第四章 100年の孤独 数時間の邂逅 その2
「跡を継げって……言うけどさぁ……スカージがまっとうに生きた結果、その幸せを広めようと新興宗教を創ったらどうするよ? 神とのつながりが強まるにつれ、妖魔に墜ちる人間も出てくる。そうなったら神祖降臨のために、宗教犯罪を起こす輩も出てくる。だから厳重に管理する今の体制ができたんだ」
「厳重な……管理ですか……」
贄姫の声色が、絶望でかすれた。
「あれが……厳重な管理でございますか……?」
返す言葉もない。スカージのあれは、まごうことなく宗教犯罪だ。だが仕方ないんだ。クロイツが一度手にした術士を手放すはずがないし、叩けば埃が出るのはどこの宗教も同じだ。誰もが藪蛇を恐れて手を出さないだろう。
一応……アンタッチャブルが存在するが……あいつらは自分にしか興味ないからな……。
「スカージの件は本人に相談窓口の使用を勧めたし、天御門にも報告をあげる。(生きて帰れたの話だけどな)今はお前ら衛境衆の話をしよう。大正時代に断絶したらしいが、おたくらの教義の関係上、文明開化政策を進める天御門とモメただろ? 何があった?」
もし天御門に禍根があるなら、俺も対応を考えんとな。寝首をかかれる恐れもあるし、下手すりゃ天御門の軍門に下るくらいならと、自暴自棄になるかもしれないし。
贄姫は憤慨したのか、スンっと鼻が鳴らした。彼女は感情を吐き出し喚くようなことはしなかったが、抑えられない怒りに声が震えていた。
「天御門が我々衛境衆を利用し、裏切ったのにござりまする。天御門は文明開化政策の命は受けたものの、妖怪様を幽世へ送り還す術を持っておりませんでした。祓うことしかできなかったのです。そこで御館様が送還の術と引き換えに天御門の内裏に入り、内部より方針を変えようとしておりました」
「ほほーん。天御門のスタイルが衛境衆と似ているのは、お前さん方が教官だったからか……」
「ええ……しかし天御門は送還術を手にするや否や、用済みと言わんばかりに御館様に手をかけたのです。先代様は最後の気力を振り絞り、わたくしに全てを託し果てました」
贄姫よ。そんなに期待のこもった眼差しを向けられても、俺は衛境衆を継ぐ気はさらさらないぞ。両親を殺した邪教徒にだけはなりたくない。
それにだ。一番気に食わないことがある。
「お前さぁ……熱心に衛境を継いでくれっていうけどよ、自分の立場が分かっているのか? お前がその生贄なんだぞ? 俺が継いだらお前は死ぬことになるんだぞ?」
贄姫は承知していると言いたげに、にっこりと微笑んだ。誰かに強要されるわけでもなく、一片の曇りもなく、心から嬉しそうに笑ったのだった。
「数多の天才が、才能を見出されぬまま死んでいきます。自分を知らず、他人にも認められぬまま。絶望のうちに。比べてわたくしは幸せ者にございます。己の才を生かして、死んでいけるのですから……」
宗教に巻き込まれて死ぬことを、どうしてそんなに嬉しそうに語れるんだよ。俺には一切理解できない感情だ。心がぐちゃぐちゃにかき乱される。こいつは救いようのないカルトだという醒めた思いと、本当の幸せはそんなもんじゃないと訴えたい気持ちが、激しく胸の内で争いを始める。
これ以上、深入りするのはまずい。感情移入してしまい、正常な判断を下せなくなりそうだ。
贄姫から顔をそらして、指だけをつきつけた。
「いいか。それは俺の嫌いな物の考え方だ。とにかく死んでも衛境衆は継がん。お前の身柄は天御門で保護する」
しばらく。贄姫は沈黙を保ったまま、俺に縋る力を強めることで訴えてきた。やがてそれも無駄だと悟ったのだろう。するりと腕から手を離すと、正座をして輪と居住まいを正した。
「承知いたしました……では、お名前を教えて頂けないでしょうか?」
「あん? なんでだよ」
「あなた様は衛境を継ぐ気はないと仰せでございます。さすれば御館様とお呼びするのは、無礼というもの。よろしければ御名を教えて頂けないでしょうか?」
おいおいおい。名前っつー奴はだな、その存在を縛る言霊だ。遠隔呪術に使えるし、名前を元に素性を探られることもある。退魔校でいの一番で教えられるのは、無暗に名前を教えるなということだ。
「居守……だ」
なのに俺は何をしているんですかね? 天御門らしくカルトとして扱うよりも、情に負けて親身に接する方向にシフトしてるじゃねぇか。
「居守……居守了だ」
こんなんだから退魔士になれないんだろうなぁ……。
「居守様……」
贄姫は噛み締めるように、口元で俺の苗字を小さく繰り返した。
「ではこれより、居守様と呼ばせていただきます」
そうなると俺も気になってくる。
「俺も聞いていいか? お前の名前は?」
「贄姫にございます」
「そうじゃなくて……人間の名前だよ」
「何故でしょうか? 邪教徒の名なぞ知って、どうするというのですか?」
「贄姫と呼ぶと……お前の使命を認めたみたいで……嫌だからだよ」
贄姫は少し戸惑った後、緊張のせいか動揺のせいか、初めて声を上ずらせた。
「杏樹。高原……杏樹にございます」
「オーケー。杏樹だな。これから通信するけど、もう逃げるのはなしな。そこで一緒に聞いていてくれ」
クロイツから奪った通信機を、スピーカー設定にして二人の間に置いた。時計を確認すると、もう十一時を回っている。倉敷が頼んだ情報を仕入れて、俺からの連絡を待っているはずだ。
「わたくしはもう、逃げるつもりなぞございませぬ。天御門の内密の話ならば、どこぞへ身を隠します」
「スカージの待遇で揉めた後だからな。内緒話をして不安にさせたくないんだよ」
倉敷の番号をプッシュし、送信ボタンを押した。
『ミスター!? 時間になっても応答ないから心配してたんだよぉ!』
挨拶もなしに、倉敷のガミガミが響き渡った。
「悪い悪い。ちょっとトラブルがあってな」
『それって〇〇市でクロイツが不審な動きをしているってやつ? 天御門でちょっとした騒ぎになっているんだけど……まさかミスターそこにいないよね?』
思ったより情報の回りが早いな。街での騒動がもう東京まで伝わったらしい。天御門の探索部が来るまで、そう時間がかからないかもしれない。
今はまずい。アガルタの幻術結界に入っちまったら、天御門はアガルタの増援にしかならない。下手したらクロイツと同士討ちを始める恐れもあるし、そうなったら幻術が解けても協力して追撃なんてできっこない。俺たちが先に結界の外に出ないと。
巻き込みたくはないが、倉敷には正直に話すべきだ。
「まっさか~と言いたいところなんだけど……そのまさかなんだよ。今〇〇市全体に幻術結界が張られていてな、出ようにも現地のクロイツが――」
『だったらすぐに逃げて! ミスターが……了ちゃんが狙われてるよ!』
そんなに大声を出さなくても聞こえてますよ。鼓膜が破れたらどうするんだ。しかし……俺がやらかしたってデマが、天御門まで届いているのか。こりゃ天御門の保護を得る時にも、ひと悶着ありそうだ。
「ああ。それデマだから。俺が万能生贄を復活させて、神格を呼ぼうとしているって話だろ?」
『デマじゃない! エサカシュウを調べたら、第七次文明開化計画って計画書が出てきたの! それによると天御門がそういう筋書きで、了ちゃんを妖魔にするつもりらしいよ! 今誰といるかは知らないけど、何を言われても儀式とかやったらだめ! 了ちゃんこのままだと一生天御門に監禁されちゃうよ!』
おいおいおい……急に突拍子もない話をされても、理解が追い付きませんよ。妖魔を取り締まる天御門がなんだって? 邪教徒嫌いの俺をどうするって? それで俺と天御門の関係がどうなるって?
「それは……一体……どういうことですかな? え……ちょっとマジで意味が分からない。何で天御門がバチカン聖約破ろうとしているんだよ! 第七次文明開化計画ってなんだ!? 文明開化は大正時代に第六次で終わったはずだ!」
倉敷が緊張に、生唾を飲み込む音が聞こえる。
『まだ終わってなかったんだよ! 発令は十年前。衛境衆の正統後継者を確保し、管理下で襲名の儀式を行わせ、保有する技術、呪物、妖魔を確保する――ってあるよ! 天御門は了ちゃんを妖魔根絶のための、人的資材にするつもりなんだ!』
「そこでなんで俺が出てくるんだよ……? 俺は術も使えねェ落第生だぞ!?」
「了ちゃん……衛境衆の正統後継者らしいよ。了ちゃん認識改変効かないでしょ? それ……衛境衆の隔世遺伝らしいよ。その……了ちゃんの両親を襲った邪教徒も……衛境衆が捕獲した神格が目当てだったらしいし……確実だと思う……」
え……ちょっと……マジで無理なんだけど……天御門に対する嫌悪感と、信じていたものが瓦解する不安で頭が真っ白になっちまった。
倉敷はそんな俺の心中を察してか、唇を噛むような艶めかしい音を立ててしばらく間を作った。
『それで了ちゃんの言ってた衛境衆……その人たちはマヨヒガを持ってて、神社仏閣に安置できない妖魔——メインは妖怪を収容していたんだ。だけど天御門の仲が悪くなって、女学生を拉致して逃げちゃったらしいの……だから逃亡先が判明次第、了ちゃんに跡を継がせて決着をつけようとしているみたい……』
杏樹の話した内容と、齟齬はないようだけど。ちらと彼女を見ると、『拉致』と『逃げた』という言葉に反応したに違いない。「下種がよう吠える……」と、小声でつぶやいていた。怒ると怖いタイプなんですね……。
しっかし……人間は境地に立たされると、笑ってしまうというのは本当らしいな。フフッと乾いた笑いが漏れた。
「すると何か? 天御門がさんざん俺をイビッてたのは、術が使えるようになると教祖になる恐れがあるからか? その歯止めとして、心を鬼にしてやってくれてたんだよな? なんだよ。最初っからそう言ってくれれば、探索部なんて目指さなかったのに……」
『違う……了ちゃん認識改変が効かないから……授業で虐めまくって……自信を喪失させて……洗脳状態にするって。そして衛境衆を継がせて、マヨヒガと秘術を譲るように圧迫する、って書いてあるよ……』
バリンと音を立てて、俺の中で自分を支えていた何かが砕け散った。走馬灯のように、邪教徒に襲撃された幼少期から、今に至るまでの記憶が駆け抜けていく。そうだよな。劣等生の俺に、神堂の相手をさせるのはおかしいもんな。教官の当たりも妙にきつかったし、どんなに頑張っても評価されることなんてなかった……。
俺は……生まれつき退魔士になれない存在だったのかもしれない。
どす黒い感情が心から染み出て、出口を求めて身体で渦巻く。だけどはけ口なんてありゃしない。落ち着こうとごくりと生唾を飲み込んだが、溜飲までは下がらない。
「つまりだ。術を使えない劣等生が退魔士になるため、禁を破って神祖召喚を行ったと。天御門はやむを得ずその生徒を保護し、継承したマヨヒガと秘術を接収したと。そういう筋書きがお上で通っているんだな?」
『う……うん。このままだと了ちゃん、酷い目にあわされるよ?』
知りたくなかった情報だが、無視するわけにもいかない。おかげで謎も一つ解けた。
「アガルタが持ってた書類……あれは本物だな。通りで帯同命令が下りたわけだ」
天御門は〇〇市にマヨヒガがあることを知っていたし、そこに俺を向かわせることも内々に決まっていたんだ。きっと幻術を使って潜入し、上層部からパクってきたに違いない。
面白くねぇ。
「別に俺がどうなろうと、それはどうでもいい。ただ邪教徒の真似事に巻き込まれて、その片棒どころか神輿に祭り上げられていたのが気に食わねぇ——クソがよッ!」
壁を思いっきり蹴りつけると、腐った木板を砕いて足が突き抜けた。そのままバランスを崩して床に大の字になる。締まらねぇ。本当に嫌になる。
『了ちゃん。嫌な話かもしれないけどよく聞いて』
「まだ悪い知らせか?」
『それは了ちゃん次第。七次計画書には、了ちゃんの術士としての情報ものってるんだけど、それによると了ちゃん術を使えるよ。うまく使えば単独での脱出も可能かもしれない』
思いもよらない情報に、身体を起こして通信機を振り返った。
「え? でも俺、結界張れないんですけど?」
『張れなくていいの。他人が張った結界で術を使うから』
「えぇ~? 何仰ってるか自分で分かってます? 同じ宗派の人間が、同じ教義に基づく結界を共有できるのはわかる。だが違う宗派の人間が、異なる教義の結界を使えるわけないでしょ~?」
『それが衛境衆の強みらしいんだけど……これ本当のことなら、かなりヤバい力だよ。いつの時代でも、どんな環境でも、誰が相手でも、結界優勢を得なくても戦えるんだから……しかも敵の結界が強力になればなるほど、了ちゃんが使える術のランクも上がっていくことになる……』
つーことは、ここはアガルタの幻術結界の中だから、俺も術が使えるということになるんだが。そんな兆候は一切なかった――って、あ! ひょっとして影を操作できるのは、第七沈鎮丸の能力じゃなくて、俺の術なのか!?
おお。そう聞くと急に期待が膨れてきた。
「それで……他にはどんな術を使えるんだ?」
『ごめん……それは書いてない』
「はぁ? おまっ……期待させといてそれはないだろう!?」
『だってぇ……資料の交戦記録は決別の時の一回しかないし、それによると女学生と共に影に沈んで消えたってあるし、教えてもらった術は落憑弾と封神弾の授業でも習うスタイルだけだし、他に元気づけられるようないい情報は乗っていないし……』
「じゃあ……俺はどうしたらいいの……?」
『確か前の通信では、クロイツと揉めてる感じだったよね? だからクロイツが天御門の計画を横取りして、了ちゃんに儀式を行わせようとしてると思ったんだけど……今どんな状況なの? 何が起こっているの?』
矢継ぎ早に質問を重ねる通信機と、黙って瞳を閉じる杏樹を交互に見やる。「既に封印は解かれた」そう口にしかけて、すんでのところで喉に押しとどめた。そんなことを口にしたら、倉敷は天御門に応援を要請するだろう。流石に天御門が幻術結界の張られている現場にノコノコ出てくるような真似はしないだろうが、杏樹は確保次第生贄にされてしまう。
「ちょっと待ってくれ」
倉敷に一言断って、通信機のマイクを切った。
杏樹と真正面から向き合った。月明かりが割れたガラスから差し込み、その横顔を神秘的に映し出している。相貌は覚悟に引き締まり、佇まいは微動だにしない。例えこの場で死ぬことになろうとも、表情一つ変えず受け入れてしまいそうなほどだった。
その無力さが、過去の自分と重なって。何もできないうちに、全てをなくしたことを思い出させて。あの時できなかったことを、今なら果たせると信じたくて。
俺にその行動をとらせた。
「お前を天御門に引き渡すわけにはいかなくなった。別の案を考える」
杏樹がきょとんと眼を丸くした。
「何故……でしょうか? 天御門はお仲間でしょう? その命に従ってわたくしを守ってくださったのでしょう? 天御門にわたくしを引き渡し、世界と御身を守るべきでは?」
やがて彼女は口元にせせら笑いを浮かべる。
「ああ。成程。ご自身が規制する側である天御門に留まるために、規制される妖魔にならぬよう懸命になっておられるのですか? しかしあなたは、それが然るべき体制だと仰ったではありませんか」
「やかましいわい。俺なんかどうでもいいわ。ただお前を天御門に引き渡したら、生贄にされちまうことが分かったからだよ。俺は邪教徒が嫌いなんだ。そんなのに加担してたまるか」
「あなたは天御門でしょう。ならばその定めに従うべきではないでしょうか?」
違うわ。
「俺は天御門じゃねぇ。それは所属に過ぎない」
俺がなりたかったのは、そんな仕事じゃねぇ。
「俺は退魔士だ。この世の律を乱す、邪まな考えと戦うのが仕事だ。だから生贄を見過ごすことはできない」
あの時できなかったことを、成し遂げるために生きているんだ。
すっと、杏樹の口元から嘲笑が消えて、瞳から疑いが薄れていった。
「こうなったらしょうがねぇ。アンタッチャブルを巻き込——」
「話は済んだようだな……居守」
社の外から、よく通る男の声が聞こえた。
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