第六章 降臨 その2
「行くぞ神堂ォ!」
「抜かるな居守ィ!」
俺は鼓舞の雄叫びをあげ、アガルタへ肉薄する。神堂は一歩後ろに続き、タウラス・ジャッジを構えた。
カフェを出る前に、アガルタ対策は死ぬほど検討した。強制落憑が可能な、第七沈鎮丸を持つ俺が前衛。俺が持つ自動装填の呪物リボルバーと違い、連射が可能なタウラス・ジャッジを有する神堂が後衛だ。俺がアガルタを強制落憑するのを、神堂が全力で補佐するスタイルだ。
俺たちは陰で連結し、落憑状態で戦う。術を使うことより、幻術にかからないことが大事だ。第一ここはアガルタの結界内。結界優勢はあちらにあるから、術の打ち合いをしたらエリートの神堂でも負けちまう。
「勇敢ねぇ……それとも突っ込むしか脳がないのかしら?」
「分身頼りのお前に言われたかァねぇよ」
俺とアガルタの距離が近づくにつれて、その姿が十重二十重と分裂していく。瞬きを三度繰り返したころ、俺と神堂は百人近いアガルタに包囲されていた。
「マジかよ……クソが……」
実在しない幻術の分身ならいざ知らず、何らかの実体を持つ現実改変の分身ですら、この規模で生み出せるのか。洞穴で相対した時はせいぜい三体だったのに、術のレベルが桁違いだ。
いいだろう。片っ端から相手にしてやるよ。
俺は分身を発生させた、最初の一体に殴りかかった。杖は手応えもなく空を切り、アガルタの姿が剣風に合わせて歪んだ。
現実改変系の分身術で、質量を持っていない? つーことは……!
「居守! 蜃気楼だ! 厄介だぞ!」
背後から神堂の警告が飛ぶ。
普通、現実改変系の分身は、現実ではあり得ないものを生み出している。だから落憑弾の一発で瓦解し、容易に看破が可能だ。しかし蜃気楼は現実に存在する現象だ。落憑弾の効能根拠である『基底現実』に、違反していない。
体が熱くなる。心臓が早鐘を打つ。
つまり落憑弾が効かない! 蜃気楼を乱して、本物を見分けるしかないのか!
取り囲むアガルタに切り入り、手当たり次第に第七沈鎮丸で殴打する。どれもこれも手応えがねぇ。空気の乱れに合わせて形を崩し、少し経てば元の形を取り戻し、襲うそぶりを見せてきやがる。
俺に銃口を向けたアガルタは、すかさず神堂の援護射撃で撃ち抜かれた。さすがエリート。狙いもいいし、装填も早い。神堂はたった一人で、遠巻きに狙ってくるアガルタの集団を抑えている。しかしながら残念なことに、撃ち抜いた標的に本物はいないようだ。撃ち抜かれたアガルタたちは、何事もなかったように銃を構え直した。
こちとら陰陽寮で訓練を受けてんだ。一度相手をした蜃気楼を、覚えることなんて楽勝だ。俺が殴ったアガルタが三十を数え、神堂が撃ち抜いたアガルタを足すと七十を越した。あと三十体しばけば、本物に行き当たるはずだ。
クソ! 焦っているのか? さっきから体が異様に熱い。心臓も破裂しそうだ。落ち着け。耐えろ。あと少しで、全ての分身を探し終えられるんだ。
ここで俺はふと、教官の言葉を思い出した。
『いいか。我々天御門が呪物の探索を行う際、保管場所が何者かに荒らされていることはよくある。その場合酷い荒らされようだったのなら、最初からそこに呪物がなかったと考えたほうがいい』
何故かって?
『探し物をする時、探す場所が一から百まであるとしよう。百個めで見つかる可能性はほぼゼロだ。部屋が酷く荒らされていたのなら、百まで探しても呪物は見つからなかった。つまり最初からなかったのさ』
ひょっとして……まさか。
全身を濡らす汗に、冷たいものが混ざる。激しくなった動悸には、不安からくる痛みが加わった。神堂も気づいたか。さっきから銃声が止んでいる。
俺が戦うことをやめて立ち尽くすと、夜の闇に哄笑がこだました。
「あら、気づいた? やっぱりやるわねぇ。でもちょっと遅いわよ……おバカさん」
アガルタの分身が霧散し、空気に溶けていく。後に残されたのは、棒立ちになる俺だけだった。
「クソッタレめ……」
まんまと嵌められた。芝生に分身を生み出して、あとは森から高みの見物をしてやがったな。
森の奥から、人影がゆっくりと歩み出てくる。ノコノコ出てきたってことは、奴は勝利を確信している。
ピシッと、身体に冷たい緊張が走った。体を焼いていた熱気が嘘のように引いていき、死んじまったみたいに急に冷たくなる。だというのに、心臓は必要以上に猛り狂い、血を送り込むのをやめようとしない。
明らかに何かをされている。
「やられた……」
蜃気楼が生まれるということはだぞ? 大気の密度が違うっつーことだ。大気の密度が違うっつーことはだね……新鮮な空気に異物が混入しているわけで……。
アガルタは真っ直ぐ俺の元まで歩んでくると、そっと背中から抱きついてきた。殴れる距離なのに、千載一遇のチャンスなのに、体が動いてくれない。立っているのがやっとだ。
アガルタは俺の耳を甘噛みしてから、サディスティックに囁く。
「私が何で、こんなエッチな格好しているか知ってる? 誰も見ていないからっていうのもあるけどねぇ、私は摂取した薬物を濃縮して、分泌する術が使えるのよ……はい。コンドウ君を見てみましょうか」
アガルタが俺の顎を掴んで、芝生の一角へと向けさせた。神堂が大の字になって横たわり、泡を吹きながら痙攣している。ヤベェ。ゲロが喉に詰まって、息ができていない。このままだと死んじまう!
「揮発した汗を知らず知らずのうちに大量摂取、ヤクは派手に運動して全身を巡り、気づいた時には過剰摂取で虫の息ってわけ。は~い、いつまでもあんなのに気を取られてないで、こっちを見なさい……私を見ろッ!」
アガルタが俺の顎を掴み、視線を合わさせた。
「贄姫はどこ?」
「逃がしたっつってんだろ……耳クソつまってんのかボケ」
「悪い子……」
アガルタはにやぁっと笑い、俺に唇を重ねた。閉じた唇を割ってアガルタの舌が入り、大量の唾液が流し込まれる。お前の分泌液には幻覚作用が――確かマリファナを吸っていたな。言ってるそばから効いてきやがった! 頭が――クラクラする――!
不快感が胃袋を押し上げ、吐瀉物として食道を駆け上がっていく。だが身体に嘔吐できるだけの力が残っていない。喉に異物が詰まり、呼吸ができなくなる。
「ゲロが喉に詰まって苦しいでしょ? その苦痛ってさぁ、ゲロ吐きたいのに無理やりイラマチオされるのと同じなのよ。そういう時は、こうするのが一番」
アガルタが腕を振りかぶり、俺の腹に強烈なボディーブローをお見舞いした。
めっちゃ効く。身体がくの字に折れて、口から大量の吐しゃ物が迸った。それだけじゃねぇ。股間がびしょびしょだ。多分……殴られた衝撃で、ちびっちまった。
「あ~……♡」
アガルタは喜悦に震えながら、もう一度囁いた。
「贄姫はどこ?」
「もうじき……天御門の応援がくる……テメェはおしまいだ……」
「我慢せずに、早くイっちゃいなさいよ」
アガルタが俺を支えるのをやめた。足に力が入らねぇ。ヤクで神経が完全に逝っちまってる。背中から地面へと倒れ、芝生に後頭部を打ち付けた。
次の瞬間視界に入って来たのは、片足をあげたアガルタの姿だった。踵が振り下ろされ、視界を覆い尽くし、頭蓋に衝撃が走った。
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————————
しょっぺぇ。顔に水がかけられている。この水しょっぱくて、鼻につく匂いがする。
あれ……俺何しているんだろ。顔面を踏みつけられて、それから……気絶しちまったようだ。ちょっと記憶が飛んでいる。
見上げると、雫の垂れるアガルタの恥部が目に入った。
「あら? やっとお目覚め? 喋る気になったかしら」
ションベンかけられたのか……好き放題やりやがって。口に入り込んだ尿を、唾に絡めて吐き捨てた。
「贄姫はどこ?」
「お前……身体どこか……おかしいんじゃねーの……? ションベンが……臭ェんだよ……」
「アハ♡」
アガルタはマントからスチェッキンマシンピストルを取り出して、俺の足に向けて構えた。
オイオイオイ。鉄砲はナシだろお前。やめ――
アガルタの指がトリガーにかかり、ゆっくりと引き絞っていく。
「御館様から離れなさい!」
凛とした声が、その場に轟いた。
アガルタがトリガーから指を離し、声のした方へと身体を向けた。
「なぁんだ。意外と近くにいたのね……」
まさか。
俺も残された力を振り絞って、声のした方へと頭を向ける。杏樹が木立の傍に立ち、首筋にナイフを当てがっている。隠れていろと言ったのに……なんで出てきたんだ!
「それにしても……髪の毛に刃を当ててどうするつもりかしら?」
杏樹はアガルタの言葉にはっとして、首筋に当てたナイフを髪に移動させようとした。
幻術を仕掛けたか。だが杏樹は寸でのところで気づき、逆にナイフを首筋に押し込んだ。
「わたくしは衛境の贄姫。そのような幻術に惑わされはせぬ。下郎め、もう一度口をきいてやる。御館様から離れなさい。さもなくば喉を裂いて、この場で果ててやる」
「ちょっと……やめなさいよ……」
アガルタが慌てた様子で俺から飛び退き、杏樹の暴挙を止めようとする。
だが杏樹は幻術にかかっているんだ。まともにアガルタの姿が見えるわけがない。まともに言葉のやりとりができるわけもない。杏樹の首には次第に刃が埋まっていき、血が赤い糸を引いて垂れた。
やばい。杏樹のやつ、マジで死ぬ気だ。
「杏樹……やめろ……ッ」
「ガキがッ!」
俺の呻き声は、アガルタの悲鳴にかき消された。
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