第三章 忘れ去られし神々 その3

 俺は振り下ろされた氷の刀を、辛うじて杖で受け止めた。

 スカージの氷刀は術で作ったものだから、第七沈鎮丸で受ければ消せると思ったんだが……剣戟を結んだ箇所から薄氷が舞い散り、鼻先に押し付けられた刃が消える気配はない。どうやら杖か影、そのどちらかが直接術士に触れないと、落憑はできないらしい。


 スカージはくるりと宙で一回転すると、俺の頭を飛び越えていく。そして少し離れた地面に降り立ち、道路を覆う薄氷で滑りつつも足を止めた。

 地面への降着は奇襲のチャンスなのだが、近づこうにも足場が凍結している。下手に走ったらこけちまいそうだ。影を伸ばそうにも、元々の容積を超えて操作はできないらしい。俺とスカージの距離を半分詰めたところで動きが鈍り、触手も出せなくなった。


 クソ……相手がどれだけ強かろうが、杖で殴るか影で縛れば、封神弾を撃ち込んでジ・エンド。そのシンプルな条件が、どれだけ難しいことか。近づくには相手の術を潜り抜けなければならないし、こいつみたいに空を飛ばれたら手を出しにくい。

 オマケにクロイツの野郎、とんでもない連中をよこしやがった。


「黒い逆十字(ブラックサザンクロス)……」

クロイツ教ではいかなる術の使用も禁じられている。奇跡——つまり改変能力とは、神の御業であり人間が起こしてはならないからだ。しかし術を封じては、異教徒との戦いで大きく後れをとることになる。

 ここから先は、クロイツお得意の宗教解釈だ。

『主は全ての迷える子羊を愛し、その罪を赦される。ならば例え術を用いるような背信者でも、主に仕えるならば許されるべきなのだ』


クロイツの教えに恭順するならば、神の名のもとにどのような悪行も許される——そのロジックを用いて、クロイツで唯一術の使用が『黙認』された悪魔狩り集団が存在する。

 異端審問会隷下。ブラックサザンクロスだ。

 術を使うがゆえに仲間のクロイツからも差別を受け、神に許されるために文字通り何でもする。実際にブラックサザンクロスの武功は全てエクソシストに還元され、出した被害の責任を一手に負っているのだ。


「贄姫……できるだけ俺から離れるな……」

 贄姫が俺の背中に隠れつつ、制服の裾を軽く摘まんでくる。もっとしっかり握ってくれると助かるのだが、心の壁を作ったのは俺だから仕方ない……か。


 俺の言葉に反応したのだろう。スカージが小首をかしげた。

「そんな悪口。聞き飽きた。そーだよ。僕は魔女だよ」

「お前には話しかけてねぇよ」

 アガルタの認識改変で、一体どんな罵声に変換されていることやら。これまでの経験から察するに、その人のコンプレックスを刺激する幻術だろう。悪名高いブラックサザンクロスも、人の心を持っていたわけだ。


 スカージが感情のこもらない青い瞳で、じぃっと俺を見つめてくる。

「でもね。司祭様が仰った。お前のような悪魔を殺せば、僕の魔女の力は弱まっていくって。奇麗な体になれるって。神様に許された存在になれるって。僕はお前と違って、信仰心がある。心までは汚くないんだ」

「あー……やっぱり会話が通じねぇ。喋るだけ損じゃねーか。胸糞の悪ィ……」

 さっきまで自衛のためなら、腕の一本はやむなしと考えていたが……お言葉から察するに、この子はクロイツの教えに利用されているんじゃないのか? できれば無傷でお帰り願いたくなった。


「死ね。悪い奴」

 スカージが懐からリボルバーを抜きつつ、指をタクトにして振るった。宙にいくつものつららが生まれ、彼女を中心に氷のシャンデリアが展開した。

 スカージはおそらく不合理な恒久改変(レベル2)の術士だ。氷によって怪我を負わされたら、術が解けても傷が残る。結界の範囲は知覚範囲内(クラス2)。五感で感じ取れる広さだろう。つまりランク4。入学試験で三人くらいシバいたんだ。今回だってやれないことはない。


 スカージがつららに飛び移り、宙を高速で飛びまわった。あまりの速さに狙いを定めることができず、目で追うのがやっとだ。しばらく翻弄されたが、距離を詰めて攻めてくる気配はない。一定の距離を保ったまま、リボルバーをこちらに向けるのが見えた。

 どうやら遠距離攻撃でカタを付けるつもりらしい。だが拳銃ってやつは意外と当たらないんだ。高速で移動をしながら、しかも三十メートル以上も離れた俺に、命中させることはできまい。

 冷静に判断して身を屈めようとしたところ、足が滑って姿勢を崩しそうになった。

「なっ!?」


 いつの間にか足元の氷が、分厚い層になってやがる! これじゃろくな身動きがとれねぇ!

 大きくたたらを踏んで転倒はまぬがれたが、マズルフラッシュと共に銃弾が足元を跳ねた。スカージは銃撃を繰り返し、螺旋を描きながら俺との距離を詰めてくる。

 凍結と銃撃で敵を拘束し、白兵でとどめを刺すスタイルか!

 遮蔽物に隠れようにも、滑って転びでもしたらおしまいだ。立ち上がる前にやられちまう。おまけにこっちは贄姫を連れているんだ。派手に動くことができない!


 スカージに狙いを定められないよう応射するが、彼女の移動を止めることはまではできない。やがてスカージがリボルバーを撃ち尽くして、俺との距離を一気に詰めてくる。幸い弾は一発も当たらなかったが、問題はこの後だ。スカージは刀を腰だめに構えて、矢のような速さで突っ込んできた。

 まともに受けたら衝撃を殺しきれない。体勢を崩したところを、とどめを刺されてしまう。どうにかしていなすしか……っ!

 剣撃一閃。スカージが繰り出した鋭い突きを、杖を盾にして辛うじて受け流す。直撃は避けたものの、頬を裂かれて鋭い痛みが走った。飛び散った血が空中で氷結し、傷口が凍り付く。


 スカージは突進する勢いを保ったまま、地面に降りずに次のつららに飛び移る。高速移動が再び始まり、そこかしこから空薬莢が落ちる冷たい金属音が響いた。

 装填してやがる。突進を受けきれなくなるまで、このスタイルを続けるつもりか。

 これじゃいい的だ。近づいてくれなきゃ反撃のチャンスはない。そして俺から奴に近づくことはできない。つまり……突進にカウンターを合わせるっきゃねぇな。

 リボルバーの装填速度は、六秒に一発だったな……こりゃ一発が戻る前に、先手を取られてしまう。フェイントを仕掛けるしかない。


 贄姫を胸に抱きしめつつ、すり足で道路から逃げようとする。が、これはスカージに精密射撃をさせないための囮だ。俺の思惑通り、スカージは動きを封じるため、めくら撃ちに近い銃撃を放ってきた。

 意を決して体勢を崩し、地面を転がることで攻撃を避ける。二発。アスファルトの薄氷が、銃弾を受けて砕け散った。

 杖を氷に突き刺して、転がる向きを直角に変える。着衣をさらに二発の弾丸がかすめていく。

 杖を支えに体を起こし、倒れたままの贄姫に覆いかぶさった。


 覚悟を極めろ。来るぞ。

 二発。背中を衝撃が貫いた。冷たい緊張が着弾点に走り、服に降りた霜が宙に散る。一拍置いて、耐え難い激痛が身体を蝕んでいった。

 ゴム弾。クソが。実弾じゃなくて助かったぜ。

 頭が痛覚に支配される。患部を押さえたい。のたうち回りたい。泣き叫びたい。そんな人として真っ当な衝動を拒絶し、宙を飛ぶスカージに意識を集中する。


 スカージは計六発撃った。シリンダーは空のはずだ。クロイツは封神弾を使っていないから、俺が体勢を立て直す前に白兵でケリをつけにくるはずだ。

 スカージが高速移動の軌道を変えて、刀を突きだしこちらに突っ込んでくる。

さっきから足が動かない。術の強度を上げて、地面ごと足を凍らせやがったな。きっとほとんどの術士は動転して、突撃に対処できず敗れたに違いない。

 だが俺は、これを狙っていたんだよ!


 腹めがけて突き出された刀を、身体をよじってかろうじてかわす。攻撃に失敗したスカージは、傍らを駆け抜けて高速移動に戻ろうとしている。そうはさせるか。小さな体を引っ掴むと、全身全霊でしがみついた。

 スカージの勢いに身体を引っ張られ、地面に凍り付いていた足が引き剥がれた。ロデオを楽しむ羽目になるかと思ったが、二人分の重さを乗せて飛び回る芸当はできないらしい。

 スカージが足をかけたつららが砕けて、俺たちは組み合ったまま地面の薄氷を滑っていった。


 体力勝負では負けねぇ。抵抗する暇を与えず馬乗りになったところ、影でぐるぐる巻きに縛り上げた。スカージの結界が解除され、つららのシャンデリアが一斉に砕け散る。術の残滓が粉雪となって降り注ぐ中、俺はその胸元にリボルバーを突き付けた。

「動くなッ!」

 さっさと封神弾を撃ち込みたいが、贄姫に呪詛を乗せてもらわないと効力を発しない。あいつは突撃を受けた場所に取り残されて、氷で滑ってもがいている。くそぅ。こんな状況じゃなかったら、微笑ましい光景なんだがなぁ。


 スカージは馬乗りにされながらも、激しく抵抗した。やっぱりこの影の触手、不良品じゃありませんか? あっさりと幼子のスカージにすら、引きちぎられてしまったんですが。触手を補助する呪物があるのかもしれないが、ないものねだりをしている場合じゃない。

 スカージは右手で俺のリボルバーを掴み、左手の指をデタラメに振り回している。術を使って状況を打開したいみたいだが、まさか結界を解除できる呪物があるとは夢にも思うまい。彼女はどれだけ指を振っても結界が張れないことに気づくと、愕然と目を見開いた。


「あれ……術……使えない……」

「そう……終わりだ。傷つけはしないが、追撃できないよう封神させてもらう」

 結界が張れないっつーことは、アガルタの幻術も解けているはずだ。俺の言葉が正しく聞こえているはずなんだが、まるで聞いちゃいないな。焦点の合わない眼でどこを見ているんだか。まぁ暴れなくなったし、表情もどこか安らかだ。意味は伝わっているだろ。

 贄姫に視線をやると、薄氷の上で伏せている。賢く、勇気のある子だなぁ。幻術の影響下で異常な行動をとらないように、戦闘現場でじっと堪えていたのか。

 杖を使って贄姫に影を伸ばすと——おっ、こっちに気づいた。状況から何をしたいか、察してくれたらしい。四つん這いになって、ちょこちょこと近づいてくる。


 俺が贄姫に注意をとられていると、

「赦されたぁ……」

 スカージのそんな声が耳朶を打った。今なんていいやがった? しかもチンッて金属音が聞こえたが、何をやりやがった。

 スカージを見下ろすと、いつの間にか防寒着の前を開けている。さらけ出された小さな体には、めちゃくちゃに手榴弾が装備されていた。

 まさかこいつ。

 投げ出された手のひらを確認すると、束になった安全ピンを握りしめている。


 赦されたってお前——馬鹿野郎ッ!

「命を粗末にするなッ!」

 スカージの身体から手榴弾をむしりとり、誰もいない道路へとひたすら放り投げる。おいおいどれだけぶら下げているんだ。なんて物騒なクリスマスツリーだ!

 計八個。全ての手榴弾を投げ捨てたはいいが、最後の一個を捨てた時点で四秒を超えた。爆発する。空中で弧を描く最後の手榴弾に背を向けて、スカージを抱きしめうつ伏せになった。


 爆音が聞こえたのは、ほんの一瞬だった。すぐに耳鳴りで上書きされ、背中を衝撃と鉄片の嵐が殴りかかってくる。爆風で感覚が吹き飛ばされ、熱いこと以外何もわからない。その熱いという感覚すらも奪われ、何も感じなくなっていく。

 爆風が静まり、瓦礫の崩れる残響も遠のいていく。しかし夜の静寂は戻ることなく、住宅街は驚いた住人の喧騒に包まれた。

 怒号が飛び交う中、スカージは潤んだ瞳で俺を見上げていた。


「な……なんで……」

 それはこっちの台詞だよボケ!

「テメェコラ、アァン!? 何してんだダァホ! 周囲に民家があるだろ、見てわからねぇのか!? 巻き込んだらどうするんだオラ! それに何で死のうとしてんだ!? 世間一般の考えじゃねぇよな! 明らかに宗教がらみだよな!」

「その……あの……あなた……」

「聞いてんのは俺の方だボケナス! 何で死のうとしたのか聞いてんだ! オラ! 答えろや!」


 スカージは目に涙をためながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。応える義務のない質問なのだが、宗教漬けで自分がないらしい。震える声でぽつり、ぽつりと話し出した。

「司祭様……術を使えなくなったら赦されるって……赦されたら天国に行けるって……でも生きて天国に行くのはカルトだから……死んで天国に行かないと……だからあなたを巻き添えに……死のうと……」

 はいアウト。宗教犯罪です。宗教は良い生き方を説くもので、都合のいい死に方を説くものじゃねぇぞ。


 異端審問会は黒い噂は絶えないものの、国連に認められた真っ当な退魔組織だ。恐らくこいつの担当官が、能力目当てで洗脳したんだろうな。

 ため息が出ちまう。

「ブラックサザンクロスの内情は知らねぇし、クロイツにも事情はあるんだろうが……お前がやらされていることはカルトと変わらんぞ。宗教のために現実改変能力を使っているんだからな」

「でも……異端審問会が言うには……術を使えないエクソシストに変わって、僕たちが戦うべきだって……ッ!」


「お? 強気になったな。はしゃいでんじゃねぇぞボケ。だからって住宅地で爆弾使っていいと思ってんのかオイ? 俺が一番ムカついてんのはそこだからな。テメェ自分が天国に行くためなら、無関係の一般人吹き飛ばしていいと思ってんのかコラ。それこそカルトの所業だろうがッ!」

「でも……僕は……そうしないと……ダメだって……司祭様が……」

「お前はどう思ってるか聞いているんだよッ!」

 スカージの胸倉を掴んで、激しく揺さぶる。彼女は堪えきれなくなったように、ひくっとしゃくりあげた。


「僕……僕だって……よくないとは……思うけど……もう……悪口も意地悪もいや……赦されたくて……ゆる……僕はカルトじゃない! 邪教徒じゃないんだ! 違う! うぇえええええ!」

 子供みたいに泣きじゃくりやがって、テメェが悪いんだからメソメソするんじゃねぇよ。クソ。怒りがやるせなさに変わっていくと、ものすげぇ喪失感に苛まされるんだよな。

 スカージの胸ぐらから手を離すと、馬乗りの体勢から立ち上がった。


「お前がされたことは、カルトの洗脳と変わらない。その罪を告発することが、おたくの教義に相応しいと思うんですけどね。クロイツの相談窓口を使うことを勧める。難しいなら国連協会の窓口を使うといい。そこなら妨害されにくいからな」

「うぇ……え……?」

「そうすりゃ人型妖魔なら基本的人権に則って扱ってもらえるし、今回みたいな仕事も減るだろ。あとはお前さん次第だな。俺は仕事中だから付き添いはできんが、終わったら手伝ってやる。な?」

「え……そんなこと……できるんですか……?」


 スカージの嗚咽が収まっていき、きょとんとした顔で俺を見上げている。こんな当たり前なことも知らなかったのか。まぁブラック企業が社畜に労基を教えないのと同じ理屈か。術士なんて珍しい人材だからな。

「妖魔ってのは本来、保護対象なんだよ。陳情すらできなかったら、宗教変えた方が良いな」

 よし。目を丸くしてはいるが、ちゃんと頷いてくれたな。これは理解したってことだよな? つーことはもう封神しちゃっていいよね? ぶっちゃけ次襲われたら勝てるか怪しいから、怖くてしょうがないんだ。


 スカージを警戒したまま、贄姫に手を振る。

「贄姫ェ! 封神頼むァ!」

「えっ? あっ! はい! 東昇西沈吾座不転、東昇西沈吾座不転——」

 リボルバーに贄姫の呪詛がのり、熱を帯びて燐光を放った。スカージが不穏な空気にびくりと肩を振るわせたのと、俺が引き金を絞ったのはほぼ同時だった。放たれた封神弾がスカージの胸ではじけて、放出した呪帯がその身体を縛り上げていく。


「うぇえええええええッッッ!?」

 スカージの絶叫は呪帯で覆われることで途絶え、後には注連縄で封をした柱の御神体が残った。

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