第11話 ただ一人の人
山吹先輩はお菓子の入った段ボール箱から、チョコレートの詰め合わせを出した。僕は紙コップにサイダーを入れて、自分と先輩の前に置いた。
「さて、何から話そうかね。誘っておいて何だが、大した話じゃないんだよ」
山吹先輩は悩ましげに机に肘をついた。
「篠田さんは、どうしてあや研を辞めてしまったのですか?」
「それなあ。原因ははっきりしているんだよ。私のせいだ」
「何か関係が悪化するようなことがあったのでしょうか」
「そう。……私はね」
山吹先輩はふっと遠い目をした。
「管狐使いの家に生まれて、周りの大人はみんな管狐を使っていて、それが当たり前の世界で生きてきたんだ。もちろん、一般人には管狐のことは隠していたよ。でも同じあやかし使いなら、私のことを分かってくれるはずだと、……私と似たもの同士に違いないと、勘違いしてしまったんだ」
「と、言いますと」
「簡単に言うと、私は弥生が知られたくなかった過去を言い当ててしまったんだよ。ふとした会話の中でね」
「ああ……」
僕は妙に納得してしまった。何しろこの先輩は、出会った初日に、僕がひた隠しにしていた千里眼のことを易々と見抜いてきたのだ。
「実家では、プライベートなんてほとんど無かった。父親は私が学校でどんな体験したかつぶさに知っていたし、私も同様に両親のことを知っていた。だからかな、同じくあやかし使いと思って気が緩んでね、つい言ってしまった。そうしたら、普段はおとなしくて穏やかな弥生が、ひどく怒ってね。最初は私も頭を下げて謝ったんだが、弥生の怒りは収まらなかった。ひたすら責め立てられているうちに、私もだんだん腹が立ってきてしまった。それで、喧嘩になったんだ。……この歳になって、あんな子どもみたいな口論をすることになるとは、思っていなかったよ」
「はあ……」
だんだん腹が立ってきたという辺りが、山吹先輩らしいなと僕は思った。メンタルが強く、己の身を守る方法を知っている。これが僕だったら、謝りっ放しで、傷つきっ放しで、とても言い返すことなどできないだろう。どちらがより良いか、という話ではないが。
「そして弥生は、管狐使いと一緒に活動することの恐ろしさに気付いてしまってね。あの時は私が口に出したから判明したが、もちろん私が口に出さずとも把握している過去など山ほどある。自分が隠しておきたいあれやこれやを、顔を合わせるだけで見抜かれてしまうなんて、嫌なものだろう? 結局そういう理由で、弥生は辞めてしまったというわけ。そして私のことを極端に避けるようになってしまった」
「なるほど」
「どうだ。室井くんも怖くなったか」
「え?」
僕は山吹先輩を見返した。
「いや、別に……怖くないです」
「何故?」
「何故って……山吹先輩は優しい人ですから」
「は?」
「仮に何か僕の過去のことを知っても、それを悪用したりしないじゃないですか」
「へ?」
「それにさっきだって、『読まないで』って頼まれたら、ちゃんと読まないでいましたよね」
「……」
山吹先輩は僕の目をじっと見た。それから、ふっと吹き出した。
「あっはっは!」
山吹先輩は大口を開けて笑った。
「先輩?」
「いやー、まさか私のことを、優しいだなんて言う奴がいるとはな! 思いもしなかった! いやはや!」
「え? 違うんですか?」
くっくっくっ、と先輩はまだ笑っている。
「いや、意地が悪いとか、性格が悪いとか、変な奴だとか、そういうのは山ほど言われたことがあるけどね。優しいは初めて聞いたよ! びっくりだ! 君、ただの善人を通り越して、本当は大間抜けなんじゃないか?」
「そ……そこまで言います?」
「ああ……だって私、何か君に優しいことでもしたかね?」
「ええ、そりゃもう、たくさん」
「たくさん!?」
「人付き合いが苦手なこんな僕を、あや研に誘ってくれましたし。それにこうしてお話もしてくれますし、大学のことを色々と教えてくださいますし。とても優しいと思います」
「うーん、そうか」
山吹先輩は腕を組んだ。
「君からはそう見えているのか……。室井くんはつくづくおかしな人だな。ふふっ、面白い」
「そんなに……?」
「それはそれとして、自分のことを『こんな僕』だなんて言うのはよしなよ、室井くん」
「……どういうことですか?」
「どうもこうもない。必要以上に自分を卑下するのは、謙遜とは違って、美徳ではないぞ。室井くんはもう少し自分に自信を持った方がいい」
「で、ですが……」
「ですが、じゃない。室井くんも大して気にしないようだし、この際だから言っておくがね」
山吹先輩はサイダーをごくりと嚥下した。
「君が過去にいじめられたのは、君が価値の無い人間だからではない。君はあんな扱いを受けて良いほど矮小な存在などではない。室井くんは立派な一人前の人間であって、その尊厳は簡単に踏み躙られていいものではないんだ。だからいじめは君のせいじゃない。君は何一つ悪くない。聖人君子だし」
「……僕が、千里眼を持っていてもですか?」
「それを君が言うか? さっき君は、私が管狐使いと知った上で、優しいと言ってくれたじゃないか」
「……」
僕は反論できずに俯いた。
「……何か、吐き出したいことがあるなら、私で良ければ話を聞くが?」
「でも、山吹先輩は全部ご存じじゃないですか」
「そんなことはない。過去の行動は読めても、その時のその人の心情までは読めないからね」
「そうなんですか? でも、今……」
「今、室井くんの気持ちを言い当ててみせたのは、単なる推測だよ。室井くんの言動から察するに、こう思ってるんじゃないかっていうね」
「……そうですか」
頭が良い人だ、と僕は思った。僕のことをそんなに観察するなんて、物好きな──などと言ったら、また注意されてしまうだろうか。
「それに、自分の気持ちは自分の口で話した方がすっきりするだろう」
「……」
「別に、強制じゃないよ。言いたくなったら言えばいい。言いたくなかったら言わなければいい。私は室井くんがどう判断しようが、一切気にしない」
僕は上目遣いに山吹先輩を見た。
「……少し、考えさせてください」
「ああ、構わんよ」
「ありがとうございます」
「礼を言うことではない。誰にどこまで話をするかなんて、人の自由だからね」
「……はい」
僕はチョコレートの袋の中からビターチョコレートを取り出して、口に含んだ。もぐもぐと口を動かしながら、また山吹先輩を見る。
やっぱり優しい人じゃないか、と思った。優しくて、面倒見が良い。
確かに、他人を笑い物にしたり、口が悪かったりと、ちょっと意地悪な面も無きにしも非ずだが……そんなのは些末な問題だ。
僕に対してこんなに優しい人間なんて、現状、家族以外には山吹先輩しか居ない。それも、千里眼のことを知っていながら優しくしてくれる人となると、この世に山吹先輩ただ一人だ。
出会ってまだ数ヶ月しか経過していないのに、既に山吹先輩は僕の中で、かけがえのない、なくてはならない人になっている。
こんな人に、一生のうちに出会える確率なんて、決して高くないのではないか?
そんな奇跡のような人に何も言えないのだとしたら、僕はこの先、誰にも、決して、悩みを相談できないのではないか?
もちろん、悩みを打ち明けるのには、相応の勇気が必要だけれど……事情をある程度知っている人になら、あるいは。
「あの、山吹先輩」
僕は絞り出すような声で言った。
「ん? 何だ」
「やっぱり、少し、僕の悩みを聞いてくださいますか」
「おう、いいぞ。どうした」
山吹先輩は真っ直ぐ僕のことを見た。
僕はうっと言葉がつかえるのを感じたが、無理矢理それを押しやって、話し始めた。
「僕が、千里眼の能力を得たのは、中学一年生の時だったんですが……」
「うむ」
「能力のことを理解できた時に、真っ先に思ったのは、この能力を何か人の役に立つことに使えないかっていうことだったんです」
ふふっと山吹先輩は軽く笑った。
「室井くんらしい考えだな。素晴らしい。とても良いと思う」
「それで……実際に、そうしてみました」
「うん」
「でも、そうしたら、予想もしていなかったことが起こったんです……」
何年も前の話なのに、未だに思い出すと胸が痛む。それでも僕は、懸命に話した。
僕が当時思ったことと、その後思ったことを、一つずつ、丁寧に。
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