2話-4 ちょっとした有名人だったんです

「杏香ねえちゃん!なにか飲もーっ!」

 英美里が手を引いて杏香を屋内庭園のような空間につれてくる。天井高がワンフロア五メートルという贅沢設計且つ十階先から天窓から陽が差し込んでいて、姫奈が瓦礫に埋もれていた自分を救い出してくれたあの日を思い出す。

「……いい場所ですね」

 まさに杏香にとっては正に、命を救ってくれた天の光だったわけで忘れることなどできるはずもない雰囲気である。

「あ、杏香ねえちゃんもそう思う?」

「ええ、はい。屋内庭園みたいな場所って、なんだか天国に一番近い場所って雰囲気があっていいですよね」

 流石に何を言っているのかよくわからなかったのか、英美里は首を傾げて尋ねる。

「どういう意味?」

「あー……そうですよね。天国とかわからないですよね」

 天国だとか地獄だとか、きっと外界にあまり触れていないのかそういった知識はないのだろうし、姫奈が嫌いそうな話題でもあることも一因にはなっているだろう。

 杏香はどこか座って話せる場所がないか、周りをぐるりと見渡すと、中央の噴水に腰掛けれそうな場所があった。

「何か飲み物でも買って少しお話ししましょうか」

「うん!わたしも杏香ねえちゃんのこと知りたいし!」

 近くの売店で少し高いジュース二つをスマートウォッチ内蔵の電子マネー、SOUに請求するべく支払い、さっきほど見つけた場所に腰掛ける。

「さてと。先に自分のことも話さず聞くのも無粋でしょう。私から自分のことを話します」

 英美里はストローからオレンジジュースをチューッ吸い上げながら頷く。

「私の年齢は姫奈さんと同じで十五歳。趣味はバイオリンとバレーダンス。前のスカイツリー爆破テロで瓦礫に下敷きにされていたところを姫奈さんに助けられて、顔も髪色も名前も、多分声も変えて、現在はエインヘリャル見習いとして皆さんと一緒に暮らしています」

 英美里は何か思い出すように天窓を見つめ、そして何かに気付いたのか人差し指の腹を杏香の顔へむけるように立てる。

「姫奈ねーちゃと同じだね」

「同じ……?」

 少し意外だったのか、杏香は片目の上瞼を上に上げる。

「うん。顔も髪色も名前も、多分声も変わってるって言ってた」

 無邪気な英美里というよりかはおそらく、バンシーとしての任務中に近い雰囲気で応答する。

「彼女はバンシーなのでは?」

「ううん。姫奈ねーちゃはエインヘリャルだよ?」

「え、そうなんですか?組織に入ったのが八歳の頃だと聞いていたのでてっきり……」

 与えられた情報だけでどうやら結論を急いでいたらしい自分を不甲斐なく思ったが、英美里は顔を俯けて寂しそうに言う。

「……でも、姫奈ねーちゃはよくわからない人なんだってダリアママが言ってた」

「よくわからない?」

「うん。なんで組織の司令級の権限と組織の実動隊員の中でトップクラスの実力を持つのにこんな極東の比較的平和なところで仕事をしてるのかって」

 確かに、と杏香は思った。ダリアも言っていたが、姫奈のSOUにおける権限は異常なまでに高い。その理由も不明な上、その大権を振るっている雰囲気もないし、同年齢のエインヘリャルもバンシーも決して少なくない筈なのにエインヘリャルのラゲナとヒペル、バンシーの英美里しか置いていないのか。

「……まぁ、誰にだって秘密はあります。私も昔の頃の名前は秘密ですので」

「そうなの?」

「ええ。なにせはちょっとした有名人だったもので。知られるわけにはいきませんよ」

 杏香は姫奈の前では今まで一度た見せたことがない、昔を懐かしむような物悲しい表情を浮かべる。

「へぇー!でもやっぱヒミツだーって言われた方が気になっちゃうよね!」

 英美里が場の雰囲気を戻そうと明るく話しかける。杏香もそれに応えるように笑って見せた。

「英美里さんのことは……聞きたいところですけど、嫌なことだったりします?」

 英美里は首をふるふると横に振る。

「そんなことないよ!施設のこととか産んでくれたパパとママの顔はもう全く思い出せないし、思い出すつもりもないよ。だって今の家族が幸せなんだもん!」

 杏香は安心したように首を縦に振り、安堵のため息を吐く。

「それはきっといいことでしょうね。ところで……」

 杏香は先ほどから気にしているように、首を左右に振って見回す。どうやら英美里も気がかりだったようで、二人顔を見合わせる。

「姫奈ねーちゃ、どこ?」

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