第四章 100年の孤独 数時間の邂逅 その3

「立派な答えだ。同じ状況下、同じセリフが吐ける現職がいるか考えると、情けなくて涙が出るよ……クソッタレ」

 この口の悪さは……ひょっとすると……。

 贄姫に社に留まるよう、視線で指示しながら外に出る。


 満月が真円を描く空の元、廃れた境内が視界に入ってくる。石畳はひび割れ、灯篭は崩れ落ち、敷地は雑草で荒れ果てている。枝打ちすらされてない鎮守の森で、ひときわ高い針葉樹の上に、何者かが佇んでいる。

「いずれにしろ、俺の勘が当たっていたようだ。お前ほどの野郎が最弱無害なはずがないと、日々日々思っていたんだ。なぁ。居守ィ……」


 月光を背に負うことで、暗闇に浮かび上がるシルエット。風にたなびくは天御門優等生を意味する深紅のマント。手に携えるは艶消しの漆が塗られた一佩きの太刀。鋭い眼光。鈍い仏頂面。背後ですくむ贄姫には一瞥もくれず、ただ俺を威圧的に睥睨している。

「神……堂……? 何でここに……?」

 月明りの影で、奴の唇の端が歪むのが見えた。

「てめぇが保健室の近くで、アンタッチャブルとつるんでいるところを見かけたんだよ。その後すぐに帯同命令が出たら、おかしいと思うのが普通だろうが。お前が参加できる任務は、天御門の管轄下にしかないからな」


「神堂くぅん……」

 胸にキュンときたよ。こんな俺にも気を配り、危機に対応してくれる仲間がいるんだ。いやぁ天御門の陰謀とはいえ、君には模擬戦で散々にやられてきたからなぁ。複雑な感情を抱いているが、こんなに頼もしい味方はいない。お前とならエクソシストの包囲網を突破して、アガルタの結界範囲外まで逃れることができる。


「現地で情報収集をしながら、倉敷とのやり取りを盗み聞きさせてもらったぞ。なかなか面白いことになっているようじゃあないか? ン?」

「当事者じゃなけりゃあ、腹を抱えて笑っているところだよ。聞いてたのなら話は早い。贄姫の処遇を巡って対立すると思うが、とりあえず結界範囲外まで逃げるのを手伝ってくれ」

 クククク……っと、神堂が喉を鳴らす。何で笑っているんですかね? そこは普通、二の返事で「いいだろう」という場面じゃないのか? ってもしかして……神堂も幻術にかかっているんじゃねーのか!?

 ゾクゾクと背筋を悪寒が走っていく。やべーぞオイ! 神堂は天御門きってのエリートだ! 今まで相手をしたエクソシストとは格が違う! ガチンコで勝てる相手じゃない!


 戦々恐々と戦慄く俺をよそに、神堂は笑みをより引きつらせていく。

「かつて日ノ本最強と謳われた、衛境衆の正統後継者だったとはな……ならば俺が負けたのも納得がいく、それでこそ雪辱を晴らす意味があるというものだ」

 雪辱を晴らすって……まさか……。

「し……神堂くん……? ひょっとして……入学試験で俺が勝っちゃったことまだ根に持ってるの……? 違うよね? そんな小さなこともう忘れたよね?」


 退魔校の入学試験では、全ての部署における適性を試される。情報部なら戦域管理、器物部なら呪物審査、治癒部ならお祓いを言った具合にだ。そして探索部は術士同士の模擬戦によって評価が下された。

 模擬戦当日。切られたカードは神堂VS倉敷だった。倉敷は情報特化の成績で、この模擬戦で勝てなければ入学できなかった。しかしどういう訳か急なマッチングの変更があり、俺と神堂の試合が組まれたのだ。今に思えば、この時から天御門によるイびりが始まっていたんだな。


「あの時はホラ。ほぼ不意打ちだったじゃん! ヨーイドンで俺がバン! 術の応酬とかなかったし、それやられたら俺に勝ち目なかったし!」

「嘲るがいいさ。ランク4の俺が……名家の俺が……特待生の俺が――入学試験でランクゼロの一般人に負けたんだからな。それも一発でな」

「話を聞いてくださぁい!」

 ダメだ。今まで相対した、幻術に墜ちた連中と一緒だ。俺の言葉にフィルターがかけられ、コンプレックスを刺激されているに違いない。ていうか、やっぱ試験のこと根に持っていたのか!? 済んだ話だろ!?


「大騒ぎになるはずだよなぁ。しかし試験内容は秘匿され、俺の最高成績だけが残った。ふざけやがって……凄まじい屈辱だッ! クソがッ!」

 あー……確かにプライドの高い神堂に、負けをなかったことにされたのは腹が立つに違いない。

「それでなんだ? 入学したらお前は劣等生扱い。そのくせ模擬戦のたびに組まされて、術を使わない舐めプの相手をさせられる。フラストレーションで頭がおかしくなりそうだったよ。それが好敵手を委縮させる策だと知って、今じゃ羞恥心で死にそうだ。まぁ……それも今日で終わりだ」


 神堂がトーラス・ジャッジの銃把を握りしめた。

「ここには誇りを忘れた教師も、やかましいギャラリーもいない。二人きりだ」

 神堂の指が撃鉄を押し上げ、カキリと冷たい金属音が辺りに響いた。瞬間——神堂の外套から大量の護符が剥がれ落ち、紫電を伴いながら宙に展開した。

「この機を逃しては、汚名を晴らす機会は二度と訪れまい」

 結界を張りやがった。もう呑気に話し合いをする余裕なんてない。


「行くぞ居守ィ!」

 神堂が雄たけびを上げ、トーラスジャッジを構えた。

「下がってろ! 杏樹!」

 杏樹が駆け寄ろうとするのを、手のひらを見せて押しとどめる。彼女は携えた呪杖を、俺目がけて投げた。

「第七沈鎮丸をお持ちください! わたくしにもわかりまする! 杖なしに勝てる相手ではございません!」

「でもお前……」

「これでも衛境の娘です。幻術に耐えて留まることはできます!」


 お前がそういうなら……信じるしかない。右手にリボルバー、左手に杖を構えて、境内へと躍り出る。

 神堂の狙いは俺のようだが、幻術で贄姫を誤認する恐れもある。戦闘しつつ杏樹から距離をとらないとまずい。そして神堂は撒けるほど甘い相手じゃない。エクソシストが騒動を聞きつけて集まる前に、決着をつけなければならない。

 神堂の情報は聴きたくもねぇのに、倉敷から散々聞かされているんだ。「来たるべき報復のために」とかほざいてたけど、こんな形で役に立つとはな。


 神堂のランクは4。不合理な恒久改変、視覚範囲内改変の能力を持つ術士だ。氏神の律を用いて、雷系統の術を使う。

 高所に陣取られるとやりにくい。とりあえず樹上で屹立するシルエットに、三発落憑弾を撃ち込んだ。

 この距離だ。はずさねぇ。きっと衝撃でバランスを崩すか、たまりかねて遮蔽物に身を隠すだろう。

 が。

 射線上に存在した護符が、紫電を発しながら銃弾をそらした。一発、二発、三発。銃弾は護符に跳ね返され、夜の闇へと消えていく。護符を帯電させて磁界を生み出し、弾をそらしているらしい。

 銃弾で落憑した護符が、一枚、二枚、三枚と、地面へと落ちていく。だが同じ数の護符が神堂の外套から剥がれ落ち、即座に補充されていった。


 なんつー堅い防御だ。こんな単発銃じゃ、結界をぶち抜いて加害するなんて無理だ。接近戦を仕掛けるしかない。

「まだ術を使わないのか? 俺を舐めるのもたいがいにしろッ!」

 神堂がトーラスジャッジで、三発撃ち返してきた。

 俺はあいつと違って動いているし、五十メートルほど距離がある。こんなのにはそうそう当たらない。神堂を中心軸に一定の距離を保ったまま走り、銃弾を難なくかわした。

 このままジクザグ軌道で肉薄し、肉弾戦に持ち込んでやる。


 突然、背中に焼けるような痛みが走った。

「おっ……ごあっ!」

 続いて二度目の衝撃が背中を貫く。足から力が抜けて、疾走から勢いが落ちていく。

 何が起きて――ちらと弾が飛んできた方角を見やると、数枚の護符が落憑して地面に落ちるところだった。野郎……護符で跳弾させて、俺を狙っているのか!

 守りのバリアと、攻めの曲射。攻守が揃った極めて実戦的な術だ。


「反則だろォ……」

 弾頭はゴムだかプラスチックだかわからんが、非殺傷弾で間違いない。実弾なら終わっていたが、どっちにしろ激痛で意識が飛びそうだ。痛みに負けて崩れ落ちたくなるが、この場に留まることはできない。三発目の跳弾と、四発目の神堂から直接射撃がくる。このままだとお陀仏だ。


『了ちゃん。術を使えるよ』『相手の結界を使うんだよ』『影に沈んで消えたっていうし……』

 倉敷の言葉が脳裏に甦る。

 一か八かだ。

「東昇西沈吾座不転ッ!」

 呪詛を唱え、杖に念を込めた。

 皮膚から元気が蒸発していくような、不思議な感覚が身体を襲う。間を置かず足元から地面が消え、身体がずるりと影に沈んでいった。

 何が起こったのか知る余裕もないまま、影を踏みぬいた足が大地を捉える。気が付くと、月光の当たらない木陰に立ち尽くしていた。


 離れた場所から銃弾が跳ねる音がし、神堂の喜悦の雄たけびが上がる。

「ようやく術を使ったな、居守ィ!」

 俺は何をしたんだ!? 周囲を確認すると、境内から数メートル離れた鎮守の森にいるみたいだ。これはひょっとすると……やべぇ、悠長に立ち止まっていられん。神堂がこちらに気づいて、狙いを定めている。五発目がくるぞ。


 森の木立を縫うように走り、再び杖に念を込める。俺の足が影に沈むと同時に、離れた枝葉の影から靴先が出てきた。全身が影に沈み切ると、俺は靴先が出た場所へと瞬間移動をしていた。

 外れた銃弾の残響を耳にしながら、今起こった改変内容を頭で整理する。

 自分の影を境界線にして、他の影へ移ることができるのか。影に沈んだ部分から転移先に現れているので、質量が変化しているわけではない。レベルは0。視界の範囲内で改変が起こっているのでクラスは2。ランク2の低級術だ。


 瞬間移動か。これほど第七沈鎮丸にあった術があるだろうか。近づきさえすれば強制的に落憑して、封神弾でカタをつけられるんだ。

 神堂はすでに五発撃った。シリンダー内に残っているのはトドメの封神弾で、発動させるには術を使う必要がある。ワンテンポこちらが有利だ。このまま装填の隙を与えず、一気に押し切ってやる。


 残像を生み出すがごとく、影に沈んでは飛び出てを繰り返す。神堂は俺の移動を目で追い切れずに、明後日の方向を向いたまま棒立ちになった。

 俺は頭から影に落ちて、神堂の真後ろの枝の影から飛び出た。月光を背中に負って、奴の立つ枝に影を重ねようとする。


 ふわり。神堂が枝を離れて宙を舞った。そのまま地面に落ちることなく、俺から距離をとっていく。慌てて影から触手を伸ばしたが、神堂の後ろ髪をかすめて届かなかった。

 それは……ナシなんじゃないですか? 静電気で展開した護符に反発し、空を飛べるなんて聞いていないですよ。この調子だと電圧の乱れで、結界内の生物の動きも感知していやがるな。まんまと誘い込まれたってわけか。

 神堂がゆらりと宙で半回転し、こちらに銃口を向けて引き金を絞った。


「急急如律令ッ」

 五芒星の魔法陣が飛んでくる。飛びかかったため、空中に居て身動きが取れん。そして残念なことに俺は空を飛べない。このままでは食らう。

 咄嗟だった。

「東昇西沈吾座不転ッ」

 リボルバーを構えて早口で唱えると、こちらも封神弾を放った。射出された封神弾には呪詛がのり、光り輝きながら螺旋を描く。神堂が放ったネット型の封神術と、俺が撃ったドリル型の封神術が空中で衝突した。


 決着は一瞬。俺の放った封神弾が、神堂の五芒星を打ち破って無効化した。そのまま効力を維持したまま貫通するも、神堂はすでに別の樹木へと乗り移っていた。

 俺は重力に引かれるまま落ちていき、神堂のいる樹木の影へと身を隠した。

 やべぇ。心臓がバクバクいってやがる。術が使えるなら、封神弾も使えると思ったが――本当にギリギリだった。


 神堂がトーラスジャッジに弾を込めているのか、遠くから小さな金属音が聞こえてきた。

「楽しいなぁ居守ィ!」

「楽しい訳あるか! 初心者狩りにあってるんだぞ畜生!」

 神堂を影で縛るためには、地面に叩き落す必要がある。そのためには神堂の術を無効化しなきゃならんのだが、俺にはバリアを突破する術がない!

 どうする? どうする? どうする?

 必死で手立てを考える間もなく――ぽしゅ……っと、間抜けな射出音が、夜の静寂を破った。


 空を見上げると、円筒形の飛翔体が頭上で弧を描いている。暗闇から俺を探し出すため、照明弾でも打ち上げやがったのか? 飛翔体に目を凝らすと、それは空中で炸裂して大量の護符をばら撒いた。

 ビラ弾か!

 護符は神堂の結界で力を得て、紫電を発しながら宙を浮遊する。すかさず銃声が轟き、跳弾が襲い掛かってきた。


 梢を盾にとり銃撃を躱すも、間髪入れず次弾が襲い掛かってくる! 影を潜って瞬間移動しても、跳弾を繰り返して軌道修正してきた! 手数で圧倒的に負けている!

 白兵を挑みたいが、向こうは付き合うつもりがないみたいだ。俺が押せば引き、俺が逃げると詰めてくる。この距離をどうやって潰すかだが……。


 ン? 待てよ。影を変幻自在に操る術だから気にも留めなかったけど、影自体の性質は変わってないんじゃないのか? それなら——

 神堂が放った五発目が、俺の頬をかすめる。次は封神弾。差し合いをしている戦況で、封神弾の打ち合いでは俺が勝つ状況だ。奴の封神弾は使い道がなく、落憑弾を補充するためリロードをするはずだ。

 キキンキンキンと、暗闇から空薬莢が散らばる音が聞こえてきた。


 チャンス。装填はさせんぞ。

 影の中を高速で出入りし、樹上で屹立する神堂へと一気に詰めていく。そして神堂の真後ろから姿を現し、脳天めがけて杖を振り下ろした。

「馬鹿の一つ覚えか! 失望させるな居守ィ!」

 神堂が吠え、宙を浮遊して逃れる。奴のタウラス・ジャッジが鈍く光り、銃口がこちらへ向けられた。

 最装填した音は聞こえなかった。シリンダーにあるのは封神弾のはずだ。負けじとリボルバーを構えて、神堂めがけて引き金を絞った。


「東昇西沈吾座不転ッ!」

 俺の呪詛の声は、神堂の銃声にかき消された。

 神堂が放ったのは、ゴム散弾だった。どうやら一回目の撃ち合いで封神弾は無効だと気づき、即座に切り替えたらしい。

 散弾は一旦拡散してから、護符に反射して一斉に襲い掛かってきた。


「なっ! あっ! がぁ!」

 両手、両足を、確実に動けなくするために、ゴム弾が射抜いていく。

「残念だったな居守! 終わりだァ!」

 トびそうになる意識の中で、神堂の絶叫がこだまする。

 だが、まだ俺の攻撃が済んでいない。


「そ……れは……どうかな……」

 俺の背中で、チンッと……毒島から奪った閃光手榴弾が起爆した。

 強烈な後光が差して、俺の影が細く長く伸びた。影は空を超え、間にある護符を転々とし、神堂の足にかかる。すかさず触手を具現化し、神堂の太ももを縛り上げた。


 落憑完了だ。結界が霧散する気配と共に、展開した護符が紙吹雪となって地面へと舞い落ちる。神堂も術の支えをなくして、背中から地面へと墜落していった。

 まだだ。まだ決定打にはならない。

 軋む手足を鞭打ち、掠れた意識を奮い立たせる。

「おおおおおおおッッッ!」

 俺は裂帛の気合をあげながら、杖を構えて突っ込んでいく。そして落下直前の神堂の手を殴りつけ、タウラスジャッジを弾き飛ばした。


「がっ! ハァッ!」

 神堂が苦悶の呻きをあげて、背中から地面へと墜落する。やられっぱなしにされるような奴じゃない。欲張らずに駆け抜けると、白刃がきらめき俺のマントを裂いた。

 あの体勢から太刀を抜くとは大した奴だ。振り返りざまに、リボルバーのシリンダーを確認する。

 落憑弾は六秒に一発。封神弾は六十秒に一発の自動装填だったな。あいにく落憑弾の装填まで、四十秒ほど時間がかかる。影で拘束し続けたいが、術を出せるほど気力が残っちゃいない。


 この四十秒。どう切り抜けるか。


「あっては……ならないんだ……」

 神堂が太刀を支えに立ち上がりながら、そうつぶやいた。

「テメェが……俺に勝つなんて……あってはならないんだ……俺が……負けるなんて……許されないんだ……!」

 太刀を下段に構えて、鞘を捨てて突進してくる。

 今なら——落憑弾を打ち込めば、封神弾を使わなくても倒せるだろう。

 だが。どうしても使う気にはなれなかった。


 今朝の模擬戦で、お前は俺が挑んだ近接戦にのってくれた。完全決着を望むなら、俺もお前の挑戦を受けなければならない。

 リボルバーを投げ捨て、杖を構えて神堂へと突進する。

 神堂の奴。鈍器相手に刃物は卑怯だと思ったらしい。太刀を投げ捨てて、拳を構えて突っ込んできた。俺も杖を投げ捨てて、正面から迎え撃つ。


「居守ィィィィィッ!」

「神堂ォォォォォッ!」

 俺たちの拳が交差する。

 俺の拳が神堂の腹にめり込み、ずっしりとした手ごたえが走った。

 神堂の拳は俺の頬をかすめて、虚空を射抜いていた。


 奴は——吹っ切れた笑みを浮かべると、俺にしだれかかりずるずると崩れ落ちていった。

「クソ……が……」

 神堂が気を失う前に放った罵倒が、いつまでも耳に残った。

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