第二章 その名は贄姫 その3
マヨヒガを出て洞穴に戻ると、いったん少女を降ろして呼吸を整えた。今すぐ逃げ出しちまいたいが、ついさっきまで封印されていた存在を、ホイホイ連れ歩くわけにはいかない。情報を把握できるまでは、この場に留まるべきだ。
「とりあえずクロイツに応援要請を……その前に情報収集だけしないと……」
ったく。学生なんぞにアンタッチャブルの帯同をさせて、おまけにそいつは良からぬことを企んでいるときた。起こりうる事態に対処できないのは、わかりきっているじゃないか! 監査部は何やってたんだ!
「お前さん……贄姫だっけか?」
「あ……左様でございます……衛境衆が側使え、贄姫にございます……」
「エサカシュウって……宗教か……?」
「はい。左様でございます」
贄姫か……抵抗をせずにされるがままなのはいいんだが、こういう奴に限ってとんでもない毒牙を隠し持っているもんだ。
こいつは時代に忘れ去られた宗教関係者なのか。はたまた雌伏の時を過ごしたカルトなのか。本人が真面目に神様を信仰しているだけでも、秩序が成立したこの世界では邪教に分類されるケースもある。
見分ける方法は簡単だ。宗教の教義を確かめればいい。
世界の宗教のあり方を制限する、バチカン聖約って決まりがある。謳われているのは、『聖約締結時点の世界を堅持すること。いかなる理由があろうと、現時点の物理法則、共通認識、許容存在を改変することを禁ずる』だ。それから真っ当な宗教は、死後の世界を論ずるものになった。この世で善行を積めば天国に行けるとか、悪事を行うと地獄に堕ちるって感じにだ。
それ以外はすべてカルト。我々の神を崇めれば、必ず幸福が訪れる。現実改変。貢物をすれば思い人と必ず相思相愛になれる。認識改変。人間から神様になりたい、幽世から神様を呼びたい。存在改変。全部犯罪だ。
ゲン担ぎで許される範囲もあるが、基本因果を操作してはならない決まりになっている。
「エサカシュウとはなんだ? 神祖、宗派、教義、そしてお前の階級、素性、順番に述べろ」
「あ……その……はい。衛境衆は峠(とうげ)守(かむ)居(ろい)を神祖といたします。分派はもっておりません。わたくしは衛境衆が傍仕え、贄姫でございます……帝都にて学生をしておりまして……時が来たため贄姫と相成りました」
もともと人間だったのが、衛境衆の手で人柱にされたようだな。気の毒な話だが、同情は命取りだ。きつく唇を噛みしめて、感情を押し殺す。
贄姫が地面に視線を這わせながら、おずおずと聞き返した。
「あの……あなた様はわたくしが贄姫と知って……衛境の跡を継ぐために、開放したわけではないのですか……?」
「ンなわけねェーだろ。俺は巻き込まれただけだ。質問にだけ答えろ」
彼女の言っていることが何一つわからん。峠守居なんて神様聞いたことがない。衛境衆って宗教も授業で習わなかった。贄姫とはなんだ? これでも退魔士になりたいがために、机にかじりついて勉強していたんだぞ。
それに……だ。
「教義が抜けている。教義はなんだ?」
「は? はぁ。教義は時代に応じて、衛境衆の長が定めるものですが……一貫するのは人と神との間を取り持つことにございます。人が望む神祖様を紹介し、神祖様の望む祭りごとを催すことで、現世と幽世の均衡を保つように活動しております」
それって……もろカルトじゃないですか? 勝手に神祖を幽世から呼んだら駄目だろ……神祖の要請で祭りごとを催すのも論外だ。変な新興宗教が出来ちゃうだろうが。
「わたくしは衛境衆を復興するために、わたくしを解放した御館様に仕えるよう命ぜられております。全ては匿った妖怪様を守りぬき、人と妖魔が共存できる世を実現するためです。わたくしは衛境衆の全てを預かっております。ですからわたくしを贄に捧げて、御神祖様を呼び戻し、妖怪様を助けてくださいまし」
「はいアウト」
神祖召喚、妖怪の保護、それを用いての新興宗教の発生。全部宗教犯罪だ。カルト確定です。
あのマヨヒガは文明開化政策から逃れた妖怪を保護していた、避難所みたいな場所と言う事になるのか? 衛境衆は神祖や妖魔を人に紹介していたみたいだし、その縁で保護する運びになったんだろうな。そして贄姫は衛境衆を復興するための生贄だということか。
アガルタも神祖召喚を目論んでいたみたいだが、手配書によると彼女はクロイツ教の異端だ。異なる宗教の呼びかけに、衛境衆の神祖が応えるとは思えない。アガルタもその点は理解しているはずだ。
ん? じゃあもしかして……待てよ!?
杖を贄姫に突き付ける。
「服を脱げ……」
「は……? へ……?」
贄姫がぎくりと体を強張らせた。恥ずかしいのはわかるが、カルトには遠慮はしない。それに俺も好きでやっているわけじゃない。
「退魔士は接触した妖魔の素性を、検閲して明らかにする義務がある。脱ぐんだ」
贄姫は身を縮めて嫌がっていたが、不意に俺が突き付けた杖に目を止めた。
「あ……第七沈鎮丸。手にしても落憑しないのですね……さすればあなた様が、真の御館様でございますか……」
刹那の逡巡。贄姫は決意に目を細めて、腰帯に手を伸ばした。
「御館様がそう仰せならば……」
はらりと着物が地に落ちて、産まれたままの姿が露になる。白くきめ細かい肌に、よく実った乳房、そして控えめな痴毛。そんな青少年にとって暴力的な情報を押しのけ、俺の目は全身に刻まれた入れ墨に釘付けになった。
カタカムナの呪詛が、上は鎖骨に始まり、下は足首までびっしりと彫られている。
「なんだ……てめぇ……」
やっぱりこいつ、ただ物じゃない。入れ墨の術式は、生贄の効力を高めるもので間違いない。
乳房には円形文字が渦を描いているが、魂振りの術式っぽいな。妖魔に活力を与えたり、奪ったりするために使うものだ。肩を中心に彫られているのは、依り代の紋様くさい。彼女の肉を依り代にして、妖魔を憑依させることができる。待てよ……ヘソを中心に組まれているのは、処女懐胎の術式じゃないのか!? こんなものクロイツ教が見たら卒倒するぞ!?
「万能……生贄だ……実在したのか……」
贄姫を使えば、低級妖魔なら儀式の必要すらなく召喚できる。上級妖魔の召喚は朝飯前。アンタッチャブルクラスが使えば、神格も呼べるかもしれない。何より恐ろしいことに、術式はクロイツ教、居無教、イシュメイル教——世界三大宗教の儀式に必要な要素を、満たしているように思えるのだ。
つまり理論上、古今東西宗教を問わず、神祖召喚ができる。
「アガルタが……アンタッチャブルが狙うわけだ……自分の好きな神様を呼んで、世界を変えちまうことができる……」
贄姫は俺の独り言を耳にして、浅く頷いて見せた。
「ああ。理解が遅くて申し訳ありません。あの術士は御館様の敵にございましたか。見たところかなりの使い手の様子でございますが、じきマヨヒガから出てくるものと思われます」
贄姫は裸のまま、恭しく首を垂れた。
「邪魔が入る前に、どうぞわたくしを生贄に捧げ、衛境衆を復興なさってくださいまし。そして神祖様を、妖怪様を守ってくださいまし」
「俺は御館様じゃねぇ。衛境衆とやらは絶対に復活させない。させてたまるか」
彼女は即刻収容すべきだ。本人に一片の悪意がなかろうと、邪教徒に捕まったら世界を変える化け物を喚ばれてしまう。
「写真撮るぞ。入れ墨を隠さず、そのままの姿勢でいてくれ」
ほぼパンピー扱いの見習いの俺が、ただ通報しただけじゃろくな応援は来ねぇ。精鋭が出張ってくる頃には、贄姫を奪われて儀式を行われちまう。万能生贄を保護した証拠を撮って、事の重大さを伝えないと。
スマホのカメラを贄姫に向けて構えると、彼女は戸惑ったがきつく目を閉じて顔を伏せた。
「しゃ……写真……? は……はい……御館様がお望みならば」
撮影を終えて画像を確認すると、背景は憎らしいほど奇麗に映っているのに、肝心の贄姫は黒いモヤになっていた。くそ……現実改変を起こしてやがる。どうしようもない、機械がおかしくされちまっているんだからな。
とりあえず万能生贄であること以外で、特殊な能力を持っている様子はない。連れ歩いても、一般に被害は及ぶことはなさそうだ。現場を離れてもいいだろう。
「おい……お前——」
贄姫を振り返って、ぎくりとしてしまう。顔は相も変わらず無表情のままだが、ボロボロと大粒の涙をこぼしている。
裸に……しちゃったからかな……? た……確かに非道な行いだが、相手はカルトだ。危険な存在なんだ。油断が命取りになるんだ。自分にそう言い聞かせるものの、罪悪感がふつふつと込み上げてくる。
自分でやっておいて何なんだが、写真をとるのはさすがに酷すぎるよな。
こんな甘い考えだから、退魔士になれないんだろうなぁ。
「悪かった。これから君を安全なところまで連れていくから、服を着てついて来て欲しい」
「御館様がそう仰せなら……」
贄姫が着物を拾い上げて、さっと袖を通す。その時ゴトリと大きな音を立てて、着物の裾から何かが落ちた。
古めかしい六連装リボルバーか……だからカルトは油断ならないんだ。
「悪いが……それは預からせてもらう」
俺は贄姫が手を伸ばすより早く、地面に落ちたリボルバーを拾い上げた。弾倉を確認すると江戸時代の非殺傷武器である、砂袋弾頭の落憑弾がフル装填してある。おまけにアンダーバレルには散弾実包用の銃身がついていて、しっかりと封神弾が納められていた。
どうやら衛境衆とやらも、落憑弾で結界を破壊し、封神弾で拘束する戦闘スタイルらしい。教官の言葉が正しければ、この戦法は大正に天御門が編み出したはずなんだが……。
謎が多いが、ここで足を止めている余裕はもうない。
とりあえず現場を離れて、クロイツに救難要請、次いで天御門に報告を入れるか。近くの教会に逃げ込めば、流石のアンタッチャブルでも手は出せないはずだ。
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