第二章 その名は贄姫

「モガミ君。マヨヒガって知っているかしら?」

 新幹線で快適な旅をしながら、アガルタから不安な話を聞かされる。

 どうでもいいけど窓際の席を譲ったのは、景色を見せてくれるためじゃないんだろ? トイレに立つたび後ろからついてくるし、確実に逃亡を警戒してやがる。マジで厄介なことに巻き込まれたみたいだ。


「僕は居守です。ええ。昔の術士が隠れ家に使っていた異空間ですよね。人柱を立てて、精神世界である幽世に居住空間を生み出す……」

「そう。一週間ほど前に〇〇市で、クロイツ教が巨大なマヨヒガが見つけたのよ。人が迷い込んでもつまらないし、何が保管されているかもわからない。捜索しようとしたらしいんだけど、強力な幻術迷宮が展開されて、最深部まで到達できなかったらしいの。そこで幻術のスペシャリストである私に声がかかったわけ」

 アガルタのそばを、車内販売の台車が通り過ぎていく。彼女は慣れた手つきで台車からお茶のボトルを取ると、金を払わないまま口につけた。

 認識改変で気づかれないからって好き勝手やりやがって。こういう輩は好きじゃない。


「お姉さん。お代忘れてますよ」

 添乗員に声をかけると、相手は少し戸惑った。やがてアガルタのボトルを目にしてから、俺へと視線を移し、慌ててお金を請求してきた。恐らくお姉さんは、ボトルで取引があったと錯覚し、俺を見て購入者だと記憶を捏造したのだろう。きっとボトル自体、俺が持っていると幻覚を見ているに違いない。

 レベル3、合理的な一時改変。術をかけられた人間は、改変に自ら合理的な説明をつけてしまう。一時的なので後々おかしいと気づくが、その頃には手遅れだ。こんな奴を野放しにするしかないのだから、退魔業界の闇は深い。


 代金の支払いが終わって添乗員が去っていくと、アガルタはクスクスと上品に笑った。

「物好きねぇ……話を戻すわね。それで現場に入ったのはいいのだけれど、かなり強力な術がかけられているみたい。この私が上層を彷徨うだけで、三日も無駄にしたの。クロイツ教からは矢の催促。そろそろ後がなくなって来たってわけ。そんな時ふと思い出したのよ。天御門に認識改変が全く効かない、面白いボウヤがいるってね」

 俺からしたら面白くない話だよ。トリュフを探す豚扱いは飽き飽きしているんだ。


「俺が効かないのは認識改変だけで、現実改変による物理的な迷宮だったら役に立てませんよ?」

「そこは大丈夫。認識改変で間違いなし。それぐらいチェックしたから」

 まだ気になることがある。

「俺じゃなくて、現地のクロイツ教を頼った方が良いんじゃないですか? いくら学生とはいえ天御門の俺が出向いたら、連中はいい顔をしませんよ」

「私にもメンツってものがあるのよ。腕を見込んで頼んだのに、蓋を開けたら手も足も出ませんでしたぁ? アンタッチャブルに雑魚の席はない。翌日には異端審問会が招集されて、私を殺しに来るでしょうよ——それともなぁに?」


 アガルタが耳元に顔を寄せて、息を吹きかけてくる。異様に冷たい吐息が耳をくすぐり、背筋を凍えさせながら腰を浮かさせた。

「追い詰められた私が、世界を変えちゃってもいいの……?」

 しれっと恫喝までしやがって。

 俺も退魔士のはしくれだ。案件には全力を尽くすし、その上で自分の身も守って見せる。脅しに動ぜず睨み返してやると、アガルタは鼻で息を吐いて座りなおした。

「タガミ君。武器は?」

「居守です。帯同なので、見習いの俺は武器を持てません。電磁警棒のみですね。戦闘には参加できませんので、護衛をよろしくお願いします」

 アガルタはプイとそっぽを向くと、車内通路をぼんやりと眺めはじめた。顔を見せないようにしているらしい。やめろ。不安になる。


「結構」

 えぇ……しかも了解じゃなくて結構なのか。

 俺を使い潰す気でいるなぁ。この案件で劣等退魔候補生が一人死んだところで、法律はアガルタを裁いてくれはしないし、天御門も仇討ちはしてくれない。彼女は世界改変以外の全てが黙認されている。

 自分の認識耐性が恨めしい。飛んで帰りたいが、新幹線は夕暮れの街を目的地に進んでいく。



 午後七時。

 黄昏が空を焼く時分、俺たちは現場に到着した。

 場所は山の中腹で、裾野にはちょっとした街が広がっている。丘から眼下を一望すると、東京に比べて背の低い建造物に、道を行きかうまばらな人影、交通網が発展していないことを意味する夥しい数の自動車たちが確認できた。

 田舎と言うには緑が少なく、都市と呼ぶには寂れている。そんな街を遠目に見ながら、非常事態に備えて作戦だけは練っておく。


「う~ん。都市面積はでかいな……人口一万人くらいか。最悪の場合この街に逃れるとして、クロイツの教会はあそことあそこ……あっちにもあるな。この規模なら戦闘要員のエクソシストも駐在しているだろ」

 天御門の監督がないのも、アンタッチャブルとの仕事も初めてだからな。用心しておくに越したことはない。天御門とクロイツは友好条約を結んでいるし、万一のことがあったら保護してもらおう。


「こっちよ」

 あらかたの目星をつけ終えたところで、アガルタの声が背中にかかった。振り返ると山肌にぽっかり空いた洞穴の前で、赤い外套の乙女が手招きをしている。

 う~ん……陽気に手を振っているが、外套の隙間からたわわな横乳がばっちり見える。素性がアンタッチャブルじゃなかったら、スキップしながら飛んでいくんだがなぁ。

 アガルタに並んで洞穴を覗き込むと、狭い坑道が奥へと伸びている。冷たい空気が溜まっているので、どうやら奥は行き止まりになっているようだ。


「行くわよヒカミくん。先導して」

「はい。俺は居守です」

 俺が先行するのは決定事項なんですね……苦笑いを浮かべながらライトを手に取り、洞穴に満ちる暗闇を切り裂いた。浮かび上がる荒い岩肌を眺めながら、内部へと足を踏みいれていく。


 数分ほど進むと視界が開けて、テニスコートほどの大空洞に出た。どうやらここが最奥部らしい。探す手間も必要なく、正面の壁面に奇妙な物がぽつんと存在していた。

「日本家屋の玄関……マヨヒガの出入り口か……」

 漆塗りの厳かな木枠に、赤い引き戸がはめ込まれている。見た目は色褪せて風化しているのだが、造りは時代を感じさせないほどしっかりしていた。未だに人の手で、こまめに手入れがされているみたいだ。


 アガルタは引き戸を開くと、半身になって先を行くよう顎でしゃくった。

「内部は幻術迷宮が構築されているから、私が進むと玄関に戻されちゃうの。時間がもったいないから案内お願いね、サカキ君」

「俺は居守です。行けと言われても……認識改変以外のトラップはないんですか?」

「私が歩いた範囲ではなかったわ。もし何かあればそのつど補佐するから」

「信頼して……いいんですね」

「もちろんよぉ」

 アガルタはにへらと相好を崩すと、先を急かすように俺の背中をつついた。あの……ブリーフィングとかないんですか? 徐々に押す力を強くするのはやめてくれませんか? さっきから指でつつくのをやめて、足蹴にしていませんか?


 これは背中も気を付けないと、家に帰ることはできなそうだ。

 両手で頬を張って気をしっかりと持つと、そろりと玄関の敷居をまたいだ。

 玄関は飾り気がなく、目に入る小物はない。ただ式台のある建築様式から、創られたのが江戸後期だとわかった。現存するマヨヒガのほとんどが中世に作られていることを考えると、比較的新しいと言えるだろう。

 照明の類は見当たらないが、マヨヒガは燐光で仄かに照らされている。一歩踏み出すごとに、照らされる範囲も一歩進む。どうやら入った人間の認識力を、そのまま明かりに変換しているらしい。つまりここはすでに俺がいた物質世界の現世ではなく、妖魔が住まう精神世界の幽世だということだ。


 屋内には板張りの廊下が一本だけ、まっすぐ伸びている。一歩、また一歩と踏み出し、慎重に奥へと進んでいくが、分かれ道の類は見当たらない。廊下を挟んでいるのも何の変哲もない壁だ。認識改変を受けない俺からしたら、何処をどう迷うのかと勘繰りたくなる。

「アガルタさん。どんな感じですか?」

「あなたは来た道を二回引き返し、壁と床に一回ずつ消えた。服をつまんでいなかったら、別れ離れにされていたわね」

 不機嫌そうな声が返ってくる。面白くないのも当然か。世界最強の幻術士が手も足も出ない迷宮を、最弱無害の俺が案内しているんだからな。


 しばらくすると廊下の幅が広がり、壁が消えて木柱が整然と立ち並ぶようになった。呪術用の空間に出たのか? 歩みを止めないまま視線を巡らせると、木柱には横木が渡されていて、格子になっていることに気づいた。

「マジかよ……勘弁してくれ……」

 背筋に悪寒が走る。廊下を挟んでいるのは座敷牢だ。それも一つや二つじゃない。どこまでも続いて、廊下を形作っている。ほとんどは空だが、何かを幽閉している物もありやがる。薄暗闇に目を凝らすと、注連縄を撒かれた巨大な岩が鎮座していた。


 座敷牢越しに伝わるピリつく妖気に、生唾が喉を滑っていく。封神され、祀られた妖魔——つまり御神体だ。御神体のデカさは封神した存在の脅威に比例すると言われているが、こいつはかなりの高ランクの存在が封じられている。歩いていくうちにそんな危なっかしい座敷牢が、両手の指では数えきれないほど存在していることがわかった。

 任務名目でいろんなマヨヒガに引っ張り出されてきたが、こんなに妖魔を封印している場所はお目にかかったことがない。


「アガルタさん……ここは一体——」

「監獄っぽいわねぇ。ヨーロッパで魔女狩りがあったように、日本でも文明開化政策があったでしょう? 近代化の邪魔となる妖魔を、片っ端からここに閉じ込めたんじゃない?」

 文明開化政策がったのは明治初頭だから、マヨヒガの建築様式が新しいのも納得がいく。しかし新たな矛盾が一つ。

「文明開化政策で妖魔は、元の住処である精神世界——幽世に送り返したはずです」

 そうでもしないと、人類は発展することができなかったんだ。


 この世界は表層世界である現世と、深層世界である幽世で構成されている。

現世は俺たちが生活をしている実体の世界である。物質で構成され、物理法則に支配されており、生命の営みが行われる空間である。ここには人間のような物理生命が活動している。

 反対に幽世とは概念の世界だ。思念で構成され、物理法則の根拠となる『律』が存在し、精神の営みが行われる空間である。こちらには妖魔たち精神生命が活動している。

 つまり現世で働いている物理法則は、幽世の数ある中から選ばれた『律』の一つに過ぎない。幽世には様々な法則が存在するし、術士は幽世の律を用いて改変能力を使うのだ。


 妖魔や神格というものは、その律を司る超常存在である。幽世で眠っていれば何の害もないのだが、現世に降臨すれば律が発動してしまう。存在するだけで結界が展開し、範囲内では違う物理法則が働く。信者ができれば、そいつらも術を使えるようになってしまうのだ。

 こんなものが存在したら、物理の法則が乱れて科学の発展は望めない。百人の人間が、百回試して、百回同じ結果を出せるのが科学というものだからだ。そこで近代化を進めていた時の日本帝国は、妖魔を片っ端から討伐する文明開化政策をとった。

 文明開化政策は大正十六年に第五次をもって終了。日本は古来より住んでいた妖魔を封神し、幽世へと強制送還した。送還ができない強大な存在は、神社仏閣で祀られているはずだ。


「こんなところに……残っているはずが……ない……」

 俺がかすれた声で呟くと、アガルタはつまらなさそうに鼻息を吐いた。

「今はそんなことどうでもいいでしょ? 人柱を探してさっさと潰しちゃいましょう」

「いや……事情が変わりました。これほどの数の妖魔が封神されているのは、明らかに普通じゃありません。見習いの俺と部外者であるあなたで対処していい案件ではありませんよ。いったん引き返して、天御門に報告するべき——」

 ゴリっと、後頭部に冷たい何かが押し当てられた。

「オガミ君。あなた何バカなことを言ってるの? 行けって言ってるのよ。私にクロイツだけではなく、天御門にも舐められろと言うの?」

 カキリと、撃鉄を押し上げる音が耳朶を打った。銃口を押し付けられているらしいな。装填されているのは落憑弾だろうか、それとも封神弾だろうか。相手がアンタッチャブルだけに、実弾の可能性も否めない。


 こうなることは想像できたけど、その百倍はひでぇ状況だ。体術なら俺に分があるかもしれないが……アガルタとの距離は逃げるには近く、反撃するには少し遠い。絶妙なポジションだ。

 今は逆らわらず、隙を見て逃げ出す方が良さそうだ。

「俺は居守です」

 重くなった脚をのろのろと引きずり、延々と続く一本道を案内していく。


 アガルタに先行しながら、マヨヒガを進むこと十数分。座敷牢の回廊は永遠に続くかと思われたが、終端を迎えて象形文字が入った襖が立ち塞がった。

「うえぇえ。この独特な円形文字……カタカムナ文明のだ……またちぐはぐになってきやがった」

 日本史が始まる國譲り前に、先住民族が使っていた古代文字だ。と、いうことはだぞ? このマヨヒガを管理していた宗教は、少なくとも古代から江戸後期まで存続していたことになる。そんな歴史的な宗教資料が、マヨヒガという形でそっくりそのまま残っているんだ。


「とんでもない話だ……教科書に載るぞコレ……」

 襖の向こうが最奥部なのは間違いない。既に一仕事終えた感覚が身体から緊張を奪っていくが、奥ではマヨヒガを維持するための人柱が待っている。気を引き締めないとまずい。

 アガルタはマヨヒガを潰すつもりでいるみたいだが、収容されている妖魔の危険度、そして歴史的な観点からも、何とか天御門に引き渡したい。問題はハジキを振り回す危ないお嬢さんを、どうやって説得するかだ。


「開けて」

 アガルタが銃口で背中を突っつく。

 俺は深いため息をつくと、襖を開け放った。待ち受けていたのは十二畳ほどの、何の変哲もない和室だ。普通マヨヒガというものは所有者の呪物で溢れている物なんだが、ここは最奥部だというのに酷くこざっぱりしている。調度品の類は見当たらない。

 ただ和室の中央には一人の少女が、瞳を閉じて正座をしていた。歳は俺と同じくらいか? カタカムナ文字入りの着物を身にまとい、その上を滑らかな長髪がさらりと流れている。どうやら封神されているらしく、身体は呼吸を忘れて微動だにしていない。膝元には身の丈くらいもある錫杖を置いているのだが、それが様になって人形のように思えた。


どうやらこいつがマヨヒガの人柱らしい。

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