1話-2 法治国家日本は本日も平和なり

 時が経ち、四限目の体育。女子はこれから外で体力測定で、種目はハンドボール投げと千メートル走だ。

「ねぇ姫奈〜長距離走いやだよ〜」

「わかるわ〜」

 運動がめっぽう苦手な三咲が姫奈に抱きついてくるのを見て、茉奈は苦笑しつつ同意する。とはいえ姫奈にとっては屁でもないことなので、コツを教えることにした。

「こういうのはね、疲れないように走るのがいいよ?」

「そうなの?」

 三咲が上目遣いで聞いてくるから頭をぽんぽんと撫でながら頷く。

「もちろん。息が上がったら元も子もないないからさ。ペースは同じで最後にスパート。コレが基本なんじゃないかな」

「最初のうちに全力出して体力切れたら意味ないか」

 茉奈はなるほどと納得しながら相槌を打つ。

「うん。じゃあ、先に杏香と行ってるねー」

 ドア付近で待機している杏香の目線を察知して、姫奈は二人に先んじて校庭へ向かう。

「何秒くらいで行けるかなー?」

 わっくわくしながら姫奈がそういうと、杏香はため息をついて諭す。

「所詮千メートルでしょう?話になりませんよ」

 自信しかなさそうな杏香に姫奈は詰め寄って語りかける。

「じゃあさ、勝負しようぜ?」

「……いやです」

「なんで⁈」

 あまりの速攻拒否で落胆と同時に理由まで訊ねてしまった。

「あなたと勝負しても負けますよ。知略ならまだしも。まだしも」

「なんで二回も言った?」

 今普通に脳筋だと遠回しに言われたのが頭にきて即座に言い返した。

「考えてみてくださいよ。千メートルの日本記録が一五七・三三秒です。対してあなたは約一六三秒で走り抜ける。しかもそれが去年の話ですので、アスリート級を相手にするのは頭がおかしいと言っているだけなんですよ」

「ま、まぁそりゃそうだけど……それだとたーのーしーくないー!」

 姫奈も無理な要求であることは理解できているのだが、同級生でこのタイムを叩き出せるのは誰一人としていない。それでも、対戦相手が一人もいないというのはどうも辛いものがあるらしい。

「勉学も身体能力も、異常的ハイスペック過ぎるから姫奈なんでしょう?」

 杏香のその言葉には姫奈も自分のことながら笑うしかなかった。

「まぁしょうがないよね。取材とかめっちゃ受けさせられそうになったし」

「全部拒否したんでしたっけ」

 手に持ったお茶をいっぱいぐびっと飲むと姫奈は答える。

「あったりまえでしょー?映された暁には整形しますぅー」

 それを聞いた杏香はさもありなんと頷いた。

「当然ですね」

 杏香のあっさりした回答に姫奈は杏香の顔を見つめて頬を触る。

「私はイヤだよ?杏香の顔が変わるのは」

「やめてくださいよ。好きでこの顔になっている訳じゃないんですから」

 それを聞いて姫奈は申し訳なさそうにする。

「……なんかゴメン。全部私のせいなんだよね」

 余計に申し訳なさそうにする姫奈をみて杏香は頬に当てられてる手を押し戻す。

「いいって言ってるじゃないですか。そもそも私の自業自得で、姫奈は規則を守っただけでしょう?何にも悪いことはしてませんよ」

 それは心の底では逆の感情を抱えている杏香なりの慰めだった。でも姫奈にはずっと心残りなようだった。

「いっそ、一息に終わらせといた方がお互い楽だったかもね」

 姫奈の冷徹な言葉が冷めきった声と融合して杏香の肌を包み込むようにしつこく撫で回す。なんというか不快な感触がしていたのである。

「やめてくださいって。明るい姫奈の方が私は好きですよ」

 今、杏香にできる最大限フォローをぶつけたおかげか姫奈の表情に火が灯る。調子が出てスタスタ〜っと駆け足で前に出ながら叫ぶ。

「ま、そっか!法治国家日本国は本日も平和なり〜ってね!」

 足を止めて振り返り、姫奈と杏香の目があうとその瞳にはあり得ない翳りがあった。

「戸籍ないけど」

 やはり姫奈のことが怖い。何者も受け入れない一切拒絶の瞳、それはまるで彼女の本質を体現しているかのようだ。杏香は彼女の恐ろしさを再確認したのであった。

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