第22話 美波の苦手なもの
美波には苦手なものがあるという。
「桃太郎?」
美波が帰宅したあとの接骨院の二階にて。柊と姫で夕食を取っていると、姫が話題に出してきて柊は首をかしげた。
「さっきやっていた国語ドリルで桃太郎の話が出てきたら、美波が微妙な顔をしておった。あまり好きな話ではないらしい」
「桃太郎が苦手って、あんまり聞かないね。苦手な動物が出てくるのかな」
犬、猿、
「まさか……鬼?」
前回、彼女の通う学校が隠り世に捕らわれたとき、彼女の中に『鬼』が潜んでいることが分かった。
もしかして、彼女の中に居るものが無意識のうちに精神に作用して、鬼を退治する話に嫌悪感を感じているのだろうか。
すると姫は首を横に振った。
「鬼はたぶん関係ない。おじいさんが山へ行き、おばあさんが川に行くのが嫌だと言っていた」
「山に行くのが嫌で、川に行くのが嫌……?」
柊は眉をひそめる。雀をいじめるおばあさんの行動が許せないなどの乱暴狼藉に対してならまだしも、山や川に行くというありふれた行動に嫌悪感を持つのは珍しい。
「美波ちゃんは理由とか言ってた?」
「うむ。『あははーちょっとね』と言っておったぞ」
声真似をするでもなく棒読み調で姫が答える。柊は
「ちょっと、か。ナイーブな理由なのかもね」
「我が子供だからだろう」
「そうかな。例えば山や川には虫が多いからとかいう気楽な理由だったら、俺なら姫に話すし、美波ちゃんも話すと思うよ」
子供には、あるいは子供でなくても他人に軽はずみに言えない、込み入った理由があるのだろう。
そういえば彼女の祖母から聞いた話では、小学生時代に学校に通えず家に引きこもっていた時期があったという。その辺りと関係があるのかもしれない。
「ひーらぎの術で理由は分からぬのか?」
「道具さえ
「ふーん。そういうものかのう」
「今後も人間関係を良好に保ちたいならね。姫もこの先長いんだから、人間らしい生き方を身につけようか」
「美波とはずっと仲良くしたいのう」
姫が無邪気に感想を述べるので、柊は穏やかな笑みを浮かべた。
それからくるりと話題を変える。
「まあとにかく、美波ちゃんとどこかに行くなら山や川は避けた方がいいということだね」
「おお! ついにデートに誘うのだな!」
「あはは、こんなおじさんにデートに誘われても美波ちゃんは喜ばないでしょ。さっきも言ったけどお礼をしなきゃと思ってるんだ」
姫もいるし遊園地とか水族館が無難かなあ、などと柊は思案する。
それ見た姫はやれやれとため息をついた。
「喜ぶと思うんじゃがのう」
「あ、姫は水族館の方が嬉しい?」
「勝手耳にもほどがあるぞ」
などと次の休みのレジャーを考えながら、
そんな会話をした翌日のことだった。
いつものように夕方近くなって、美波が学校帰りに治療院へやってくる。
その彼女が開口一番に言った。
「先生、山に行きたいの」
「え?」
診察を終えて待合室に出てきた柊に美波が突然声をかけてきたので、柊は驚いて目を瞬かせた。
「昨日、今度お礼にどこか連れてってくれるって言ってたでしょ? 一旦は断っちゃったけど、行ってみたい山があって」
山や川は避けようと昨日話したばかりだったのもあって、柊は
その様子に美波の方が怪訝そうな顔をした。
「先生どうしたの?」
「あ、いや……美波ちゃん、山とか川が苦手なんでしょ? 桃太郎の話がどうとかって昨日姫から聞いてて」
「ああー」
美波は苦笑いを浮かべると、そのまま言葉を続けた。
「両親が亡くなった場所なの。父は山へ行って交通事故、母は川のそばで事故に遭って……。それでちょっと桃太郎の冒頭みたいだなって思って、あんまり好きじゃないのよ、あの昔話」
「そっか……」
「人が死んじゃった話なんて、小学生に話しても面白くないでしょ。だから姫には内緒でお願いね」
あっけらかんと笑う美波に、柊は微妙な気持ちで微笑み返す。
彼女の祖母から聞いた話では、両親が他界してまだ十年前後だ。吹っ切れたと言うには若すぎる。それでもこうやって生きてきたのだろう。
それなのに、山に行きたいとはどういうことか。
「行ってみたい山、ってどういうこと? 山なら適当にどこでもいいとかではなくて?」
柊は改めて尋ねた。すると美波はきょろきょろと周囲を見回す。
待っている患者が一人もいないことを確認すると、少しだけ声を潜めて彼女は言った。
「昨日、不思議な夢を見ちゃって……山に行かなきゃと思ったの」
美波の
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