第五章 幻想卿

 毒島から奪った通信機が、まるで蜂の巣をつついたかのように喚き散らしている。

『いたか!?』『いや! 見当たらない!』『もっと探せ! 国道には出ていないはずだ!』

 ご察しの通り、隣町には抜けられませんでした。川沿いに麓に下りて、街の田んぼに戻り、農具置き場に身を潜めています。神堂の散弾で四肢を潰されたから、えらい難儀したぞぉ~? 杏樹の治癒術と介助がなければ、今頃神社でとっ捕まっていたな。


『交戦相手はわかったか? 身内じゃないだろ?』『神道系の護符だ。恐らく天御門だな』『尻拭いか……口封じか……いずれにしろ見つけたら確保しろ』

 おー怖ェ……ガラ攫って何するつもりなんですかね? 洗脳してこの騒動の責任を被せるのはもちろん、表沙汰にしてないクロイツの不祥事を負わせる気が満々だな。あー駄目だ。天御門のせいで、宗教組織に対して不信感が増してやがる。行き過ぎた警戒心は、偏見と変わりない。杏樹のためにも自重しなきゃな。


『清澄はどうする?』『ほっておけ。今はそれどころじゃない』『記録には残すなよ。重火器の持ち出しが公になるとまずいからな』

 そいつのガラは抑えといて欲しい。二度あることは三度あるからな。次はエクソシストご自慢の武装車両で襲ってきそうだ。

『ちょっと~、いつまでチンタラしているのよ~? 布教するときのやる気を見せなさいよ~』


 うげぇ! この声はアガルタ! 山に来ていたのか!

『県境封鎖班の配置はそのまま。街の巡回班から人員を抽出して、周辺を徹底的に捜索しなさぁ~い。そう遠くには逃げていないはずよぉ~。ここで仕留めるのよ~』

 アガルタは俺が森に潜んでいると踏んでいるようだな。決着を急いでいるようだが――恐らく結界範囲外の宗教組織が、市内で起こっている騒ぎに興味を持ったな。

 当然か。街では冷気の異常気象が起き、手榴弾の爆発騒ぎ、そして山中で銃乱射が起こったんだ。各組織の退魔士が、現状を確認しに来るだろう。そうなりゃ余程の術士が来ない限り、幻術の影響を受けて俺に牙をむく。

 逆にいい方に捉えれば、外部がアガルタの暴走に気づくのも時間の問題ということだ。アガルタもそれが怖くて、さっさとケリをつけたいに違いない。


 俺の立場が有利になるまで、時間を稼いだ方が良さそうだ。

『本部より入電。町内巡回班から人員を抽出し、徹底した山狩りを行う。事件の特殊性から、我々クロイツの手で解決する必要がある。外部宗教組織の介入が行われる前に、邪教徒と万能生贄を確保するのだ。アーメン』

 その言葉を最後に、通信機からはエクソシストの雑多なやり取りが流れ出した。

 しばらくは……有用な情報もなさそうだな。

 今のうちに、倉敷に連絡をつけてしまうか。


 俺が通信機の操作を始めると、贄姫がそっと背中に手を置いた。

「居守様。お目覚めになりました」

 おっと、思ったよりも早いな。振り返ると神堂が頭を押さえつつ、上半身を起こしたところだった。念のために、足を影の触手で拘束している。だが落ち着いているのか、飛び起きて杏樹に掴みかかるような真似はしなかった。辺りを見渡し、納屋に寝かされていることに気づくと、深いため息をついた。


「負けちまったか……」

「俺は勝ったとは思ってねぇよ。お前は幻術にかかっていたしな」

 神堂は近くの石を引っ掴むと、狙いも定めずに投げつけてきた。

「黙れ。むかつくんだよクソが。死ね。で? どうするつもりだ?」

「お前がクロイツに捕まったら、何をされるかわからんからな。安全な場所まで引っ張ってきただけだ。悪いがコトが済むまで、ここで大人しくしてもらうぞ」


 二発目の石が胸に当たる。

「ンなこと誰も聞いていねぇよ。お前がどうするか聞いてんだ」

「聞いてどうするんだよ」

 神堂は口の端を釣って、自嘲気な笑みを浮かべた。

「邪教嫌いのお前が、神祖召喚なんて行うわけなかろうが。その女が何だか知らんが、護衛して逃げているんだろ? 状況を説明し計画を教えろ。一枚噛んでやる」


 え? マジで? 神堂君は天御門きってのエリート。その戦闘力の高さは、先ほどまで死闘を演じた俺がよく知っている。ていうかゴム散弾で撃たれた四肢が、まだずきずき疼くもん。願ってもない申し出なんだが、安易に受けることはできない。

 杏樹が俺にすり寄り、耳元で囁く。

「居守様なりませぬ。先ほどまで剣を交えた相手ではありませぬか。再び幻術にかかれば、身に宿す劣情から仇為すのは必至でございます。それに天御門の連中は、己が目的のために平気で人を裏切りまする。ここで封神してしまいましょう」

 杏樹にしては棘のある態度だが、衛境衆は天御門に滅ぼされたんだ。神堂のことを良く思わないのは当前だ。そして杏樹の言っていることはおおむね正しく、再び神堂と戦ったら負ける公算の方が高い。


 だがそんなちゃちな計算よりも、俺には信じられるものがあった。

「お前もさ……俺と同じくらい邪教嫌いなのは知ってるよ……」

 劣等生とエリート。立場は違えど、肩を並べて探索部を目指してきたんだ。密度の高い時間を共に過ごし、その過程で神堂が邪教を憎んでいるのを知っている。邪教の魔手から人々を守りたいという、溢れんばかりの想いを持っていることもだ。

 神堂が邪教を憎む根拠が何かまではわからない。だが俺の想いが両親を殺されたことに根差しているように、他人が好奇心で触れてはいけないものだと思う。


 張りつめた場の空気を仕切り直すために、俺はいやらしい笑みを浮かべた。

「あー……ひょっとしてお前、俺と戦うためにわざと幻術にかかったか?」

「黙れや……アガルタを捕まえたら次はテメェの番だからな」

 神堂は苦笑すると、埃を払って立ち上がった。

「じきにここも捜索が入るかもしれん。こちらは術士二人に足手まとい一人。おまけに意思の統一もできていない。いったん落ち着けるところまで退いて、そこで話を聞かせろ。術を使うぞ。いいな?」


 神堂が「本当に俺を信じるんだな」と確認するように、じっと俺を――そして杏樹を交互に見た。俺が二の返事で頷くと、杏樹も「居守様の信じる御方でしたら」と首を縦に振った。

 神堂が足にまとわりつく、俺の影を振り切りった。そして懐から護符の束を取り出すと、宙にばら撒いた。


「急急如律令」

 神堂が短く唱えると、宙を舞う護符が一斉に俺たちにまとわりついた。

 あれ。不意打ちで封神された? と、身構えたのは一瞬のこと。護符は折り重なって衣服を形成し、虹色にきらめいてグレー色に落ち着いた。やがて俺たちは何の変哲もない、学生服姿になっていた。


「護符自体に物理的な仕掛けがしてあるから、落憑しても術は解けん。その格好なら、暇なポリ公ぐらいしか気に留めんだろ。いくぞ」

「よかったな杏樹。口は悪いけど、俺よりも頼りになるぞ――いて」

 神堂の手加減した蹴りが、俺の尻を引っ叩いた。



「はわぁ……」

 街を歩く杏樹の瞳が、ネオンを反射して七色に煌めいた。街を逃げていた時は、景観を楽しむ暇がなかったんだろうなぁ。首を亀のように縮めつつも、興味深そうにあちこちに視線を巡らせていた。

 街灯すら珍しかった大正時代から、コンピューターを携帯できる令和までタイムスリップしたんだ。五感で感じる全てが新鮮で、強烈で、不思議だろう。


「おい。そいつにあまりキョロキョロさせるな。どこで見られているかもわからん」

 神堂が杏樹を気にして、俺の脇腹を小突いた。

 確かに。深夜の町は人の往来も少なく、不審な動きをすれば嫌に目立つ。杏樹の耳元に顔を寄せて、さりげなく囁いた。

「珍しいのはわかるけど、今は我慢して前だけ向いてくれるか?」

 杏樹は顔を真っ赤にすると、浅く頷いて俯いてしまった。好奇心を抑えてくれたのはいいが、代わりに震える指先が俺の袖を強く摘まんでくる。彼女なりに平静を保とうと、見ることで不安を緩和していたみたいだ。


 なんとなく。本当になんとなくだった。

 心の支えになれればと、杏樹の手をそっと握りしめる。彼女がはっと顔をあげて、俺と視線を重ねた。

 杏樹の目が驚きに見開かれて、瞳の水晶に俺を映した。やがてつないだ手から緊張が抜けていき、全てを委ねるように力を抜いた。


「いえ……助かります……」

 杏樹がしんみりと呟く。なんか……妙な雰囲気になっちゃった。それまで腹の内を隠して探り合っていた関係が、終わってしまった事をはっきりと感じる。今では互いに気遣い、その本心を知りたいと、気持ちを通わせている感じだ。

 互いに視線を離すことができなくなり、併せて足も止まってしまった。

 神堂は立ち止まった俺たちに気づくと、一瞬顔をしかめた。だが難しい面持ちでため息をつくと、近くのビルを指で差した。


「おい。もう夜も更けて人通りも少ない。ンなとこ突っ立ってたら目立つ。そこ入るぞ」

 ビルのテナントに、深夜営業をしているカフェが入っている。閉店の二時まで、まだ少し時間があった。

「ああ……」「はい……」

 俺たちは神堂の後に続いて、店内へと足を踏み入れた。


 洒落た雰囲気の店内は空いてはいるが、念のため宗教関係者がいないか視線を配る。チェック良し。お客さんは残業を抱えた会社員が一人、問題集を広げた学生が二人だけだった。

 非常口に近い窓際の席に腰を下ろし、とりあえず一息をついた。俺の隣には杏樹が腰かけ、物珍しそうに店内を見渡している。向かいで神堂が背もたれに身体を預けて、足首にまとわりつく俺の影を眺めていた。


「第七沈鎮丸といったな? 妖力を無にするだけで、ここまで見つからなくなるものなんだな」

「エクソシストを山狩りに引っ張り出したから、町内には追手が少ないのも影響していると思う。しばらくは安全だろうが、じきに戻ってくるだろうな……ここが閉まったらどうする? 外は目立つだろ」

「それまでまだ余裕がある。余裕があるうちに、いきさつを聞かせろ。あとお前、あの名前も覚えたくもない嘘吐きのクソメスと通信していただろ? あいつも関わっているのか?」


 倉敷ちゃんのことね。

「はー……巻き込みたくねぇから、情報だけ送ってもらっていたんだけど、もう巻き込んじまったのと変わんねぇなァ。あいつ多分衛境衆の資料手に入れるために、校則破ってるだろうし」

「なら通信つなげろ。バックアップはいた方が良いし、放置して勝手な真似をされても困る。ムカつくボケだが、使える女だ」

「オッケー……」

 俺が机の上にクロイツの通信端末を置くと、神堂は杏樹に視線を移した。


「おい女。何か頼め。随分と消耗しているはずだ。食わんともたんぞ」

 神堂はそう言って、杏樹へメニューを投げた。態度は冷たいが、気を使っているんようだ。

 杏樹はどうすればいいか尋ねるように、ちらと横目で見てくる。

「こいつは味方だから、安心して頼ってくれ」

「されどわたくし、お腹など空いておりませぬ……」

「頭ではそう思っていても、身体は違うかもしれない。なんでもいいから腹に入れてくれ」


「居守様がそう仰せなら……」

 杏樹の手がメニューに伸びるも、表紙に置かれた手がページをなかなかめくらない。ひたすら俺と神堂を気にして、様子を窺っている。そりゃあ気になるよなぁ。今から自分がどうなるか、話し合うことになるんだから。それでも飲食物には興味はあるらしく、彷徨う視線は何度かメニューを挟んでいた。


 放っておけば、そのうちメニューをめくるだろう。俺はそう判断して、通信機で倉敷をコールした。

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