第二章 その名は贄姫 その2

「ご苦労様。下がってなさい」

 アガルタが俺を押しのけて和室に入り、少女へと手を伸ばした。しかし指先が触れるか否かのところで、唐突に顔をしかめて動きを止めた。

 アガルタの視線は少女の膝元に置かれた、禍々しい杖に釘付けになっていた。骨を組み合わせた代物だが、妖気を欠片も感じない。呪物ではなさそうだし、トラップの可能性も低い。何をそんなにビビっているんだ?


「第七沈鎮丸……」

 えぇ~……それってその杖の名前ですよね? 確かあなたクロイツに依頼されて、ここに入るのは初めてなんですよね? 何でご存知なんでしょうかぁ?

 ひょっとして最初っから、マヨヒガに収容されている何かを求めていらしたんじゃないですかぁ?


「イカミ君」

「はい。そうです居守です」

「その杖……とってくれる?」

 嫌に決まってるだろ。何が何だかわからんが、アンタッチャブルのお前が尻込みするようなものに触りたくない。

「お断りします。妖気を感じませんが、この杖は位置的に人柱封印の一助を担っている可能性があります。無暗に取り払うことはできません」

「大丈夫よ。あなたには効果ないから。その杖は第七沈鎮丸と言ってね……触れた術士を、術が使えない落憑状態にする呪物なの。私が触れたら問題だけど、術が使えないあなたなら平気よ」


 こいつ……ついに封印を解くことを、隠そうともしなくなったぞ。

 天御門の命令と身の危険を理由にホイホイ言う事を聞いてきたが、流石に承服しかねる。この人型実体が解放されて、マヨヒガ内の妖魔が解放されでもしたら責任は取れない。

「お断りします。いくらメンツがかかっていると言えど、暴走が過ぎますよ。一度撤退しましょう。無暗に封印を解いて、惨事が起きた場合どう責任をとるおつもりですか。この街の宗教区分はクロイツ教ですが、収容されている妖魔は日本古来の妖怪です。天御門に対処を委ねましょう」


 伊達に反省文を書いていねぇんだよ。どうだどこに出しても角が立たない、お手本のような言い訳は。だから拳銃を俺に向けるのはやめてくれませんか? スチェッキンなんてマシンピストル使ってるのかお前は。

「やりなさい。早く」

 優しい声ではあるものの、逆らうことを許さない口調で命令される。

 どうやら封印を解くのは決定事項のようだ。


 アガルタめ。部屋に入る際、襖を閉めやがって。ちんたら開けている間に後ろからズドン。室内に遮蔽物はナシ。掴みかかる前にズドン。

 手詰まりだ。

 両手をあげつつも、念のために聞いてみるか。

「自分が何をしようとしているのか、分かっていますか? あなたは封神されている超常存在を、解放しようとしているんですよ」


「えぇ。もちろんよ」

 アガルタが妖艶な笑みを浮かべて、その冷たさに背筋を悪寒が撫でた。

「ちょっと私の神様にお越しいただいて、この腐った世界を変えて欲しいだけだからァン……」

「あんたまさか……神祖召喚を行おうとしているのか!? そんなことしたら強力な律で、世界中の物理法則が狂っちまうぞ!」

「よくわかってるじゃないボウヤ。その通りよぉ。さ。さっさとなさいな」


 鏡を見なくても、自分がしかめっ面になっているのがわかる。まさか邪教徒嫌いの俺が、片棒を担がされる羽目になるとはな。

 今のところ現状を打開できる策はない。拒否して殺される覚悟はあるが、封印を解くのがちょっと先に延びるだけだ。アガルタは杖の力で術が使えなくなったところを、俺に抵抗されるのを恐れているんだ。殺した後でゆっくりと杖を取ればいい。


 ため息を一つ。決意を固める。

 俺は落ちこぼれの劣等生だが、退魔士の誇りだけは持っているつもりだ。それだけを武器に、学んできたんだ。

 だからこれからの行動に、しっかりと責任をとる。

 どうなっても知らんぞとは、心の中でも言えない。

 どうにかなったら、俺の命に代えてでも何とかして見せる。

 両親を殺しやがった、邪教徒に堕ちてたまるか。


 俺が少女へと歩み寄ると、アガルタが銃口を向けながら道を譲った。一つ目の反撃のチャンスだが、モノにできなかった。距離が遠すぎる。身体をアガルタに向けた時点でお陀仏だ。

 奇麗な子だ。長いまつ毛は涙でも吸ったように潤っており、きめ細かい絹のような肌に心を奪われる。窮地で美しいものを見ると、ちょっとした心の余裕が生まれるんだな。


 しかし二つ目の反撃のチャンスも逃した。アガルタの望みが叶って油断するかと思ったが、背後で銃口が下がる気配はしなかった。

 そして——杖を取り上げると、鎮座する少女がうっすらと瞼を開いた。

 涙……? 澄んだ瞳を縁取るまなじりから、一筋の雫がこぼれていく。少女はしばらくの間、虚ろな目つきでぼんやりとしていた。やがて俺を認めると、手にした杖に視線を注いだ。


「あ……第七沈鎮丸……さすればあなた様が……わたくしの御館様でしょうか?」

 御館様だって? ああ。この杖の持ち主が、前のマヨヒガの所有者だったのか。

「いや俺は——」

 アガルタが俺を押しのけて、少女の前に進み出た。

「ええ。そうよ。私があなたの主、アガルタよ」

 少女はアガルタへと居住まいを正すと、三つ指をついて深々と頭を垂れた。


「御館様。初にお目にかかります。わたくしは贄姫。あなた様が留守の間、衛境の奥を守らせていただきました。どうぞ。わたくしを如何様にも使い、衛境衆を復興なさってくださいまし」

「ええ。ええ。そうさせてもら——」

 アガルタは少女……贄姫に夢中になっている。俺にそう思わせておいて、背中越しに撃ち殺すつもりだな。赤い外套の隙間から、銃口が覗いている。

 この腐れ外道が。

 すり足でスライド移動し、アガルタの射線から身体を逃がした。

 三つ目のチャンスはモノにできた。アガルタの放った弾丸は俺の頬をかすめて、和室の壁に穴を開けた。クソがこえぇ! 実弾だ!


「——うわねぇ……」

 アガルタが手応えのないことを不審に思ったのか、外套を翻して振り返る。あ……やっぱり下には何も着ていない。たなびく外套の隙間をぬって、いろいろと大事なところが見え……やばい。目が合っちまった。殺す気満々の血走った眼をしやがって。

 近づきさえすれば、あとは俺の専売特許だ。近接戦闘じゃ負け知らずだし、アガルタのスチェッキンは取り回しが悪くて振り回せない。それにこの杖に触れた者は、術が使えなくなるんだろ? あれだけビビっていたんだ。アンタッチャブルでもただで済むまい。


 両手で杖を振りかぶり、アガルタの拳銃を持つ手に叩きつける。彼女はすんでのところでスチェッキン手放し、拳銃だけが畳の上を転がっていった。

「あら。あれを避けるなんて、案外やるじゃないボウヤ」

 アガルタが後ろにステップを踏み、揺らめく外套から二丁目の拳銃を取り出した。口径からしてデリンジャーだが、狙いが定まっていない今なら容易に対処できる。

 床を思いっきり踏み抜いて、跳ね上げた畳を盾に取る。タン、タンと軽い銃声が二回響き、銃弾が畳を射抜いて見当違いの方へと飛んでいった。こっちも実弾か! 完全に術を使えない、俺対策の武装じゃねぇか! かなり周到に計画を立てていやがったな!?


 畳の影に隠れつつ、贄姫の元へと駆け寄った。正体は不明だが、アガルタの目的は彼女で間違いない。みすみす渡してなるものか。

 贄姫は何が起こっているのかわからないようで、ぼけーっと座ったままだ。状況を説明する余裕はないので、強引に抱き上げてアガルタの脇を駆け抜けようとする。しかし唯一の出入り口である襖の前に、すでにアガルタは立ちふさがっていた。


「あなたねぇ……見習いの分際で、アンタッチャブルに勝てると思うの?」

 アガルタが挑発的な笑みを浮かべて、前屈みの姿勢をとる。外套が身体を離れて垂れ下がり、素肌の輪郭ががっつり見える。くそう……裸にガンベルトってのは、なかなかそそる格好だな。こういう状況でなければ、じっくりと拝みたいものなんだが。

 ピシリと空振が肌を叩き、結界が張られたことを知らせてくる。アガルタの姿が二重、三重にぶれたかと思うと、三人に増えやがった。

 俺に認識改変は効かないから、一人を三人に見せているんじゃない。現実改変で分身を生み出したんだ。


 空間に生んだ蜃気楼か、質量を持つ実体なのか、ぶっ叩くまで判別できない。どちらにしろアガルタが構えた三つのデリンジャーを、贄姫を抱いた状態でさばくのは無理だ。

 俺にできるのはたった一つ。愚直な突進のみだ。

 贄姫を左肩に担ぎあげ、開いた右手で杖を中段に構えると、一直線にアガルタへ突っこんだ。

「思い切りのいい子は好きよ。楽に殺してあげる」

 三人のアガルタが一斉に、デリンジャーで俺の頭に狙いを定める。止まることはできない。とりあえず中央のアガルタに狙いを定めると、通り過ぎざまに腹を殴りつけようと杖を振りかぶった。


 アガルタが「へっ?」と素っ頓狂な声を上げたのと、俺が「何ッ!?」と困惑したのは、ほぼ同時だった。

 アガルタの結界が霧散し、分身が瞬く間に崩れていく。三体のうち一番左のアガルタだけが残り、狼狽えて無防備な姿をさらした。

 落憑した? まだ触れてすらいないんだが、一体どういうことだ?

 答えを求めて視線を落とすと、アガルタが俺の影を踏んでいる。普段なら気にも留めない光景だが、明らかに異常な現象が起こっていた。

 俺の影が異様に黒く変色し、闇に混ざっても輪郭がくっきりと確認できるのだ。おまけに表面では小さい触手が波打ち、アガルタの足にへばりついている。


 影も第七沈鎮丸の影響範囲なのか! このチャンスを逃せるか!

 狙いを本物に修正、傍らを駆け抜けざま腹を杖で殴りつけた。手に肉を打つ確かな手ごたえが走り、アガルタが背後で倒れ伏す気配がする。この程度で無力化できるとは思っていない。すぐに封神弾を撃ち込むべきだが、拳銃を持っていないんだよッ! 調子に乗って留まったら、次はぶっ殺される。


 贄姫を抱えて和室を飛び出てると、座敷牢の回廊を逆走した。マヨヒガの幻術迷宮は、侵入者を入り口に戻す仕組みだ。迷うことでかなりの時間はかかるだろうが、アガルタは俺の案内がなくても出てくることはできるはずだ。急いで距離を取らないと。

 封神されている妖魔たちを解放されないか不安だが、あいつは神祖召喚を行うつもりらしいからな。召喚が成功しにくくなる、律が入り乱れる環境を作ったりしないだろう。だが妖魔が放たれなら——その時はその時だ。

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