第一章 退魔士になれない男 その2

 東京陰陽庁付属退魔養成学校。

 内閣府外縁組織である、陰陽庁の擁する退魔士育成機関である。

 何でこんな胡散臭い組織が内閣府の外局なんて位置についているかというと、妖怪、悪魔、妖術、呪物の類が実在するからである。当然そういった『超常存在』を崇める邪教徒も存在し、宗教犯罪の主たる被害者である市民を守るために、警察庁と消費者庁との連携が不可欠だからである。


 警察庁からは古代神の復活や、現人神への転身を目論むカルトの事件が持ち込まれる。消費者庁からは昔キツネやタヌキがやっていた、人を化かす特殊詐欺が持ち込まれる訳だ。電子のネットが地球を包み、科学のメスが迷信を切り開いてもなお、この世には常識では測れないものが存在するのだ。


 ちなみに超常存在を用いて世界を変えようとするバカタレを『邪教徒』と呼ぶのだが、その数は平成の世に比べて増加傾向にあるそうだ。俺の勝手な推測だが、閉塞した社会の突破口を奇跡に縋るしかなくなっているからだと思う。夢のねぇ話だ。


 かくいう俺も教官に最後通牒を出され、奇跡に縋るしかなくなった哀れな身なのだが……邪教徒と戦う「探索課」に入るために、自分が邪教徒になるつもりはさらさらない。

 あー……クソ。昔のことを思い出して、頭に血が上ってきやがった。

 邪教徒はロクなもんじゃない。自分の望む世界を作るために、平気で他人を犠牲にできる奴らだ。その結果誰が傷つき、何が壊れようと、顧みない正真正銘の人間のクズだ。

 邪教徒にだけはなってたまるか。俺は邪教徒を狩る仕事につきたいんだ。


 感傷に浸っていると、陰惨とした空気を吹き飛ばす勢いで背中を叩かれた。

「了ちゃ~ん。これで八戦七敗一分けだねぇ~! 今までで一番距離詰められたみたいだし、次こそはいけるんじゃないの~?」

 視界の端から癖っけの強い短髪が流れてきて、そのまま俺に並んで歩きはじめる。今時珍しい天然パーマの持ち主で、落ちこぼれの俺に話しかけてくれる相手なんて一人しかいない。ちらと横目で見ると予想通り——情報課を意味する黄色の制服を着た、スレンダーな女子生徒——倉敷奏音が満面の笑顔を浮かべていた。


 こっ酷くやられたばかりで、その明るさについていけねぇ。苦笑いで応えてしまう。

「教官に術が使えなきゃ、俺の居場所はねぇと言われたんだが?」

「了ちゃん世界でも珍しい、完全認識耐性があるんでしょ~? 幻術とか全然効かないってやつ。世界三大宗教のクロイツ教の主戦力は、術を使わないエクソシストじゃん。そういった例がない訳じゃないし、次の模擬戦で実力を見せれば、天御門初のランク0の退魔士が誕生するかもよ~」

「俺もそう信じて頑張ってきたんだが、最近は邪教徒と戦いたきゃ改宗しろと言われそうな気がしてきた……退魔士の仕事も少し貰えているが、ほぼ認識耐性目当ての帯同だけだしよ……」


 倉敷は視線を上向かせて少し考え込むと、ズビシと俺に指をつきつけた。

「はーい突発ドキドキ倉敷チェ~ック! 陰陽師と退魔士と天御門の違いを述べなさい」

 なんだよ藪から棒に……。

「陰陽師は宗教区別、陰陽道を基本教義(ドグマ)とする術士を指す。退魔士は職業区別、ドグマに関係なく公的認可を受けて退魔業を行う者を指す。天御門は派閥区別、退魔士の中でも公務員——つまり陰陽庁に所属するものを指す」

「正解。じゃ次。術士の等級制度について述べなさい」

「等級は術士が持つ改変能力を、強度と範囲の二つに分類したうえで、それぞれを足した数値で算出される。強度はレベルで表され、術がどれだけ現実や認識を改変できるか。範囲はクラスで表され、術がどれだけの距離に影響を与えるかを意味する。その二つを足して等級がランクとして、最大9で定められる」


 倉敷がパチパチパチと大げさに拍手をした。元気づけようとしてくれているんだろうが、入学レベルの問題で褒めないでくれ。

「優秀ぅ~! というわけで、ジャン! 了ちゃんは探索部にこだわらなくても、情報部や器物部でも十分やっていけると思いまーす。そこんとこどうでしょう!?」

 退魔校には五つの部がある。情報収集と戦術支援を行う情報部、呪物の回収及び保管を担う器物部、呪詛や呪物の解析を行う研究部、呪詛被害を治療する治祓部、そして邪教徒への潜入並びに対決を行う探索部である。

 どの部も死者が出ない年なんてなく、厳しく苛烈な環境なことは変わりない。その中でも探索部は群を抜いており、不審死や発狂などの事件が後を絶たない。校庭で生徒が変死しているのに、認識改変のせいで発見が三年遅れた事件もあった。


 それでも探索課は希望者が後を絶たたず、倍率の高い部署となっている。一般の生徒からしたら警察の刑事のような花形であるし、何より身内を邪教徒にやられ復讐に燃える人間が多いからだ。

 何を隠そう、俺もそのクチだ。

「俺は探索部に行くために頑張ってきたの。他の二つを馬鹿にするわけじゃないけど、妥協したくないの」

 きっぱりと言うと、倉敷はちょっと残念そうに唇を尖らせた。


「ふぅ~ん……でも気が変わったら私を頼ってね。私は情報部志望だから、先輩としてアドバイスしたげるよぉ。保管部には知り合いがいっぱいいるし……それにしても——」

 倉敷が俺の半歩先に進んだかと思うと、怪く光る眼でじぃっと覗き込んできた。

 来るぞ……数多の生徒を震え上がらせてきた退魔校名物、真の突発ドキドキ倉敷チェックが。

 どこからか特ダネの臭いを嗅ぎつけ、本人に突撃取材を敢行。内容次第で翌日の朝にはわら半紙に刷られ、校内に張り出されている寸法である。

 倉敷が入学してたった一年で、多くの事件が暴露され、関係者には何かしらの是正が入った。こんな爆弾娘は虐めや報復の標的になってもおかしくないのだが、暴露された側が逃げるようになるところが恐ろしいところである。


「神堂君って……妙に了ちゃんに絡むよね。何かあったの?」

 一発で触れられたくない所に切り込みやがって。あったと言えばあったが、それが原因だとは限らないし、何より固く口止めされているんだ。

「さぁね」と素っ気なく袖にしたが、倉敷はより顔を近づけてきた。ちょ……近い……他の女の子なら嬉しいんだろうが、お前は怖くてしょうがない。倉敷の鏡のような瞳に、ドン引きする俺の顔が映っている。


「噂では了ちゃんが、神堂君の妹に言い寄っているからって聞いたけどぉ? かなぁ~り上手くいってるみたいだね~。『居守様はどうしておられます~?』って、しょっちゅう神堂君に聞いてるらしいじゃ~ん。だから神堂君も頭にきているとか~……そこんとこどうなのよォ!」

 何でお前もキレ気味なんだ? お前だけは敵に回したくないから、そんな根も葉もない噂で怒らないでください。

 まぁエリートである神堂と戦いたい奴はごまんといる。しかしながら模擬戦のたびに俺が相手になるから、不満を持った連中がつまらん噂を流したんだろうなぁ。今の俺には色恋にかまけている余裕なんぞないっつーの。


「ほー……あいつに妹なんぞいたのか。そいつもさぞかし優秀だろうに、変な噂たてられて可哀そうだな」

 倉敷が急に真顔になって、丸くなった瞳でまじまじと俺を見つめた。

「それ……マジで言ってる?」

 なんだよその引っかかる言い方は。まるで神堂の妹が落ちこぼれみたいじゃないか。興味を惹かれるが、藪蛇はごめんだ。

「マジも何も、神堂に妹がいることすら初めて知ったよ。別に俺は何言われても平気だけど、神堂の妹さんが可哀そうだから変な噂に便乗すんな。お前が口にすると、周りもマジだと思うから」


「あ……うん……ごめん、気を付けるよ。しっかし……このネタもハズレかぁ。今日こそ入学から始まる二人の確執を、解明できると思ったんだけどなぁ~。みんな興味津々だよ。劣等生と優等生が妙な因縁もっているんだから」

 あの……何でついてくるの? お前とはクラスが違うはずなんだけど、まさか教室までついてくるおつもりですか? 勘弁してくださいよぉ。いつぞや見たいに好機の視線に晒されながら、聞きたくもないゴシップを聞かされたらたまらんぞ。

 他人に厄災を押し付けるのは気が進まないが、俺ばかり骨を折るのは不公平だ。多少は神堂に負担してもらってもバチは当たるまい。


「神堂に聞けよ? 一発だろ」

 倉敷は肩の位置で手のひらを上に向けると、やれやれと首を振った。

「もう無理だね。前々回神堂君に了ちゃんと交際してるか取材したら、理事会直々に接近禁止を言い渡されたから」

「えーなになに? お前、俺とあいつがアツアツで、喧嘩しながらいちゃついていると思ってたの? ひょっとしてそれって三週間ぐらい前の話かなぁ。詳しく教えて? 俺ンとこにも理事会がきて、愛の形に貴賤はないが控えてくれとか言われたんだ。何のことかわからなくて困ってたんだ~」


「え~? あんまり了ちゃんに絡むから、私も頭にきちゃってさぁ。面向かって言ってやったのよ。了ちゃんはおっぱいの大きな女の人が大好きで、そういう本に教科書のカバーをかぶせて隠してるって。だからいくらちょっかいをかけても、振り向いてもらえないよってね」

「おほ~……その頃から女子に気持ち悪がられてると思ったら、お前のせいか。あと俺の部屋に侵入した? 何でそこにエロ本があるの知ってるの?」

「そしたら神堂君、汚物を見るような眼で私を見てさぁ、翌日には接近禁止だよぉ。酷くなぁい?」

「質問に答えろコラ。ひょっとして神堂の当たりが強いのは、お前のせいなんじゃないか? それに前々回って言ったな。前回は何をしやがった? 接近禁止命令くらった後だよな!?」

「別に。さっきの噂は本当なのか、妹さんの身辺探っただけ。その時神堂君がガチギレして、生まれて初めて反省文書かされた~」


「倉敷。あっちに行ってくれ」

 一旦足を止めて、明後日の方角を指差す。

「ええ~! 何でさぁ!」

 何で心外そうに地団駄を踏んでいるんですかね?

「身内に手を出したらそりゃ怒るに決まってんだろ……」

「でも先に仕掛けてきたのは向こうじゃーん! 売られた喧嘩かっただけだよぉ!?」

「俺の喧嘩な? 俺には俺のやり方があって、あいつとはちゃんと決着はつける。だから邪魔しないでくれ。それにあんまし好き勝手やってると、お前までつまらんゴタゴタに巻き込まれるぞ? 俺は大丈夫だから、ほっといてくれや」


 倉敷が両手をきつく握りしめて、所在なさげにその場で足踏みをしはじめた。何かをしてくれようとするのは大変ありがたいが、方向性が真逆なんだよなぁ。

 倉敷とは入学試験からの付き合いで、俺のおかげで合格できたと勘違いしている。いくら誤解を解こうとしても聞こうとせずに、何かとよくしようとしてくれているんだ。

 今回だって神堂が俺を虐めていると思っているから、頑張ってくれたのだろう。倉敷に悪気はないんだ。ただ加害者への悪意に満ち溢れているだけなんだ。うん……そうだよね?


 倉敷はしばらく唇を尖らせていたが、ふと口元を緩めると俺の顔を覗き込んだ。

「了ちゃんね……こんなに頑張っているんだから、きっと立派な退魔士になれるよ。だから無理しないで、大変な時はいつでも頼ってね? 試験の時の恩返しまだ出来ていないんだから」

「ありがとよ。一人前になったら、お前を取材に駆り立てている悪霊を祓ってやるよ」

 多分鏡を見たら、情けないツラをしているんだろうな。倉敷に顔を見せないように、背中越しに手を振ってその場を離れた。

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