第一章 退魔士になれない男 その3

「しかしどうするか……」

 このままでは探索部への道が断たれてしまう。

 一か月後に控えた最終査定までに、最低でも不合理な一時改変(レベル1)、接触範囲(クラス1)の能力を身につけなければいけない。つまり対象に触っている間だけ、何らかの改変を起こせればいいんだ。

「たったランク2。たったランク2でいいんだ」


 しかしその壁が高い。一般人が術士になるには、決定的な経験が不可欠なのだ。

 代表例を言えば神格との交信や、妖魔との契約がそれにあたる。超常存在が持っている特殊な法則——『律』を借り受け、術として使う方法だ。しかし現代ではそう言った召喚術に類するものは、存在改変として厳しく規制されているので無理。

 命を削って荒行にも参加するか? 臨死体験、トランス状態は合法的に能力を開花させる唯一の手段だ。しかしさんざんやって手に入ったのが、加点対象外の鋼の肉体だけだ。期待できん。

 そういえば教官に、「お前が何度も来るから荒行を舐める奴が増えた」とお小言をもらった。今度行ったら追い返されるかもしれん。


 だとしたら改宗か。天御門に見切りをつけて、他の宗教組織の退魔士になることだ。倉敷も言っていたがクロイツ教では、術を使えないランク0がエクソシストとして戦っている。

 しかしクロイツは一神教。あの排他的教義がどうも共感できないんだよな。あいつらクロイツ教以外の宗教を、公然と邪教認定しているし。


 残された可能性は——角を曲がり教室が並ぶ廊下に入ると、壁にびっしりと張られた手配書が眼に入った。それらを視線で撫でながら、足を進めていく。

 写されているのは多種多様な民族衣装、戦闘服、儀式装束をまとった老若男女だ。写真の上部には被写体のコード名と能力が記載されていて、そのレベルとクラス、それらを足して算出されるランクがでかでかと書かれていた。

「不可侵存在(アンタッチャブル)の助手になることぐらいか……」


 どの世界にも規格外の人間はいて、過ぎた力は制限の対象となる。

 ランク5以上の術士は、個人で社会秩序の破壊が可能になる。強制的に収容対象となり、呪物と同じ扱いでシェルターで一生を終えることになる。しかし退魔士の手を逃れて、活動する術士が存在するのも事実だ。

 アンタッチャブル。

 無力化に失敗したランク5以上は、国連教会で抹殺か黙認かを審議にかけられる。と言っても形だけの審議がほとんどで、逃がしたら最後。術士の抵抗で世界を変えられるのを危惧して、ほぼ黙認となる。そいつらはコードネームを付与され、世界を変えないことを条件に、存在が許されるのだ。


 されど莫大な力を持った人間に、何もするなと言うのは無理な話だ。アンタッチャブルは国連の黙認を受けた退魔士だけに、結構な発言力を持つ。そして組織のしがらみに関係なく活動できるので、いつの間にか超法規的退魔士として扱われるようになった。

『触れてはいけない存在』から『触れることができない存在』になったわけだ。

 ポスターの人物は各国の退魔士を退けた英傑だけあって、精悍な顔つきに抜け目なさを感じる影を宿している。

 煌めく者(グリッター)、死の特異事例(ゼクス)、古き良き魔女(ユグノー)——そうそうたる面々を目で追っていくと、最後のポスターに釘付けになった。

 幻想卿(アガルタ)。

 赤い外套を頭からかぶった、チョコレート肌の女性だ。外套の下には何も纏っていないらしく、大胆に走ったスリットから下着の類は一切見えない。それどころか布を押し上げる双丘が、隙間からはみ出ているぐらいだ。特に接触の予定があるわけでもないのに、男子生徒がこの手配書を請求するのも頷ける。

 対象が術をかけられたことに気づけない合理的な一時改変(レベル3)、対象範囲を一つの街にとることができる影響範囲一個文化圏(クラス4)。

 人間の到達限界(ランク7)。史上最強の幻術士。


「アガルタ……か」

 最年少の二十でアンタッチャブルに認定され、今や幻術界の女王と称される術士だ。こういった連中に雇ってもらえれば、術を使えない俺でも邪教と戦える。

 だがよく考えて欲しい。全世界の退魔組織が目の敵にしている連中に、ランク0の俺がついていけるはずもない。それにアンタッチャブルに協力した人間の話は腐るほどあるが、そいつらが幸福になった美談は摘まむほどしかなく、ほとんどの場合が音信不通になっている。

 さもありなん。弱みを握られないよう、よくて記憶、悪けりゃ存在を消されているんだ。


「こいつらは国が黙認してるってだけで、邪教徒と同類だからな」

 こっちから願い下げだ。

 ポスターに見切りをつけようとした時、

「ねぇ。そこの君、ちょっといいかしら」

 凛と、鈴の鳴るような美声が背中にかかった。


 俺みたいな劣等生に、丁寧なお声掛けとは珍しい。分かってるって。天御門のお偉いさんだろ? どうせ礼儀正しいのは最初だけで、俺の認識耐性目当てにとんでもない仕事を押し付けるハラだな。

 苛立ちを隠さず振り返ると、赤い外套の女性が俺に視線を注いでいた。

「あら驚いた。完全認識耐性っていうのは本当だったのね……普通の人間はまともに私が見えたりしないから……」

 年は二十ほどだろうか。外套には大胆なスリットが入り、隙間からチョコレート色の肌が覗いている。多分下着を着ていないんじゃないか? 押し上げられた双丘は――って! 視線がポスターと女性の間を往復する。

 間違いない。アガルタだ!


 女子生徒が数名通り過ぎていくが、アガルタに気づいた風もない。いや、こっちをすごい嫌悪の顔で睨みつけたぞ……?

「うわ。居守の奴、アガルタの手配書で興奮してるよ。キモい死ね」

「神堂様に大人しくやられろよ雑魚。お前のせいで神堂様の評価に傷ついたらどうすんだバカ」

 ガッツリ俺に反応はしているのにな。ポスターと並んでいるアガルタは完全に無視だ。どうやら幻術か何かで、アガルタを知覚できないらしい。

 罵倒を連ねる女子生徒を呆然と眺めていると、凄まじい力で胸倉を掴まれた。目と鼻の先には、今にも食らいつきそうなアガルタの顔があった。


「あんなのどうでもいいでしょ? こっちを見なさい。私を見ろッ……」

 ちょっと注意がそれただけで怒らないでください。首を急いで縦に振ると、とりあえずは手を離してくれた。そのまま視線を重ねていると、アガルタは自らの肩を抱いて、身体をブルっと震わせる。

「そう……それでいいのよ……フフフ……見られるのって久しぶりだわ……イイ……」

 やだあなた……見られると興奮するタイプですか? 僕は見られると緊張するタイプなので、あなたとはウマが合いそうにない。


 傍らの女子生徒が、心底気持ち悪そうに後ずさった。

「うわっ……キッモ。居守の奴、罵られて気持ちよがってるよ!」

「きっもー! マゾなら神堂様にボコられろよ!」

 どうやら認識障害でアガルタの仕草が、俺の行為として知覚されているらしい。このまま話を続けられたら敵わん。俺に何の用かは知らないが、さっさと終わらせてしまおう。


「なんでしょう? 道にでも迷いましたか?」

「あー……あなた。ヒカミ・リョウくんね?」

「僕は居守です」

「あっそ。私はアガルタ。アンタッチャブルよ」

 アガルタはにっこりと微笑むと、右手を差し伸べてきた。陽気な外国人特有の挨拶、握手だ。どんな術をかけられるか分かったもんじゃないので、退魔士相手に接触なんてしたくない。だが天下のアンタッチャブルに、非礼は避けた方が良いか。

 差し出された手を握ると、嫌に強く握りしめてくる。アガルタは口の端を歪めて笑うと、廊下を歩き始めようとした。


「じゃあついて来てくれるかしら?」

「どこにですか?」

 踏ん張ってその場に留まると、アガルタのいやらしい笑みが真顔に変わった。

「これまた驚いた。フツーの人間ならこの時点で、私の言いなりになってくれるんだけど」

 しれっと魅了か服従をかけようとすんじゃねぇ。アンタッチャブルじゃなかったら即逮捕だぞ。


 握手で組みあった手を払いのけると、疑りで細まった視線を投げかける。

 アガルタは特に悪びれた様子もなく、面倒くさそうに床をつま先で蹴った。

「もう面倒くさいから単刀直入に言うわね。私が扱ってる案件で、君の認識耐性を借りたいのよ」

 ふざけるな。初手幻術、二手目面倒くさいと言い放つお前についていけるか。

「お上を通してください。俺、一般生徒なんで、案件を扱えないんですよ」

 目的地の教室はすぐそこだが、回れ右をしてこの場からエスケープしよう。関わったらロクな目に合わなさそうだ。


「へー。じゃあ上の命令があれば、同道してくれるのね?」

 あ? それはどういう意味——俺がアガルタを振り返るのと、彼女が外套から一枚の書類を取り出したのはほぼ同時だった。

 悲しいかな。視線はひらめく外套の隙間から見えた裸より、アガルタが突き付けた書類に釘付けになった。

 表題はアガルタの手に隠れてよく見えないが、『第六次なんとか計画書』とある。文面によれば『〇〇県〇〇市所在のマヨヒガ探索に、学園規則第四十二条二項の特例を使用し、居守了の帯同を命令する』とあった。


 俺は学生と言えど、一応準公務員。お上の命令には逆らえないのだ。

 言葉を失って口をあんぐりと開けていると、アガルタはいやらしい笑みを浮かべた。

「にひぃ」

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