第3章 天狗の失くし物と、お寺の話

第7話 部屋の掃除のこと

「うわっ」

 僕が英語の講義の予習のために部室に顔を出すと、そこにはもうもうと埃が舞っていた。僕はたまらず、涙目になって咳き込んだ。

「ぐへっ、ごほっ。どっ、どうしたんですか、山吹先輩」

 埃の中から山吹先輩がひょこっと顔を上げる。

「おお、室井くん。丁度いい所に来たね。悪いがちょっと手伝ってくれ」

 山吹先輩は四つん這いになって、本棚の下の段に頭を突っ込んでいた。

「構いませんが……探し物ですか?」

「水木しげるの『妖怪大百科』を探しているんだよ。この辺にあったと思うんだが、どうも見つけることができなくてね……ちょっと『見て』くれないか」

「あ、はい」


 僕は目を閉じた。妖怪大百科、と念じて、千里眼で部室内を隈なく探す。


「先輩、あのですね」

「おう」

「一つ隣の棚の一番下の段です。埋もれてます」

「おお、そっちだったか」

「僕が出してきますね」


 僕は埃を被った本たちをどけて、奥の方にある目的のものを取り出した。部屋の空気はより悪くなった。


「はい、どうぞ」

「助かった。ありがとう」

「何でこれを探してたんです?」

「大したことじゃないんだ。前に読んだからふと読み返したくなってね。ほら、絵がなかなか良いだろう」

「へえ、初めてちゃんと見ました……。流石、漫画家さんですね。凄い……ゴホン」


 僕はまた咳をした。


「それにしても、埃、多すぎませんか」

「あんまり掃除とかしてないからな」

「駄目じゃないですか。ここはお菓子なんかも置いてるんですから、虫が湧きますよ」

「そうだな。掃除、するか……はあ……」

「嫌そうですね」

「掃除とか片付けは苦手なんだよ」

「だからって、やらないのは良くないですよ。僕、窓を開けてきますね」


 僕が机の向こうに身を乗り出して窓を開け放った時だった。


 ドンドンドンと激しく部室の扉が叩かれた。僕らはびくっとした。


「誰?」

 山吹先輩が気怠げに問う。

「ええと、見てみます。……うわあ」

 僕は目を閉じたまま後ずさった。視界に飛び込んできたのは、真っ赤な顔に長い鼻、背中には黒い羽を生やした、人ほどの大きさの人ならざるものだった。

「何だ?」

「ええと、天狗さん……? ですかね……」

「天狗ぅ?」

「如何にも」


 閉まっているドアからにゅっと出現したのは、紛うことなき天狗だった。だが、想像よりも衣装が地味な気がする。鈍い青色をした、まるで作務衣みたいないでたちなのだ。天狗になるということわざの通り、天狗というのはいつも偉そうで立派な服を着込んでいるという先入観があったから、この天狗の格好にはやや驚いた。


「我が名は源氏山胡弍坊げんじさんこにぼう源氏山げんじやまを縄張りとする天狗である。そなたらには特別に、胡弍坊様と呼ぶことを許そう」

「源氏山? 聞いたことないな……」


 山吹先輩はさっとスマホを出して検索した。


「あ、やっぱり鎌倉か。源氏だもんなあ。……というか、山、ちっさいな。こんな小さい山にも天狗が居るのか」

「黙れ小娘。我は立派な天狗なるぞ。敬え!」

「いや、神や仏ならいざ知らず、身分の低そうなあやかしを敬う気にはなれん」

「何を言うか。無礼であるぞ!」

「知らんわ。で? 何でわざわざ鎌倉くんだりから、都内のここまで飛んできたわけ?」


 ふふんと胡弍坊はふんぞり返った。


「そなたらには名誉な役目を与えてやろう。実は先日、羽団扇はうちわを落としてしまってな。これが無ければ如何に天狗でも力が弱まる。それに、拾って悪用する輩も居らんとは限らん。悩んでいた時、とある化け狸からそなたの千里眼の話を聞いてな」

 胡弍坊は僕の方に顎をしゃくった。

「そなた、千里眼を使えるのであろう? 取り急ぎ我の羽団扇を探せ。直ちに!」

「そうですか。いいですよ。って、痛っ」


 山吹先輩が容赦なく僕の頭をバシンと叩いたので、僕は身を縮めて頭を押さえた。先輩は僕の頭に肘を乗せた。


「何するんですか」

「悪いけどこっちも慈善事業じゃないんでね。まず、陰の世界に落ちていた場合は探さない。室井くんが探すのは陽の世界だけだ」

「うむ、それで構わん」

「それと、何か相応の報酬を出してもらおうか」

「報酬、とな? この我の依頼を受けさせてやるだけで名誉なことだとは思わんのか」

「当ったり前だ。こっちが手間暇かけて探してやるんだから、ちゃんとした礼くらい用意するんだな」

「ふむ」


 胡弍坊はようやく神妙な顔になった。

「しかし土産など持ってきておらぬな。ならばこれでどうだ」


 胡弍坊は自分の背中に手を回すと、生えている黒い羽からブチッと羽根をむしり取った。

「えっ?」

 僕は意味が分からず間抜けな声を出した。痛くないのだろうか。

 胡弍坊は手のひらに乗せた三枚の小さな羽根にふっと軽く息を吹きかけると、僕に押し付けてきた。


「あ、はい。……何ですか、これ」

「我の羽根だ」

「あの、それは、拝見していたので分かりますが……何に使うものなのでしょうか」

「ふん。無知な小僧め。良いだろう、教えてやろう。それは小型の羽団扇と思っておいて構わん。小さな風ならば、それを一振りするだけで、自在に起こせるぞ」

「へえ……? 凄いんですね」

「そうだ。もっと褒め、崇め奉るがいい。どれ、試しに三枚合わせて振ってみよ」

「やってみます」


 僕は羽根の根元をまとめて持つと、ふわっと小さく仰いでみた。

 途端に部室に清涼な風が吹いて、舞っていた埃や積もっていた埃が、みんな窓の外に飛んでいってしまった。


「おおーっ」


 僕らは声を揃えた。心なしか空気も清浄になった気がする。息がしやすくなった。


「いいな、それ! 無くさないように輪ゴムか何かで留めておこう」


 山吹先輩は食べ散らかした購買のお弁当についていた輪ゴムで、その黒い羽根を留めた。立派な品なのに、何だかチープな見た目になってしまった。


「うんうん、良い気分だ。掃除が一気に楽になった! これなら羽団扇を探してやるにやぶさかではないと思うが、どうかな室井くんは」

「もちろん、探して差し上げますけど……」

「だそうだ。胡弍坊、良かったな」

「様をつけて呼べ」

「断る。それなら、悪いが室井くん頼むよ」

「はい。あのそれで、胡弍坊さん……じゃなくて、胡弍坊様。羽団扇とはどういう形状のものですか」

「それはだな」


 胡弍坊様は悲しそうな顔をして語ってくれた。


「我の羽根の中でも特別に長いものを厳選して作り上げた団扇なのだ。黒い羽根が十一枚、綺麗に並んでおる。持ち手の部分は、源氏山で手に入る竹を加工したもので、綺麗な緑色をしておる。そして羽根と柄の繋ぎ目には、巴紋の彫刻がある」

「巴紋……ですか? それはどのような物でしょうか」

 僕の質問には山吹先輩が答えた。

「あるだろう、陰陽道の思想を示した、伝統的なあの紋様だ。あの、おたまじゃくしのような、勾玉のような、くるりとした模様が二つ合わさっている、丸い紋章だよ」


 うーん、と僕は考え込んだ。何となくイメージが浮かんできた気がする。


「はい、分かりました。あと、落とした場所に心当たりはありますか?」

「うむ、源氏山のどこかということは分かっておる。あの日は特に出かけたりはしておらんかったからな。誰かが持ち去ったとなると、話が別だが」

「承知しました。では、探します」


 僕は再び目を瞑った。源氏山にフォーカスを当てて一通り探ってみる。

 意外にも源氏山は結構人の手が入っていて、段差が整備されていたり、柵や橋が設けられたりしている。そして時折、獣道を人が通っていく。その道から木の生い茂る場所へと外れ、隈なく見てみたが、それらしきものは無かった。

 僕はいくらかしょんぼりして、目を開けた。


「すみません、源氏山には無いようです」

「誠か。きちんと隅々まで探したのか」

「はい」

「そうか……では、何者かが持ち去ってしまったのか。これはまずいことになったな」


 胡弍坊様は腕を組んだ。


「探し直しますか? 僕、割と世界中どこでも見に行けるので、念じれば見つかるはずですよ」

「うむ、やってみたまえ」

「はい」

「……室井くん、人がよすぎるのも考えものだぞ」

「いいんです、お役に立てるならそれで」


 そして僕はまた千里眼を使った。胡弍坊様の羽団扇の場所、と念じると、案外あっさり、それらしき物が見つかった。

「ああー」

 僕は残念に思って声を上げた。

「どうした、小童」

「胡弍坊様、羽団扇は今、何者かが持ち歩いています。場所は、ええと……」

 僕はスイーッと見ている景色からズームアウトした。何故か、電車の中の様子が見えてきた。団扇を持っている人間は、電車で移動中のようだ。

「電車です。どこの路線だろう……」

 更にズームアウトして、日本列島を一部見下ろせる位置まで見てみる。

「えーと、この形は……多分、紀伊半島の……奈良県?」

「奈良!? そりゃまた遠いな」

 山吹先輩はぶったまげた様子だった。胡弍坊は険しい声で問う。

「奈良のどこだ」

「えっと、北の方です。うーん、何と説明したらいいかな……移動中なので何とも……」

「説明しづらいか。ならばそなたの心を見通しても構わんか?」

「心を、見通す?」

 僕は目を開いて、胡弍坊様の真っ赤な顔を見た。胡弍坊は大仰に頷いた。


「我は天狗であり、神通力の持ち主ぞ。他心通の力を使えば、相手の心を読み取ることもできる」

「へえ……そういうことなら、どうぞ、読んでください」

「待て待て」

 山吹先輩が割り込んできて言った。

「室井くん。何度も言っているはずだが、いい加減、不用心に何でもかんでも承諾するのはやめないか。心を読み取られるということの意味が分からないのか? プライベートが侵害されるんだぞ。まあ、私も他人のことを言えた立場ではないが」

「うーん」

 僕は首を捻って考えてみた。

「別に、いいですよ。変なことなんて考えてませんし」

 ハアーッと山吹先輩は息を吐いた。

「これだから聖人君子は……」

「聖人君子じゃないです」

「まあ、何でも良い。君が良いと言うならそうすればいいさ」

「よし」


 胡弍坊様が山吹先輩を押し退けて前に出た。やや身を屈めて、僕の額の辺りに視線を定める。


「では、読むぞ。他心通、そうれっ!」

「わっ」


 僕は様々な思考が頭の中を錯綜するのを感じた。しかしそれも一瞬で、すぐにさっき見た奈良県の人里の様子が思い浮かんだ。胡弍坊様はじいっとその風景を読み取っているようだ。


「うむ、よろしい」

 胡弍坊様は僕を見つめるのをやめた。


「場所は分かった。あとは我らで取り返しに行くのみだ。何、神足通があれば目的地までひとっ飛びよ。安心せい」

「おい」


 山吹先輩が低く言った。


「我らって言ったか? 私たちもついて行かなきゃならんのか? 一人で行けばいいだろう」

「おや、そこの小娘は、我が授けた団扇の恩を忘れたか? 力を貸すのが嫌なら、羽根を二枚返してもらおうか」

「……。……分かった。行こう」


 山吹先輩は渋々といった様子でそう言った。余程、掃除が嫌いらしい。

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