第19話 回り出す歯車

 そこからはあっという間だった。

 合流した寅王と一緒に、柊と子子ねねとの三人であっという間に儀式の準備をした。チョークで書かれた怪しげな陣の外側に、更なる陣を描いたのだ。本来ならしめ縄やさかきの葉があればいいんだけど、と柊は言っていた。

 柊が祝詞のりとのようなものを読み上げると、なんとなくもやもやとした嫌な気配が少しずつ収束していくのが分かった。

 柊たちが作った大きな陣の中にその気配がすべておさまったとき、急に目の前に化学教師たちが現れた。床の陣は消え、それがあった場所に折り重なるように三人の教師が倒れている。

「門は彼らが原因だったみたいだね」

 柊が口を開く。美波が心配そうに教師たちを見ていると、彼は「安心して」と言葉を続けた。

「放っておいてもそのうち意識が戻るから大丈夫だよ。今回はこの人たちが原因ではあるけど、彼ら自身が悪いんじゃなくて普段のストレスとか嫉妬とかいろんな負の感情が何かに集約されて、それが一気に爆発したんだろうね」

「そういえば、授業中に先生の周りに黒いもやもやしたものが浮いてた……」

 美波は化学の授業で見たものを思い出す。

「うーん。人自体が器になることは基本的にないから、その先生がなにか器になるものを持っていたんだろうね」

「え、じゃあまた……」

「ううん。さっきの術式でそれも壊れているから、もう同じことは起こらないよ。それよりも早く学校から出ようか。僕たちがこの時間までここに残っていることの方が問題になりそうだからね」

 窓の外はすっかり暗い。それに部外者の柊や姫が校舎内に土足で上がり込んでいるところを誰かに見られると面倒事になりそうだ。

 いまやかくの上書きが消されたこの学校内には、あの時点でまだ帰宅できていない教師や生徒が残っているだろう。

 美波もそれに気づいて、慌てて柊と姫の二人を資料室から押し出した。

「すぐに昇降口に案内するわね! ああ、でも私も靴履かないとだし」

 あたふたしだした美波に柊は笑うと、足元に控えていた子子ねねを見下ろした。

「子子、心配だから美波ちゃんについててあげて」

「かしこまりー」

「寅王はここまででいいよ、ありがとう」

あるじの意のままに」

 柊の言葉に返事をした式神たちに、美波はお礼を述べた。

「子子ちゃんも寅王さんも、ありがとうございました」

「……」

 寅王はしばらく無言で美波を見下ろす。そしてそのままスッと消えていった。

 子子が美波を見上げてくる。

「寅王、こわいひと。でも悪くないひと」

「……うん」

「子子は種が好きなひと!」

 その言葉に柊がハッと思い出す。

「帰りに種買って帰らなきゃ。でもこの時間だとペットショップも閉まってるかあ」

「種ってなんでもいいの? 佐々木のおじさんに聞いてみようか?」

 美波が尋ねる。ちなみに佐々木のおじさんは、美波と柊の家がある町で農業資材や種苗しゅびょうを取り扱う店をやっている人である。店は夕方には閉まってしまうが、自宅の方を尋ねればきっと品物を売ってくれるだろう。多少の融通が利くのが田舎町のいいところだ。

「わー助かる! 美波ちゃん、帰りはちゃんと車で送っていくからね。門のところで待ってるね」

「ありがと、月見里やまなし先生」

 それから一同はわたわたと校舎を後にした。誰にも見とがめられず無事に校門の外まで出られたのは幸運だった。

 柊たちは美波と合流するとすぐに車に乗り込んでその場を後にした。


 まさか、その一連の行動を観察していた者がいたとも知らずに。


 物陰から男がひとり、姿を現した。

 どこか愛しそうに校門の表面を撫でる。

「……へえ、かくが綺麗に消えてるじゃん」

 彼は門扉の向こう側を見上げた。そこはただの学校だった。嫌な気配もなにもない。

 それから、車が去って行った方を見据える。

「あの子……祓い師知らないって言ってたけど、やっぱり嘘だったんだね。気配もダダ漏れだったしね。……それにしても、ガキンチョが一緒じゃなかったらもっと近くで見られてたのになあ。残念だよ先生」

 彼は口惜しげに呟いた。それからゆるりと口角を上げる。

 月の光が、彼の怪しげな笑みを照らした。

「でもやっと見つけた。待ってろよ、月見里やまなし柊」

 柊の抱えている秘密の歯車が、彼の知らないところで今、少しずつ回り始めている。

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