第6話 友達がいない件
元気になって、体の透けも金色の光もなくなった僕は、店員さんにお礼とお詫びを言い、美津さんにお別れの挨拶をして、山吹先輩と電車に乗った。
「今日はすまなかったね、室井くん」
山吹先輩は、向かい側の窓から見える景色をぼんやりと眺めていた僕に、そう言って詫びた。
「え? 何がですか?」
謝られるとは思っていなかったので僕は少しばかり驚いた。
「だから、私が無理な頼み事をしたせいで、室井くんは倒れてしまったじゃないか」
「ああいえ、何も気にしてませんから。逆にすみません、御迷惑をおかけしてしまって」
「……何故君が謝るんだ? これは、この依頼が室井くんにとって負担になることだと気づけなかった、私の落ち度だ」
「いえ、決してそんなことは……」
「逆に室井くんはきちんと役目を果たしたのだから、誰も文句は言わないと思うぞ」
「……そうですか……」
「そうだ。室井くん、人が善すぎるのも問題だぞ。今回のように痛い目を見る羽目になるかも知れない」
「う……」
僕は昔のことを思い出して、一瞬硬直した。
「……分かりました。気を付けます」
「そうしてくれ」
やがて僕たちはそれぞれの家がある方面の電車に乗り換えるため、軽く挨拶をして別れた。
僕はぼけーっと電車の座席に座りながら、考え事をしていた。
そういえば、今日は、魂というものを初めてこの目で見た。あれは、狸の姿をしていた。
人間の魂は、人間の姿をしているのだろうか。てっきり、もっとちっぽけなものだと勝手に想像していたけれど。
人間と契約したあやかしが、人間の死後にその魂を食べられる、という決まり事は、思ったよりあやかし側にメリットが大きそうだ。さぞかし食いでのあるご馳走なのだろう。
魂が食べられてしまったら、やはり天国とかには行けないのだろうか。きっとそうなのだろうな。輪廻転生が本当にあるのだとしても、もう生まれ変わることもなさそうだ。食べられてしまうとは多分そういうことだ。
少し、寂しい気もしたが、死後のことなど誰にも分からない。案外パクっと一息に喰われた方が、あれこれ苦労しなくて済むかもしれない。
それにしても、僕は一体どんなあやかしと契約を交わしたのだろうか。それらしきあやかしなど一切見かけたことがないし、そもそもあの長谷寺の空間にはあやかしどころか人っ子一人いなかった。
死んだ後、知らない奴に魂を喰われるのは何だか嫌だな、と僕は思った。
僕に能力を授けたあやかしが、僕の前に正体を現してくれたらいいのに。そうしたら、友達になれるかも知れないし、魂の一つくらい食わせてあげても良いって思えるかもしれないのに。
***
後日、時間が空いたので、調べ物でもやろうかと思って、僕は部室を訪れた。靴を脱いで入ってみると、奥では山吹先輩がもぐもぐと大福餅を食べていた。
「こんにちは」
「お、室井くん。こんにちは。ちょうどよかった。こっちへおいで」
「はい」
僕は山吹先輩の向かいの椅子に座った。山吹先輩は、大福のたくさん入った箱を僕の方に寄せた。
「さっき、化け狸の美津さんがわざわざ来てくれてね。追加で報酬をもらったんだ。鎌倉の老舗の和菓子屋のものだそうだよ」
「あ、そうなんですね」
「ただ、どうもあやかしの感覚は人間と違うらしいな。賞味期限の短い大福を十二個ももらっても、二人じゃ食べきれないということにまで思い至らなかったようだ」
「あ、あはは」
「だから室井くん、良ければ友達にでも配ってくれていいよ。というか配ってくれ」
「いえ、僕、友達いないので」
「……」
山吹先輩は急に真面目な顔になった。
「……そうか。それは仕方ないな。それなら私が同じゼミの人たちに配っておくよ」
「お願いします」
「まあ、とりあえず食べてみたまえ。美味いから」
「はい。頂きます」
僕は大福を箱から一つ取って、齧ってみた。うん、皮はもちもちしていて、餡子は甘さ控えめで、とても美味しい。
「今、お茶を淹れてあげよう。少し待っていてくれ」
「あ、お茶くらいなら僕が自分で……」
「いいからいいから。室井くんは座っていなさい」
「……はい……ありがとうございます」
「どういたしまして」
山吹先輩はマグカップに緑茶のティーバッグを入れると、ポットからお湯を注いで、僕の前に置いてくれた。
「熱いから気をつけろよ」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても室井くん。友達いないのか」
「そうなんですよ」
「大学では今は共通教養を履修しているんだろう? 同じクラスの奴と話したりしないのか」
「……あんまり……。挨拶程度です」
「まあ、君の交友関係に口を出すつもりは無いけどね。友達は作っておいた方がいいと思うな。せっかくの楽しいキャンパスライフなのだから」
「ど……」
僕は俯いた。
「どうやって話しかけたら良いのか分からなくて……」
「ふむ? あれか、いわゆるコミュ障という奴か。こうして私と話している限りでは、そんなことはないと思うんだがな」
「そう、ですね……」
共通教養のクラスのように、同年代の人たちが一同に会してわいわいする雰囲気が、僕は苦手だった。理由は、わざわざ僕から話さなくても分かるだろう。山吹先輩は管狐使いなのだから。
僕は先輩から目を逸らして、マグカップに入った緑茶を飲んだ。
「そう言う先輩は、お友達、いらっしゃらないんですか」
そう問うたのは、山吹先輩がいつもこの部室に入り浸っているからだ。山吹先輩は、僕が部室に行くと、必ずそこにいる。講義をちゃんと受けているか心配になるほどに、絶対にここにいて、柳田國男の本やら何やらを読み漁っているのだ。
だが山吹先輩は自信満々に腰に手を当てた。
「おう、舐めるなよ。同じゼミの人とは、お喋りをしたり出かけたりもするぞ」
「あ、そうなんですね」
意外……と言っては失礼に当たるか。ともかく山吹先輩は、あやかしだけでなく人間とも交流がある、と。
「……ゼミといえば、先輩はどこのゼミの所属なんですか?」
「日本文化史!」
「ああ……」
さもありなん、といった感じだ。山吹先輩は、大福の箱の脇に置いてあった『遠野物語』を、ぽんと叩いてみせた。
「あやかしの研究となると、例えばこの柳田國男の研究のように、民俗学でやるのが定番だ。でも残念ながら民俗学のゼミはこの大学には無いし、私は私で違う視点からあやかしを分析したくてね」
「違う視点?」
「室井くんも分かっているだろうが、科学というのは必ず客観的な事実に基づいていなければならない。だがあやかしというのはほとんどの人が視認できないから、客観的な証明は不可能だ」
「はい」
「そして、私が真面目に民俗学をやろうとすると、どうしても、自分だけが見聞きした事実というものがノイズとなって立ちはだかる。民俗学は今現在信じられている文化についても扱う学問だからね。その点、歴史学は違う。歴史学は必ず過去の文献や史料に基づいて過去を探って、歴史を解釈していく学問だ。過去のことならノイズは無くなる。昔の人がどのようにあやかしを見たり信じたりしてたのか、れっきとした史料をもとに考えることができる」
「なるほど。昔の文献なら確かに、証拠を探すことができますね」
「そういうこと。室井くんは? 何か興味のある研究テーマがあるのかな?」
「いえ、まだ何とも。これからじっくり決めようかと」
「ふむ。それもまた良いね。選択肢が広いのは良いことだ」
「はい」
「進級してゼミに入れば、少人数で講義を受けられる。自然と友達ができることだろう。あまり気負いする必要は無いと思うよ。ゆっくりやりな」
「……はい」
僕は目を伏せて、齧りかけだった大福を口に押し込んだ。
友達……。
別にそんなもの、いなくてもやっていける。いない方が楽だと、何度思ったことか。
ただ、気の合う話し相手がいると楽しいのも事実だ。現に、今こうして山吹先輩とお喋りをするのが楽しいのと同じで。
僕はちらりと山吹先輩の方を見た。彼女は箱から大福をもう一つ取り上げて、大口を開けてかぶりついていた。
……大学初日に、クウちゃんに見つけてもらえて、良かったと思う。もしあれが無かったら、僕は本当に、最初から孤立無縁でキャンパスライフを送ることになっていただろうから。
千里眼も悪いことばかりではないな、と思い直す。山吹先輩や美津さんの役にも立てたことだし。誰かの役に立てるというのは、それだけで嬉しいものだ。
僕は山吹先輩に倣って、大福をもう一つ箱からつまんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます