第15話 餌の時間

 柊と姫は校舎の階段を駆け上がっていた。

 といっても姫は小学生の女の子だ。大人の全速力で駆け上がるわけにもいかない。彼女自身に多少なりとも祓う力があるのは分かっているが、襲いかかってくる邪気から守りつつ先を急ぐ。

 飛びかかる邪気に呪符を投げながら、柊は姫に尋ねた。

「姫、美波ちゃんの今の状態がどうか分かる?」

「ふむ。美波の気配はほとんどない。美波の内側から出てきたものに支配されている」

「ほとんど、ね」

 少しは残っているんだな、と柊は呟く。

 姫はこくりとうなずいた。

「美波の意識はたぶん深いところで眠っている」

「それは突然出てきたやつから身を守るため?」

「たぶんそうであろう。なにかきっかけがあれば……」

 三階の廊下に出ながら姫が言いかけたところで、前から邪気が躍り出てくる。

 更に背後に続く廊下からも数体、今し方昇ってきた階下からと、屋上から下ってきている階段からも数体。これでは逃げ場もない。

 しかし彼らも学習しているようで、容易に飛びかかればすぐに滅されてしまうと分かっているようだ。じりじりと距離を詰め、数で囲んで完全に退路をなくしてしまう寸法のようだ。

 更に姫が口を開く。

「美波はこの廊下の先だ」

「わかった。ここはなんとしても突破しないとな!」

 どうやら退くことは許されないようだ。ならば力ずくで前へ進むしかないだろう。柊はまるで刃物を投げるように呪符を飛ばす。

 それを皮切りに、前方を塞いでいた邪気たちが飛びかかってきた。

 しかし何体束になって飛びかかってきたところで、呪符がある限り問題はない。これまでと同様に一瞬で処理すればいい。

 呪符がある限りは……。

「しまった、呪符の在庫切れ!」

 さらに飛びかかってきた邪気たちを一掃したところで柊が口走った。呪符用にと沢山の短冊を持ってきていたはずなのに、もう一枚もない。

 先ほど呼び出した寅王はまだ外の邪気の対応に追われているようだ。

 どうすべきかと顔をしかめたところで、姫が声を上げた。

「ひーらぎ! 時間を稼ぐのだ、アレを出す!」

「え、アレって?!」

 柊は問いかけたが、回答を待つ暇などはなかった。

 好機を悟った邪気たちが姫めがけて飛びかかってきたからだ。

 柊は咄嗟とっさに前へ出ると右足を振り上げた。最初にきた一体目に垂直に振り下ろすと、下ろした右足を軸にして今度は左足を旋回させて後続の一団を払う。

「武力だとやっぱり祓えないなあ」

 そう言いながら、今度は前に踏み出しつつ手のひらを突き出して邪気を前方へ吹き飛ばした。それに釣られて数体同時に飛んでいく。

 相手が神仏霊ならまったく効果がないが、邪気には気絶させるくらいのダメージは残せる。

「あった! ひーらぎ、我の背後につけ!」

 姫は着物のたもとを漁っていたが、手のひら大の壺のようなものを取り出して天に掲げた。柊はすかさず姫の背後に回る。

 すると彼女はその蓋を開けた。

蠱毒こどくよ、餌の時間じゃ!」

 そう言うと、投げられ蹴り飛ばされた邪気の方へその容器の口を向ける。すると邪気たちは次の瞬間には宙に浮かび、との壺へとものすごい勢いで吸い込まれた。

 姫はそのまま四方に向かってぐるりと壺を向けて回り始める。まるで深夜の掃除機の通販番組のように、目の前のが驚くほど綺麗に落ちていく。

 身体をぐるりと一回転させるころには、周囲から邪気は綺麗に取り除かれていた。姫はふうと一息つきながら、壺の蓋を閉じる。

 その圧倒的な威力に、柊は呆れ半分で口を開く。

「子供になんつーものを持たせてるんだ……、まあ助かったけど」

 彼女は『蠱毒』と言っていたが、本来それは呪いの効力を持った毒自体のことを言う。この壺はその毒を生成するためのものなのだろう。この中で毒を持つものたちを戦わせて、勝ち残ったものの毒を呪詛じゅそに使うのだ。

 おそらく姫は掃除機くらいにしか思っていないだろうが。

「よし、先に進もう。美波はこの先におる」

 姫は満足げに壺をしまいながら歩き出そうとする。柊はそれを引き留めた。

「その前にちょっといいかな。ひとつの仮説を立ててみたんだ」

「ふむ。聞こう」

 姫は歩みを止めて向き直った。柊は小さく頷くと口を開く。

「美波ちゃんはもともと何かの転生体だと思うんだ」

「転生体?」

「妖怪や鬼、神霊の類いの魂が、彼女が母親のお腹の中にいるときに入り込んでしまうんだ。それを転生体と呼んでいる」

「なぜそのようなことをする必要がある」

「なんらかの原因で魂が弱ってしまって逃げ込むことがあるんだ。成人に取り憑く力は残っていなくても赤子なら抵抗力が少なくて入りやすいらしい」

「つまり……誰かが祓いそこねたおにが美波の魂と同居しておる、ということか」

「鬼と決まったわけじゃないだろうけど」

 柊が補足すると、姫は首を横に振った。

「……いや、この気配は確かに『おに』だ」

 気配が分かる彼女が言うのだ、きっと確証がもてる何かがあるのだろう。

 ならば、と柊は頷いた。

「相手が確定しているなら、こちらの闘い方も決まるね」

「おお。おにを美波から追い出すのだな」

「いや……」

 柊は言いかけて一瞬口をつぐんだ。

 仮説通りに転生体であるならば、その魂だけを追い出すことは出来ない。赤子として生まれる前から器の中にいるおかげで、魂が身体に定着してしまっているのだ。

 それを追い出すには、母体となる器——つまり美波の魂ごと終わらせる必要があった。

 それを姫に伝えてよいのかどうか迷ったのだ。

 しかし柊は美波の魂を終わらせようとは思わない。

「封印しよう」

 柊は揺るぎのない声で答えた。

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