第五章 幻想卿 その2

 俺はこれまでの経緯を、対面の神堂、そして通信機越しの倉敷にかいつまんで話した。

 マヨヒガでの杏樹との出会い、エクソシスト相手の攻防、ブラックサザンクロスとの交戦、そして神堂との決着。振り返ってみると、結構な修羅場を潜ったものだとしみじみする。

 倉敷はそのことにご立腹のようで、通信機からギギギと歯ぎしりの音が聞こえてくる。


『なぁ~にが『クロイツの通信機を拾っただけ』だよ。おもっくそトラブってるじゃん。最初っから私を頼ってくれればさぁ、今頃結界の外に出してあげれたのにぃ。何で信じてくれないかねぇ。そこのマヌケ……あっ、杏樹ちゃんのことじゃないよ。なんかいるでしょ? 幻術で狂って了ちゃんに襲いかかっただけの、何しに来たかわからないエリート(せせら笑い)が。そいつが出る幕なんてなかったよ?』

「でも……お前を頼ったら、わざとクロイツと天御門を争わせて、その隙に逃げろとか言いそうなんだもん……」

『それの何がいけないの? 一番手っ取り早くて確実じゃん』

「あっけらかんとオッソロシイこと言うんじゃないよ。宗教紛争が残っちゃうだろが」


 倉敷ちゃんトばしてるなぁ。神堂が引きつった笑みを浮かべながら、何か言いたそうに机を指で叩いている。こんなにイケイケな子だと思わなかったでしょ? 倉敷ちゃんは劇物だから、安易にお願い事をしちゃいけないの。

「それにしても……万能生贄……か……」

 神堂が深いため息をつき、複雑な表情で杏樹を見つめた。

「居守よ。アガルタの野郎が何を喚ぶつもりかは知らんが……神格はランク8か9だぞ? 現実と認識を永久に変える力を持っているし、変わってしまった世界は元の戻すことは難しい。高原……杏樹だったか?」


 神堂の問いかけに、杏樹はおずおずと頷き返す。

「はい。高原杏樹こと、衛境衆の贄姫でございます」

「よし高原だな。いいか。アガルタから逃げるにしても、彼女を連れ歩くだけで、生贄目当てのカルトどもが集まってくる。どこか受け入れ先を見つけるのが先決だと思うのだが」

 神堂の奴、杏樹のことを『贄姫』と呼ばないんだな。なんか意外だ。そんなことを思いながら、考えを巡らせる。


「天御門は避けたい。恐らく俺に神祖召喚を行わせようとしていたし、俺以外の後継者を擁している可能性もある。杏樹を引き渡しても、安全に保護してくれるとは思えないんだ」

 神堂が疑るように眉根を寄せた。

「その第七次文明開化計画って……証拠はあるのか?」

『第七次文明開化計画の書類送ったでしょ~? 私が十個ぐらい校則違反して手に入れた、機密書類の何が不満だってーのよ』

「アガルタの工作の可能性も否めんからだ。天御門に不信感を抱かせれば、それだけで護衛のゴールをかなり遠くまでずらすことができるからな。第一、一介の退魔候補生が、手に入れられる範囲にあった情報だぞ? 信用できん」


『了ちゃん? 私に変わって一発殴ってくれる? 入学試験の時みたいに』

 喧嘩しないでください。杏樹も不安がってる。

「アガルタが俺を連れ出すとき、書類を見せてきたんだよ。部長印の他にも理事長印まで押してあって、法的な効力を持っていたよ。流石のアガルタでも、天御門の執行部まで手を出すのは無理だ。あそこは日本最高峰の術士が守りを固めているからな」

 神堂が唇を尖らせて、深いため息を吐いた。

「……魚は頭から腐る……か……」


『ちょいまち。何で後方支援の私を信用せず、了ちゃんのことは一発で信用するの? それおかしくなぁい? 態度改めないと実戦で痛い目を見るよ~?』

「では天御門以外で『無視すんじゃないよエリートォ!』何処を頼るか決めているのか? 俺は天御門の人間だが、お前に神祖召喚を行わせたくない。俺だって退魔士だ。目的がどうあれバチカン聖約違反は見過ごせん」

「俺だってよく知りもしない宗教の教祖になりたくねぇよ。衛境の神祖がどんなものか、分かったものじゃないしな。んでほかの宗教組織だけど、クロイツは無理だな。幻術で狂っている上、処女懐胎ができる彼女の存在を許さない」

『イシュメイルは論外だね~。偶像崇拝を許してないし、神祖を喚べちゃう杏樹ちゃんは神様の偶像扱いだからね。抹殺対象だよ』


 クロイツもイシュメイルもダメなら、三大宗教は一つしか残っていない。

「じゃあ居無教はどうだ? あいつらの教義では、彼女は『生き仏』に近い。丁重に扱ってくれると思うんだけど」

 神堂君。鼻で笑うのはやめてくれ。

「居無教は他教との揉め事を好まん。何年か前に天御門に喧嘩を売った術士が、居無に身元保護を求めたことがあったよな? 話が遅々として進まずに、宙ぶらりのところをウチで対処したはずだ。俺も出たから覚えている。今回も同じようになるんじゃないか?」

 さすがエリート。いろんな仕事に関わっているんだな。ちなみにこの場合の対処したとは、禁固ないし抹殺したということである。


『あー。私その記録興味本位で覗いたから知ってるー。天御門に喧嘩売ったから、今座敷牢でそのことを悔いてるはずだよ』

 監禁されているそうです。倉敷ちゃんが言うんだから間違いない。

 神堂は嘲りを込めて唇の端を釣り、なおも続けた。

「それにだ。居無教は教義で諸行無常、諸法無我を説いている。居無は教えを堅守することに重きを置き、邪教徒による世界改変にはさほど嫌悪感を持っていない。居無を信じる教徒なら、変わった世界でも生きていけるとの考えだ。この女を見捨てる可能性が高い」

 つまり世界三大宗教は、どこも杏樹を受け入れてくれる可能性が低いということになるんですが……。


「どうにもならないじゃないか」

 俺の言葉に、神堂は当たり前だと机の脚を蹴った。

「それだけのことをしでかそうとしているんだよ。お前は」

 倉敷も心苦しそうに、神堂に同調する。

『う~ん……やっぱり、天御門に一度連れてきた方が良いんじゃないかなぁ? こっちにはバチカン聖約違反の証拠である、第七次文明開化政策の書類データがあるし……下手に手出しできないでしょ』


「でもよぉ……それだと……」

 杏樹は……一生……座敷牢で——。

 隣を見ると、杏樹と視線が合った。おおよそ満足がいく内容じゃなかったはずなのに、陰りのない微笑みをむけてくれている。その笑みに彼女の全てがこもっていた。俺を信じ切り、全てを捧げ、そして委ねる、全てがこもっていた。

「あなたがそう仰せなら、それに従います。わたくしはあなた様に退魔士としてお守り頂き、その選択が全て正しいことを存じております。そのようにいたしましょう」

 本当に……それしかないのか。俺だけじゃない。神堂も、倉敷も、その問いを自らにつきつけたに違いない。みんな黙り込み、膝元に視線を落とした。

「食え……もたんぞ……」

 やがて神堂が話を逸らすように、再びメニューを杏樹に押し付けた。


「ではお言葉に甘えて……」

 待遇が決まって、余裕ができたらしい。杏樹はメニューの表紙をめくり、視線を巡らせた。やっぱり現代の食べ物は珍しいよね。目はきらめき、頬を緩ませて、仕草には出さないが、はしゃいでいるようだ。

 杏樹はドリンクメニューを一通り眺めた後、カルピスに視線を止めて柳眉を下げた。なんだなんだ? カルピスに思い入れでもあるのか? って言うか、大正時代にカルピスなんて存在したのだろうか? ひょっとして牛乳と間違えているとか。


「どったの? カルピスが気になる?」

「いえ……懐かしゅうございまして……わたくしが帝都で学生になりたての頃、カフェーで——いきぃッ……!」

 杏樹が唐突に、捻り殺されたような悲鳴をあげた。

「どうした……? メニューに虫でも挟まっていたか」

 メニューへ向けられていた杏樹の首が、ギギギと音を立ててこちらを向いた。

「あなた方は、華族か貴族の御子息なのでしょうか……?」

 いきなり何を聞くかと思えば。

「俺はようわからんが、一般の出で間違いないぞ」

「俺の家は旧華族だ。なんか文句あるのかコラ」と機嫌悪そうに神堂が応える。

『あー。私んちは商人の出らしいよ~?』倉敷が陽気な話題に飛びついて、明るい声で言った。


 杏樹は何かを思い出して顔を真っ赤にすると、首をすごい勢いで左右に振った。

「ならばわたくしは水だけで十分にござります。かような高価な品物、わたくしには過ぎた贅沢です。もう二度と……あのような過ちを犯してなるものですか」

 一体過去で何があったんだ……。帝都で学生をしていたらしいが、思えば杏樹のことを何にも知らない。

 神堂が急かすようにまくしたてる。

「もうすぐここも閉まる。何か腹に入れろ。行動中にへばられたら困るんだよ」

「ですがコレっ! カルピス五百円っ! ごひゃっ! 五百円もしますからっ!」

 杏樹はメニューの値段をしきりに指さしている。倉敷が「あっ」と、納得の声を出した。


『大正の一円は、現代で五千円の価値があったらしいよ~。物の価値も今と違ったらしいしぃ。当時カルピスは一杯十五銭で、一瓶一円ぐらいだから……うっはぁ十七万五千円だと思った? そんな訳ないから安心して頼みなよ~』

「そうです! あの時わたくしも、そんな訳ないと思って一瓶頼んだんですっ! そしたらっ! そしたらっ! わたくし払えなくて! そこに一条さんが!」

 神堂が杏樹からメニューを奪い取った。

「騒ぐな、黙れ、人目につく。おい居守。お前が代わりに頼んでやれ」


 そんな大役、俺に押し付けるんじゃねぇよ。かといってこのまま時間を無駄にするのももったいない。そういや杏樹の奴、出会った頃パフェに反応していたな。杏樹がどうなるにせよ、悪くて生贄にされ、良くても監禁されるんだ。二度と表を出歩けない可能性が高い。ちょっと奮発して、贅沢なやつをおごってやろう。


 一番値段が高いパフェは……杏樹にメニューを見せながら、ロイヤルパフェを指で差した。

「コレなんか食ってみるか?」

「三千五百円!? 給料何年分にございますか!?」

「時給三時間分だよ。気にするな」

『ちょっと待って! パフェは私におごる約束じゃん!』

「お前には後でおごるよ!」

『そういう問題じゃないよ! あのさぁ今まで我慢して黙ってたけどさぁ! 杏樹ちゃんってどんな子なの!? 私よりおっぱいデカい!? そりゃデカいよねェ!? だって私より小さい子なんて、小学生にしかいないもんねェ!』


「わた……わたくしはそんなはしたない女では……」

『こりゃ杏樹ちゃんは天御門に来ても、自由待遇にしないとねぇ! このままだと私が悪者になっちゃうしぃ!? 特別な絆なんか絶対に許さないからァ!?』

 神堂が人目を気にしながら、机をノックして皆を黙らせた。

「おいコラ居守。それ以上そいつらに喋らせるな。俺のカツサンドと併せてさっさと頼め」

「わかったよ。そう怒るなって……」


 店員さんが俺たちの脇を通り過ぎるのを待って、その脚に影を絡ませる。さっきから喋っているだけでも、棘のある視線を向けられていたからな。悪口を言っているように、思われていたんだろう。

 できるだけ人懐っこい笑顔を浮かべつつも、申し訳なさそうな雰囲気を醸し出して――と。


「店員さーん。すいませーん。注文よろしいですか?」

「えっ? あ……はい。お伺いします」

 意外そうな声から察するに、やっぱり幻術のフィルターで良い印象を持たれてなかったんだろうな。

 ウエイトレスが伝票にペン先を押し当てると、杏樹の狼狽が加速した。


「いや!? なりませぬ! なりませぬ! そのような高価な品はいただけません!」

「静かにしろってんだろうが! 周りをちったぁ気にしろ」

 とりあえず神堂の一括で杏樹は大人しくなり、注がれていた好機の視線は散る。そしてウエイトレスさんも、どこか可笑しそうに口元に微笑を浮かべたのだった。

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