第5話 見てしまった

 その薄い青緑色の木製の扉は勢いよく開かれた。

「先生!」

 柊が受付に座ってのんびりと昼の休憩を取っていると、元気の良い声が院内に飛び込んできた。見れば、入口に女子高生がひとり。

「あれ、美波ちゃん。こんにちは。もう具合悪くなっちゃった?」

 数時間前に治療院の前で朝の挨拶をした美波がそこに立っている。昨日お祓いをしたばかりだから数日は大丈夫だと思っていたが、見当が外れたのだろうか。

 すると今度は壊れんばかりの勢いで美波はその扉を閉める。バタンという大きな音と共に、扉についた古いガラス窓がビリビリと音を立てた。

「あの……うちの扉おんぼろだから丁寧に、ね?」

月見里やまなし先生! 見た見た見た! 変なの見たの!」

「変なの?」

 柊は聞き直したがその声はまるで聞こえていないようで、美波は扉のガラス窓から必死に外の様子を探っている。彼女は興奮状態のまま言葉を続けた。

「え、やば。なにあれ。この世のものじゃないよね?! ここまで入ってきたりするのかな? 入ってこないよね?!」

「美波ちゃんちょっと落ち着こうか。冷たいお水あるけど飲む?」

「あ……」

 見かねた柊が肩を叩いて冷えたミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、美波はようやくスンとおとなしくなった。

「ごめんなさい、騒いじゃって」

「いや、ちょうど昼休み中だし、患者さんもいないからいいんだけど。それで、何を見たの?」

「えっと。駅を出てまっすぐ歩いてたら、なんか小さくて手足がガリガリで、お腹だけこう出てて、腰巻きだけ巻いてる……なんだろ、妖怪? みたいなのが道の向こうにいたの!」

 上手く説明できない美波は身振り手振りも交えて必死に説明する。

 それが何を指しているのか、柊はすぐに思い当たった。昨日の真夜中に扉を叩いて大暴れしていた餓鬼がきのような存在だ。

 念のために確認だけしてみる。

「それって地獄絵に出てきそうなやつ?」

「地獄絵……あ、そうかも!」

「それが追いかけてきてるの?」

 柊は扉のガラス窓から外の様子を伺った。炎天下の田舎道には、人の気配も車の気配もない。

「……わかんない。通り道にいたんだけど、とにかく目は合わせちゃ駄目だと思って、見ないようにして横を通り過ぎて……」

「美波ちゃんって霊感とかあるんだね」

「全然ないわよ! だから今日、急に変なの見えてびっくりしちゃって……」

 昨日お祓いをしたから、その拍子に見えるようになったのだろうか。しかし見えていたものが見えなくなるならまだしも、霊感が増すなんてそんな副作用があるとは聞いたことがない。

(あるいは美波ちゃん自身の感性が実は高くて、昨日のお祓いによって第六感が触発された……というパターンならありえるか)

「もう一度聞くけど、その妖怪みたいなのを見たんだね?」

 柊は念押しで確認した。念を押さなくても彼女の詳細な説明から目撃したのが事実なのは明白だが、その生物についてどこまで説明すべきかは慎重に考えなければならない。

 すると美波は急に我に返ったように慌てた。

「……あ、いや、やっぱ変だよね! 私の見間違いだったかも! テスト勉強のしすぎかなーなんて、あはは」

「ごめんごめん、信じてないわけじゃないんだ。そういうのが突然見えることもあるし、美波ちゃんは全然変じゃないよ」

「そう……かな」

 不安そうな色を浮かべる美波に、柊は力強くうなずく。

「美波ちゃんが見たのは、低級の妖怪みたいなものだよ。怨念とか呪いとか強い負の思いが実体化したもの、あるいはそれに引き寄せられたものだ」

「呪い……」

邪気じゃきと呼ばれているものだよ。邪悪な気と書く」

「鬼じゃなくて?」

「悪い思いや気配が具現化しているものだからね。でも美波ちゃんに襲いかかってこないなら、今日みたいに無視が一番だよ。普通なら関わらなくていい存在なんだから」

「もしこっちに向かってきたら、先生、どうすればいいの?」

 ありえない話ではない。

 数日後にはお祓いの効力が切れてしまう可能性だってある。昨日取りはらったものがまた美波にのしかかってきたら、それに釣られて邪気たちは寄ってくるだろう。低級の怨霊だと言っても、取り憑いてちょっとした事故や病気を引き起こす可能性がある。

「じゃあ、明日の学校帰りにでもまたおいで。お守りを準備しておこう、気休めにしかならないかもしれないけど」

 柊がそう言うと、美波の表情がぱっと明るくなった。

「ありがとう! 誰に相談していいのかも分からないから助かる!」

「邪気は外にいないようだから、今のうちにお帰り」

「うん、ありがとう!」

 治療院の扉を開けて外の様子を確認してやると、美波は大喜びで帰っていた。

「邪気が見えるようになる、か……」

 柊の方は、また疑問がひとつ増えてしまったのだった。

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