第12話 姫の小さな秘密

 時間は戻って約一時間前。

 月見里やまなしひいらぎ治療院は、本日も何事もなく営業を終了した。常連の患者さんの予約がそこそこ入っていたのと、南雲と名乗るご新規さんが夕方に飛び込みでやってきた。

 きっと美波が言っていたお祖母さんだ。ちゃんと宣伝してくれたのだなあと、柊はしみじみと感謝した。

 治療院の玄関を施錠したところで、二階から小さな足音が降りてくる。

 和装できっちりと身を固めた小学生くらいの少女、姫だ。

「ひーらぎー、仕事は終わりか?」

 のらりくらりと聞いてくるので、柊は思わずため息をついた。

「終わったけど……姫はいつまでうちにいるつもり?」

「前に言ったであろう。柊を探すのにお小遣いを全部使ってしまったのだと」

「そうだっけ」

 ここへ来た初日にそんなことを言っていた気もする。柊は観念したように天井を仰ぎ見た。

「つまり、僕が連れて帰らないといけないってことかあ」

「……帰りとうない」

 すると姫は待合室の椅子に腰掛けながら、少しだけ唇をとがらせる。

 そんな顔をされてしまうと、柊も強く言えない。

 姫はほかの小学生とは大きく違う事情を抱えていた。それに関して柊に思うところがないわけではないが、一族で代々決められていることなので口を出すのは難しい。

 そもそも柊が小さい頃はその決まりがどういうものか理解していなかった。分かっていたらきっと止めていた。

 あのときもっと大人だったなら。もっと知識を得ていれば。柊は、それだけを今も悔やんでいる。

 そんな自分に出来るのは、時折こうして家出のようなことをしてくる彼女の面倒をしばらく見てやるくらいだ。

 柊はうつむく姫の隣りに腰掛ける。

「姫、お屋敷は居づらい?」

「……ちち様もはは様も優しい、使用人の皆も。でも……最近、見えない壁みたいなものがある。触ってはいけないものに触っているような、皆、そんな顔をする。普通に接してくれるのはひーらぎやひさぎくらいだ」

「そっか」

「特に母様は、最近目も合わせてくれない」

 姫の顔が寂しげに曇った。

 親が自分をちゃんと見てくれないのは、小学生くらいの子供には特につらいだろう。十歳前後などまだまだ構って欲しい年齢だ。

 柊は微かに笑いながら、姫の頭にぽんと手を乗せた。

「じゃあ、姫はしばらくうちで過ごすといい。本家にはあとで僕から電話しておくよ」

「家にはっ」

「連絡しないとそれこそ心配しすぎて連れ戻しにくるよ」

「それは困る……」

 姫の家にはもともと彼女がここへ来たその日に連絡を入れてある。数日で自分から帰らなければ週末には連れて帰ろうと思っていたところだ。そのつもりで家にも連絡していた。

 それを多少延長したところで、一応事情を知る身内が面倒を見ているのだから文句は言われないだろう。

(本来なら通学の問題とかもあるんだろうけどね)

 その辺の事情が、普通の小学生とは違うところである。

 姫はとある事情で学校に通学していない。学校に馴染めないとかイジメをうけているとか、そういうことではない。いうならば家庭の事情というやつだ。

 だからこそこうやって柊のところに押しかけることも出来るのだ。

 ここまで一人で電車に乗ってきたようだが、よくも補導されなかったものだ。補導員に学校名などを聞かれたらもっとおおごとになっていたに違いない。

 姫も納得したようなので、カルテの整理でもしようかと柊が立ち上がったそのときだった。

 姫がばっと顔を上げた。

「大変じゃ!」

「なあに? 家に忘れ物でもしてきたの思い出した?」

「そうではない! 何かが……生まれた」

「生まれた?」

 姫の言葉に柊は首をかしげる。

 彼女には不思議な力がある。通常ならば見えないを視ることが出来たり、遠くの気を感じることが出来る。柊がはらいの力を使ったのも自宅から察知したほどだ。

 その彼女が青ざめた顔で『生まれた』と言っている。

「これは……おそらく『おに』じゃ」

「鬼?」

「いや、でも……美波の気配もする……なんだこれは」

「美波ちゃん?」

 柊が尋ねるが返事はない。姫は一生懸命に気配を辿っている最中だ。

「美波の気配の真ん中におにの気配が生まれておる。これでは四神の護符も効かぬのではないか?」

 姫はぶつぶつとひとしきり独りごちたあと、柊の顔を見上げた。

「ひーらぎ、今から美波のところに連れて行くのだ」

 姫の申し出に、柊は少し険しい顔をした。彼女が出向くというのだからよっぽどだ。

「急げ、時間がない。今ならまだ間に合うかもしれない」

「行くって言ったって家も分からないし……。あ、お祖母さんのカルテを」

「方向なら分かる。距離は遠いから、おそらく家ではない」

 椅子から飛び降りると、姫は柊の腕をぐいぐいと引っ張ってきた。

「この手の相手はひーらぎの本業じゃろう?! はよう、急ぐのだ!」

「……マジか」

 本業、と言われて柊は更に気を引き締めた。単なるお祓い事では済まないことが起こりつつあるのだと。

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