

「不本意ながらな。サークルへの勧誘がうるさすぎて、私がちょっと意趣返しをしてからというもの、犬猿の仲になったよ」

「い、意趣返し」

「とにかくあいつはあや研には出禁だ。これからは話を聞いたりするんじゃないぞ」

「何故ですか? 言っていること自体はそれなりにまともだったと思うのですが」

「あんなもん詐欺だよ、詐欺」


 山吹先輩はどっかと椅子に座ってポテトチップスの袋を豪快に開けた。


「詐欺、なんですか?」

「天陰の会ってのはな、バックに怪しげなカルト宗教が控えてるんだ。どうもその宗教ってのが、あやかしとの関係者を研究材料として、良いように使っているらしい。その目的が何かは知らんがな」

「山吹先輩でも分からないのですか」

「前に勧誘に来た時に、吉村の過去を読んだが、それらしい情報は入ってこなかった。あいつは勧誘のために働いているだけで、たまに研究に協力している程度だ。つまり下っ端だな」

「……」


 僕は束の間、俯いた。


「……あやかしの力を研究するのは、悪いことなんでしょうか」

「悪いとまでは言わない。だが……」


 山吹先輩は腕を組んだ。


「あやかしが万人には見えない……むしろ見える奴の方が希少ってところを踏まえると、客観的事実に基づくことができない点で疑問が残る。まあそれでも研究したけりゃすれば良いが、天陰の会のそれはちょっと異様だな」

「異様?」

「被験者が人権を蹂躙されてる感じだし」

「ええっ!?」

「そのうちあやかしテロでも仕掛けそうな雰囲気だ」

「テロ……!?」

「室井くんも見てみないか? 奴らの本拠地で何が行われているのかを」

「本拠地ってどこですか? 場所が分かれば見ることができますが……」

「それも過去の情報から読み取り済みだ。横浜の……ここだな」


 山吹先輩は地図アプリを開いて僕に見せてくれた。


「へえ、そんなところに本拠地が……。てっきり東京にあるのかと」

「都内だと別のあやかし関連の団体の目が厳しいからな。横浜だってそれなりにリスキーだが、まあ東京よりはましなんだろう」

「あやかし関連の団体ってそんなにたくさんあるんですか」

「ん〜、私が把握しているだけで、首都圏に二、三個かなあ」

 へえ、と僕は感心した。

「知りませんでした」

 僕はあや研に入るまで、あやかしとはほとんど縁が無かったのだ。だが思ったより、あやかしを通じたネットワークは存在するらしい。

「ま、とりあえず見てみなよ」

「そうします」


 僕は目を閉じて、山吹先輩が地図で示した場所を探し当てた。

 その建物の一階は、仏教やらキリスト教やらがごちゃまぜになったような奇怪な祭壇があり、壁際には何者なのか分からないものをかたどったオブジェが堂々と並べられていた。確かにちょっと変わっている。


 二階に目を移すと、大きな広間があって、そこでたくさんの人たちが和気あいあいと昼食を摂っていた。

 三階にはまた不思議なオブジェや椅子が置いてあったが、人は誰もいなかった。


「ちょっと変わった所だとは思いますが、特に怪しい点はありませんね」

 僕は目を閉じたまま言った。

「まさかぁ。奴らはあやかしを使った実験とかをたくさんやってるぞ?」

「実験……!? いや……今はやっていないようですね」

 僕は目を開けた。


「たまたま今は何もやっていなかったのか、それとも山吹先輩の読み違いか……」

「何だって!」

 山吹先輩はやや憤慨したように言った。

「私のことはともかく、管狐たちの力を信用してくれないとは!」

「あ、いえ、山吹先輩のことも管狐たちのことも、信用してますよ」

「ならば先程の発言は撤回したまえ」

「わ、分かりました。すみませんでした」

「うむ、よろしい」


 山吹先輩は鷹揚に頷いた。


「それなら、天陰の会は、たまたま今は何もしていなかったということでしょうか」

「うーん、もしくはあれだな。弥生のようなパターンだ。強力な蜃気楼を使って、室井くんに幻を見せている可能性」

「ああ、なるほど……。蜃ってそんなに何匹もいるものなんですか」

「いるよ。管狐だって河童だって、山ほどいるさ。室井くんの場合は特別だけどね」

「……そうですね」

「とにかくあの女が……吉村香穂子が来たら追っ払え。他の天陰の会の連中が来ても相手にするなよ」

「そうですか……」


 僕は山吹先輩から目を逸らした。


「何だか不服そうだな」

「……契約したものを人のために役立てるっていうのは、間違っていないと思うんです。僕も、最初はそう思っていましたし……」


 ふむ、と山吹先輩は腕を組んだ。


「そのせいで室井くんはいじめられたんじゃなかったか?」

「そうですけど、もっとうまくやれば、人の役に立てるんじゃないかと思って」

「流石、神で仏の室井くんは、考えも立派だな」

「うっ……」


 何だか言い方が刺々しい気がする。山吹先輩にそんな風に言われると少し凹む。


「駄目ですか?」

「私には室井くんのやることに口出しする権利は無いけどね、やるならせめて報酬をせしめなさい。千里眼をどう役立てるか知らんが、報酬無しの慈善事業ばかりやっていたら、いつかパンクするぞ」

「山吹先輩は、その、パンクしたことがあるのですか?」

「無いよ。私はいつだって見返りを要求するからね」


 僕は今までの山吹先輩の言動を思い返しながら、頷いた。


「だからパンクするってのはただの直感だ」

「へえ……」


 さて、と山吹先輩は立ち上がった。


「もうすぐ十一月、即ち学園祭だ。そろそろ展示物の総仕上げにかからなくては」

「はい」


 僕は床いっぱいに広がった模造紙に描いてある、河童の絵を見た。絵はみんな山吹先輩が描いたものだ。これが驚くほど上手い。

 僕は絵を描いてはいけないとのお達しがあったので、専らパソコンでの資料作成に勤しんでいる。山吹先輩はというと、絵も描くし調べ物もするし資料作成もやるしで、目まぐるしく働いている。勉学の薬をもらっただけはあるな、と僕は思っている。


 そんなこんなで忙しく活動をしているうちに、学園祭の当日になった。

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