第18話 黒い霧の正体

 放心したまま美波が両の手をじっと見ていると、

「美波ちゃん! 大丈夫?!」

「美波! 大丈夫か?!」

 柊と姫の声が同時にあがった。二人が美波の方へ慌てて駆け寄る。

 腰をかがめた柊は心配そうに美波の顔をのぞき込んだ。

「僕のこと分かる?」

「……月見里やまなし、先生?」

「よかったあ」

 美波が小首をかしげながらその名前を呼ぶと、柊は今度こそ安心してへなへなと座り込む。

「普通、意識のある人に使うことはない封印だったから一種の賭けだったんだ。でもこれしか手がなくて……本当にごめんね。美波ちゃんの意識が安定してたからだね、あんな大変な中でよく頑張ったね」

 ぽんぽんと頭を撫でられて、美波は思わずうつむいてしまった。

 そんな美波の顔を姫が下からのぞき込む。彼女はニッと笑うと、小声で美波に伝えた。

「美波、教えてやろう。それは吊り橋効果だ」

「え、吊りば……え?」

「吊り橋を渡るような危険な状況におちいると心拍数が上昇する。それを恋愛におけるドキドキと勘違いして相手を好きになってしまうらしいのう」

「ちょっ、急に何言ってるの! ち、ちちちち違うわよ! ていうかどこでそんなの習ってくるの!」

「ひさぎだ」

「ひさぎぃー!」

 まだ見ぬヒサギに憤りを覚える美波である。

 いたずらが成功したかのように姫がニヒヒと笑っていると、柊が声を掛けてきた。

「姫、周りはどうなってる?」

 柊の言葉に、姫はぐるりと辺りを見渡した。

「……ああ、もやもすべて取りはらわれておる。我も周囲がよく見えるようになった。外の邪気もこれに釣られて沸いていたのだろう。今ので消えておるから寅王も戻ってくるはずだ」

「じゃああとは門を閉じて帰るだけか」

 二人の会話に美波は首をかしげた。

「門? なんの話?」

 柊は今いる状況をかいつまんで説明する。今いる学校は亜空間であり、もともと学校があった場所にげ替えられていること。亜空間を作り出した門を閉じることによってすべてが元通りになること。

「それと、その門を閉じないと僕たちもここから出られない」

 柊は更に補足した。

「普通に学校の門からは出ることは出来ないの?」

「正しい手順を踏まないと迷い道に紛れ込んでしまうんだよ。入るのは簡単なんだけど。行きはよいよい帰りは怖い、ってね」

 わらべ唄の歌詞を口にしながら柊は立ち上がる。

「さて、じゃあ門を閉じに行こうか。美波ちゃん、立てる?」

 そう言って美波に手を差し出した。美波は一瞬押し黙ったが、うつむきかけたままその手に触れる。心臓がドキリと跳ね上がる。

 すると姫が耳打ちした。

「吊り橋……」

「だまらっしゃい」

 美波はぴしゃりと言い返したが、そのお陰か平常心を取り戻せたようだ。

 柊に手を引いてもらって立ち上がると、美波は制服についた埃を払った。それから尋ねる。

「門を閉じるって言ってたけど、もう場所は分かってるの?」

「ああ。僕はなんとなく方向が分かるくらいだけど、全部見えている姫ならもっと明確に分かる」

 柊の言葉に姫は「うむ」とうなずく。

「向こうの方に負の雰囲気が濃い場所がある」

 彼女が指さした方向に思い当たる場所があって、美波はハッと顔を上げた。

「私、放課後に化学教員室までノートを届けに行ったの。そのとき黒いドライアイスのきりみたいなものが、資料室のドアの隙間から出てきてて……」

「うん。そこが十中八九、門のある場所だね」

「案内するわ。こっちよ」

 美波は先を歩き始める。邪気はすべて消えていると姫が言っていたし、今は柊もいるので最早もはや怖いものはない。

 しかし美波には何かが引っかかっていた。

 美波を乗っ取ろうとしていた黒いもやに釣られて邪気が集まっていたと姫は説明したが、もやが可視化されたのは美波が一度気を失ってからだ。しかしその前から邪気はいたし、美波の周りに集まってきていた。

「つじつまが合わない気がする……」

 美波は思ったことを柊に尋ねた。すると彼は少し困ったような顔をした。

(美波ちゃんを乗っ取ったんじゃなくて、前から中に潜んでいた……って言ったらショック大きいだろうなあ)

 しかもさっきの術は、その黒いもやを追い払ったのではなく、再び彼女の中に閉じ込めたのだ。聞いたら絶対嫌な気分になるに決まっている。

「そのときはまだしっかり見えるほど濃くなかったんだよ。今はもう完全に気配が消えてるから、邪気が釣られて集まってくることはないよ」

「そっか……」

 苦し紛れにごまかした柊の言葉に、美波は納得してうなずきかけた。しかしすぐに「あっ」と声を上げる。

「資料室から出てたのも黒いもやみたいだったわ。あれでまた集まってくるんじゃ……」

 不安な表情を浮かべる美波に、柊は今度は確信をもって首を横に振った。

「それは大丈夫。その黒い霧こそが今いるこの空間そのものなんだ。だから今みても霧はなくて門だけがそこにあると思うよ」

 柊の言葉通り、化学教員室に到着したが問題の扉の隙間からはもう何も出ていなかった。

 柊は『門』と言ったが、そこに合ったのは床にチョークで描かれた怪しげな陣のみだった。

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