第二章 その名は贄姫 その4
「清澄せんぱーい。こっちからですよねぇ。妙な妖気の発信源って」
「毒島……そのようです。街全体を得体の知れない妖気が包んでおります。注意してかかりなさい」
洞穴の入り口から、二人の若い女の声が聞こえた。妖気を感じないので、妖魔でも術士でもない。ただの人間だが、俺たちの存在に勘づいている。
「多分クロイツ教のエクソシストだ。予定が少し狂ったが、ここでモメてもつまらない。保護してもらおう」
突っ込んで行ったら、下手すりゃ撃たれるかもしれない。走り出したばかりの足から力を抜いて、空洞の中央でいったん足を止めた。
「御館様がそう御仰せなら……」
贄姫は大人しく従ってくれるものの、雰囲気から警戒されていることがひしひし伝わってくる。まぁ……裸にしたし、望んでいる神祖召喚もしてくれないんだ。当然と言えば当然か。早めに術士で囲ってしまわないと、いつ反意を行動に移すかわからない。
視線を洞穴の入り口に戻すと、二人のシスターがランタンの明かりを伴って入ってきた。
一人はおっとりとした面持ちだが、やや大柄なエクソシストだ。右手にはトミーガンを、左手にはランタンを持っている。後方から全体を府願していることから、こいつがリーダーだ。つまり清澄先輩らしい。
清澄は暗闇に目を細めて辺りを見渡していたが、俺たちを見止めると不審に唇を尖らせた。
もう一人は清澄と対照的な、小柄な釣り目の女の子だ。銃剣のついたショットガンを抱きしめていて、俺を睨むや否や腰だめに構えやがった。お前が毒島か。まだ何にもしてないだろ。銃口を向けるな。
二人の首にはロザリオがかかっていて、暗闇でほんのりと輝いている。清い聖十字。クロイツ教直轄のエクソシストで間違いない。
「すいませーん! こっちです! こっち!」
大手を振って歓迎したつもりだが、エクソシストの表情が険しくなった。
「あなたは何者ですか?」
と、詰問してきたのは清澄だ。至極真っ当な質問である。
「俺は陰陽寮付属退魔育成校二回生の居守です! マヨヒガの解体作業をしていたところ、万能生贄を保護しました。至急天御門まで移送したいと考えております。力添えいただけないでしょうか?」
ピリっと、空気が張り詰めた。これは万能生贄って単語に反応したからだよね? 事の重大さを理解したからだよね? どうして俺への敵意が増しているのかなぁ?
清澄さん? こめかみに青筋が浮いていますが、私何か失礼なことをしましたか?
毒島くん? 何故ポンプアクションをする? やめろ。弾を込めるな。
剣呑な雰囲気の中、不意に清澄が緊張をほぐすように、ため息を一つついた。彼女は毒島にショットガンを下げさせると、おっとりとした笑顔を浮かべた。
「そうですねぇ。まず、落ち着いてお話しをしませんか? その女の子も怖がっております。何か悩み事があるならお聞きしますので、手荒な真似はやめましょうね」
警戒しつつも対話に応じてくれる姿勢から察するに、贄姫を裸にしたところを見られていたのか? 確かに酷い扱いだった。だからこそこれからは、女であるあなた方について欲しい。
「わかりました。最初からお話します。ここにマヨヒガがあるのはご存知ですよね? あなた方がアガルタに依頼したんですから。その人柱に万能生贄が使われていて、アガルタは神祖召喚に使おうとしているんです。奴は今マヨヒガを彷徨っていますが、そろそろ出てくるころ……」
何故だ。清澄と毒島の敵意がどんどん募っていき、俺の言葉尻が萎んでいく。
清澄は口角をひくつかせて怒りを堪えているし、毒島に至っては歯を剥きだして威嚇している。
そうか。クロイツ教がアガルタに、マヨヒガの解体を依頼したんだ。雇用者責任が及ぶのを警戒しているのか? それに信頼では一介の退魔士候補生の俺より、アンタッチャブルの方が勝るのは間違いない。
「信じてください。あなた方がアガルタにマヨヒガの解体を依頼してしまったように、俺もアガルタからの依頼を受けて天御門から派遣されたんです。恐らく双方で、何らかの仕掛けがあったと思います。今は協力して万能生贄を護送しませんか? 詳しい話はそれから……あのー? 話聞いていますか?」
急に黙らないで、なんとか言ってくれ。アガルタはこうしている間にも、マヨヒガから出てきつつあるんだ。本来なら押しのけて飛び出したいところだが、クロイツを敵に回すのはまずい。
清澄は深呼吸を繰り返し、胸元を撫でつけてから口を開いた。
「成程。あなたは私の過去をご存知のようですが……その罪はすでに清めました。神は穢れた私を赦し、その懐深くに抱いてくださったのです。あなたが何を言おうと、私が神へ抱く信仰心は、決して揺らぐことはありません」
「おい……ふざけてる場合じゃないんだぞ……」
流石に頭にきた。こいつアガルタを雇った失態を隠すため、この状況下で宗教論争始めやがった。要するに神の教えを用いて、自らを正当化する弁論を打ち始めたんだ。
「アガルタがすぐそこまできている! それどころじゃないんだ!」
「言葉の乱れは心の乱れです。あなたは己のやましさを、私に投影して誤魔化しているにすぎません。さぁ。ご自分を見つめなおし、心の闇を打ち明けなさい。神はきっと聞き入れてくれます」
「確かに。俺がアガルタを人柱の間まで案内しました。上からマヨヒガ捜索の帯同命令を受けたからです。これで満足ですか? 詳しい経緯はおいおい確かめるとして、今は贄姫の保護をお願いします」
おっとぉ……清澄の顔から緊張の糸が切れ、どこか吹っ切れた笑みを浮かべた。毒島に至っては前傾姿勢になり、じりじりと俺に距離を詰めている。
「そこまで知っているんですね……私の過去を……懺悔でも話したことがないはずなのに……それを知っているあなたは、きっと神が私への試練に遣わした、悪魔なのでしょう」
おいおいおい。ひょっとして会話の受け答えが成立していないんじゃないか? 何らかの理由で認識改変をきたし、言葉が正しく伝わっていない可能性がある。
「えっ? あれ? 神との交信は後にしてくれませんか? 人の話を聞いてください。マヨヒガが! 万能生贄で! 護送する話しです!」
贄姫が俺の袖を引いた。
「御館様……幻術です……」
何ィ? それが本当だとすると……アガルタの野郎追いついたか!
「待って下さい! あなたは幻術にかかっている恐れがあります!」
認識改変のフィルターでどう伝わったのかはわからん。だが清澄の柔和な顔が、修羅の形相に変わった。
「誰がお手軽マ〇コですかぁぁぁぁぁぁ!」
「言ってませぇぇぇぇん!」
あっぶねぇ! ランタンなんか投げるんじゃねぇ! 頭を下げて躱すと背後でガラスが砕ける音がし、炎の手が上がった。
「何するん——」
清澄この野郎。片手でトミーガンを、こちらに向けて構えていやがる。すでに引き金は絞られており、大量の弾丸が襲い掛かってきた。
エクソシストは術が使えない。使ってはならない。奇跡を起こしていいのは神様だけと、宗教ではっきり定められているからだ。よって邪教徒との対決で使用するのは、一般人も扱える落憑弾だけである。術を併用する封神弾は使えないわけだ。
クロイツの戦闘スタイルは極めて単純だ。相手が邪教徒だろうと、妖魔だろうと、神格だろうと、動かなくなるまで弾をぶち込み続ける。それだけだ。
出会ったばかりで、いきなりぶっ殺そうとは思わんはずだ。弾頭は殺傷能力があるシルバーバレットではなく、鎮圧目的のゴム弾で間違いない。
「やめてくださいよクソが!」
贄姫を胸に抱き、トミーガンの射線から逃れる。反動が凄まじく射線制御が難しい銃を、片手で扱っているんだ。少し横に移動しただけで、銃弾をかわすことができた。
問題は毒島だ。ショットガンを腰だめに構えて、弾丸に合わせて肉薄してきた。装填しているのは落憑弾だろうが、弾頭が何であろうと一発でももらえば悶絶は必至だ。
幸い手中に、贄姫から回収したリボルバーがある。一か八かだ。
毒島のショットガンをに狙いを定めて、冷たい引き金を絞った。弾は見事に命中し、鈍い音を立てて銃身が跳ね上がる。一拍遅れてショットガンが火を噴き、毒島は無理な体勢で発砲したために仰向けに倒れた。
すかさず毒島に接近し、電磁警棒で電流を流し無力化する。
残るのは清澄だけだ。あいつトミーガンを腰だめに構えて、狙いを定め直していやがる。片手で撃った時とは違い、今度は射線管理をできるだろう。
「お死になさァい!」
清澄がトリガーを絞るのが、やけにゆっくりと見えた。
また銃を狙うか? 毒島とは違い距離がある。当てる自信がない。
ステップを踏んで、撹乱しながら白兵挑むか? 贄姫を抱えている今は無理だ。
毒島を盾に取るか? そんな真似できるか! 畜生にだけは堕ちたくない!
このままだと滅多撃ちにされる。
他に使えるものと言えば、第七沈鎮丸だけだ。
そういえば――最奥部でアガルタと対峙した時、影から生えた触手が足にへばりついていたな。ひょっとして触れた対象を落憑する他にも、拘束する力も備わっているんじゃないか? 危険な賭けだが、どうせ負けたらアガルタに殺られるんだ。やってみるしかねぇ。
清澄が勝利を確信して笑みを浮かべたが、俺は負けじと杖を振るった。杖に気力を吸われる感触がして、どっと疲れが押し寄せてくる。呪物の仕様に伴い、気力を消費したようだ。影に視線を落とすと闇より黒く変色し、形を崩してうねったところだ。
影は蛇のように地面を這うと、清澄の足元まで伸びていった。そして彼女の影と同化すると、大量の触手が咲き乱れその身体を縛り上げた。
「む……ぐ……う……ッ……」
しかも猿轡の代わりに、触手を噛ませる徹底っぷりだ。術士が相手なら呪詛を唱えられず、拘束から逃れることはできないかもしれん。
影が相手に触れているってことは、清澄は落憑している。幻術が解けて、まともな対話もできるはずだ。
「聞いてください清澄さん! 俺はあなたと、クロイツと敵対するつもりはないんです!」
清澄この野郎……暴れていないで話を聞けよ! 清澄がゴリラ並みの力を持っているのか、影の拘束が想像以上に弱っちいのか。動きを封じられたのはものの数秒で、彼女は轡を噛み切り、まとわりつく触手を引きちぎっていく。
「この……シスターの私に何をするんですの……クソガキ……この私が裁きを……殺す……」
ダメだ。洗脳なら解ければ正気に戻るが、幻術だと解けても誤解が残る。一体どんな幻術を使えば、この短時間でここまで恨まれるんだ。
影は俺の心中を反映してか、トミーガンを必死に抑え込もうとしている。だが最終的にちぎれて霧散し、銃口が俺へと向けられた。
「御館様! 封神弾をお使いください!」
贄姫の絶叫に、手元のリボルバーの存在を思い出す。
贄姫様、封神弾を使えと仰せですが、俺は術を使えない劣等生なんですよ。
「お早く! 補助いたします!」
早くってお前。補助ってお前。期待されても困るんですよ!
しかし——もう――ええいッ! くそ!
「あああああああああッ!」
恐怖か、興奮か、喉から絶叫が迸る。呼応するように撃鉄が、勝手に発射弾丸をショットゲージへ切り替えた。
「東昇西沈吾座不転。東昇西沈吾座不転」
贄姫の呪詛が聞こえる。銃がほんのりと熱を持ち、手のひらを焼いた。
めちゃくちゃだ。何一つ把握できない。そんな状況下。
その一発は放たれた。
リボルバーから眩い光弾が射出され、螺旋を描きながら飛んでいく。
「う……撃てた!?」
射出された魔法陣は、天御門で使われる道紋でも、居無教が好む曼荼羅でもない。初めて見る螺旋型の紋章だ。
弾は吸い込まれるように清澄の胸に命中すると、花開いて包帯を放出した。そのまま弾の回転力を使い、清澄の身体を縛り上げていく。
「おひっ……私を縛るなんて……まさか……あの夜を再現しようとしているんですの!? させませんわよこの淫獣め……!」
清澄が激しく抵抗するが、今度は解くことができないらしい。包帯は彼女の胴体を包み込み、四肢を巻き込んで団子の塊へと変えていく。やがて静けさが息を吹き返す頃、目の前には注連縄で飾られた御神体が鎮座していた。
「あ……生まれて初めて……封神できちまった……」
感動する余裕なんてねぇ。どっと疲れが襲ってきて、力なくその場にへたりこむ。当たり前だ。呪物を使ったし、マジで死にかけた。しかしまだ危機は去っていない。
「ふぅん……ボウヤは衛境衆のことを知らないはずなんだけどねぇ。第七沈鎮丸の特性に気づくし、封神もできちゃったんだぁ。ひょっとしてそこいらの術士よりはできるクチなの?」
背中に甘ったるい声をかけられ、跳ねるようにして立ち上がった。
アガルタ! マヨヒガから出てきやがったか!
贄姫を背中にかばって振り返ると、岩壁の前にその姿があった。口元には嫌らしい笑みを浮かべているが、目つきは殺意に細っている。かなり怒らせちまったみたいだ。
しかし恐れることはない。
「残念だがここまでだ。俺には認識耐性があるし、術を使えなくする呪物を持っている。これほど相性が悪い相手と戦うのは初めてだろ? 俺が唯一の出入り口である坑道まで退いたら、お互い膠着状態だな」
「そのようね……」
随分と余裕たっぷりな口ぶりだな。どうやら自分の置かれた状況を理解していないらしい。
「派遣したエクソシストが音信不通になったから、じきにクロイツの応援がくる。この袋小路だ。いくら幻術を使っても、エクソシストの制圧射撃を捌くことはできんだろ。それまで俺とにらめっこをしてもらう」
「クフ……フフフフ……アッハッハハハハハハハッ!」
アガルタが心底おかしそうに哄笑をあげる。
これはひょっとすると……状況を理解していないのは俺の方かもしれない。
「贄姫……毒島の胸元についている機械を、俺に渡してくれるか? そう。その四角い箱だ」
贄姫は俺の指示に従って、毒島から通信機を取り上げて手渡してくれる。
アガルタと睨みあう中、俺は通信機の出力をスピーカーに切り替えた。
『清澄! 毒島! 応答しなさい! 被疑者の照会が終了しました。名前は居守了。十七歳。陰陽寮付属退魔専門学校所属。ドグマは神道です』
セオリー通り、通信しながら戦っていたか。身元が割れたのは良い。俺の信頼性が増すからな。問題はアガルタの認識改変下で、俺との戦闘がどう捉えられたかだ。
敵と断定されていないならアガルタを足止めし、クロイツの応援を待った方が良い。アンタッチャブルを数で囲んでフルボッコにできる。
『居守了はレベル0。クラス0。総合ランク0。分類は一般人です。しかしながら入学時の総合評価試験にて、ランク4撃破実績あり。繰り返します。ランク4の撃破実績があります。決して油断しないでください』
入学試験の内容は極秘扱いのはずだが、クロイツの奴らどうやって情報を得たんだ? 天御門に情報が洩れているって、追加で報告しておこう。
『居守容疑者が呼び出した人柱は、万能生贄であると判明しました。どうやら生贄を用いて、何らかの神格を呼び出そうとしていると思われます。明確なバチカン聖約違反です。神はこのような悪事を許しません。生死は問いません。早急に対処してください』
通信にはアガルタとアンタッチャブルのアの字も出てこない。俺と贄姫の情報だけだ。
「何で……俺が主犯格になってんだ……チクショウ……」
『早急に対処してください。アーメン』
幻術で認識が歪められても、俺が首謀者だと断定する要素は何一つない。つまり俺を呼ぶ前から、クロイツの認識を操作してやがったな。この様子だと天御門も例外じゃないだろう。幻術で騙して、俺を出向させたに違いない。
まんまとハメられた。
ここに留まったら、フクロにされるのは俺の方だ。
どうするべきか。
アガルタのレベルは3。合理的な一時改変。対象は術にかけられたことに気づけねぇ。
クラスは4。一個文化圏。この街全体に影響を及ぼすことができる。
俺の恐れている通りだと、街の人間は全員が幻術にかけられ、敵に回ったと考えた方が良い。
山に隠れるのは無理だ。もうすぐ夜になるし、身動きが取れなくなる。包囲されておしまいだ。
整備された山道を通って、街の外に逃れるか? ふざけろ。主要な道路なんざ、すでに封鎖されてるに決まっている。
残された道はただ一つ。
「行くぞッ!」
俺は贄姫の腕を引いて洞穴を出ると、街灯がきらめく街へと崖を駆け下りていった。
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