第9話 取って

 ようになってから、美波には気づいたことがある。

 それは『学校』という場所が存外に黒い感情で満ちているということだ。

(うわあ、なにこれ)

 校門をくぐったところで早速その存在に出くわした。

 柊が『邪気』と言っていたその存在が見え始めたのが二日前。昨日も登下校の道中でそこそこ見えていたものの、校内ではまったく見かけていなかった。それが、今日登校してみれば校門のところに二匹、職員室の窓の下に五匹、靴箱の並ぶ玄関の隅に三匹……とまあ、いろんなところにいる。

 生徒指導室のドアの前にも五、六匹ほどたむろしていて美波はちょっとげんなりした。ただでさえ呼ばれたくない小部屋だが、もう絶対に中に入るものかと心に誓う美波である。

月見里やまなし先生に御守り作ってもらってて良かったな……)

 美波は内心胸をなで下ろす。昨日もらった御守りの効果が出ているのか、彼らの方から美波に近寄ってくることはない。それどころか顔まで背けている。

(邪気って確か、悪い思いや気配から生まれるって言ってたわよね)

 廊下の端々にうずくまったり飛び上がったりしている邪気を横目に見ながら、美波は思い返していた。

 悪い思い——恨み、妬み、そねみ、といったものだろう。たかだか公立の高校にこんなに集まるものなの? と思ったが、定期試験が終われば順位表が張り出され、成績や素行の悪い者は先生に呼び出される。最下位までは張り出されないものの、個人に配布される成績表には順位が記載される。下の方であがいている人は成績が可視化されてさぞや苦痛だろう。上位者も一点、二点で順位がすぐに入れ替わる激しいバトルを毎回繰り広げている。学力関係の恨みや妬みは結構あるのかもしれない。

(真ん中くらいでよかったなあ)

 可もなく不可もない己の成績に改めて感謝しながら美波は教室の戸を開けた。

(うん。教室にはいないみたいね)

 邪気の存在を確認して室内に足を踏み入れる。始業にはまだだいぶ時間があるので室内の生徒はまばらだ。

 先に教室にいたクラスメイトに挨拶をしながら席に着いたところで、よく聞き知った声が聞こえてきた。

「美波ちゃーん、おはよおー」

 その眠たそうな声に、美波は小さく笑って顔をあげる。

「おはよう、茜。そんな声して、また夜更か……し……」

 言いかけながら顔を上げたところで美波は目を見開いた。

 教室のドアから友人の茜がちょうど室内に入ってくるところだ。しかし……。

「茜、あんた肩……」

 どうしたの? と言ったところで本人は気づかないのだろう。なんと声を掛けていいのか分からず美波は閉口する。

 茜はその肩を押さえながら小首をかしげた。

「肩?」

「ううん、なんでもない」

 そう。茜には見えていない。

 彼女のその肩に邪気がしがみついているのが。肩にしがみついて、背中にべったりと張り付いている。

 美波は絶句するしかなかった。

「もー、朝からなんか肩とか背中が痛くってー。試験が終わって気が抜けたのかなあ」

「そ、そうかも?」

「あれ? 美波ちゃんも、もしかして肩凝り? まだ高校生なのにうちらやばいよねー」

「あは、あははは」

 なんとも返答のしようがなく、美波は曖昧に応える。

 彼女の背中のそれを取りはらってやるべきなのだろうか。道ばたに転がっている分にはまだ無関心でいられるが、友人が苦しんでいるのを放っておくには忍びない。

(昨日もらった御守りを近づけたら消えたり……しないかな……)

 そもそも触れるのだろうか。美波に邪気の姿は見えているが干渉できるのかは不明だ。

 しかし試してみる価値はある。隣の席で友人がつらそうにしているのは見ていられない。それに、試験期間も終わって今日からは六限まで授業があるのだ。七時間近くも邪気と並んで授業なんて、気がおかしくなりそうだ。

 美波は鞄から財布を取り出した。その中には柊から昨日もらった護符を入れてある。購買に飲み物を買いに行くふりをして肩に触れてみよう、と美波は立ち上がった。

「あ、茜。背中、何かついてるよ」

「え、なになに? 取って」

 茜はくるりと背中を向けてきた。振り返ってきた邪気と目が合う。

(ひいいー)

 軽い気持ちで「取って」なんて言ってもらっても困る。しかし本人には見えてないのだから仕方がない。

 美波は内心半泣きになりながら、護符の入った財布をおそるおそる近づけた。

 次の瞬間。

「っ!」

 美波は声が出るのをなんとかこらえた。

 茜の背中にいていた邪気が、蒸発するように一瞬にして消えたのだ。

 消える瞬間、ものすごい形相で美波を睨んでいた。その顔が脳裏に焼き付いて、美波は身を固くする。

「美波ちゃん、取れたー?」

「……あ、うん。糸くず付いてたよ」

「ありがとうー」

 お礼を言った茜は、それから不思議そうに首をかしげる。

「あれ? なんか肩が軽くなった気がする」

「相当重い糸くずだったみたいね。どこでくっつけてきたのよ」

「うーん。職員室に寄ってきたからかなあ」

 それだわ、と美波は納得したのだった。

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