1話-1 ホント、かけがえないよね

――二一〇六年四月三〇日東京都某所

 交差点付近で溜まる制服姿の女子高生二人がスマホを眺めつつ騒ぐ。

「昨日のドラマ見たー?」

「見た見た!めっちゃカッコよかったよね〜」

 流行りの刑事ドラマを見た少女たちが黄色い声で語り合うその会話もまた、都会の喧騒に掻き消され、或いは喧騒の一部となって他所の会話を掻き消し呑み込む。そうやって賑やかな世界が築かれているのもまた世の中が随分と平和な証拠である。

「おーいみんなーっ!」

 さて、交差点の向こうから手を挙げふる少し茶色がかったショートの少女。彼女の名前は氷嶺姫奈。私立望海高校の一年生である。

「遅かったねー?」

「ごめんごめん!忘れものしてさぁ……」

 角張った、鈍器になりそうなくらい硬そうな革リュックサックをアピールする様に見せる。

「えーまたー?」

 彼女の――明石三咲が不満げに言うと姫奈は申し訳なさそうに手を合わせる。

「ごめんて!」

 もう一人の友人――浜崎茉奈が、姫奈が目をつむりつつ謝っている隙に背中のリュックにそろりと近づく。次の瞬間、姫奈はひらりと回避する。

「ふん!触らせるもんですか!」

「ちぇーっ。なんで触らせてくれないんだよー」

 茉奈がぶーぶー言っていると姫奈はリュックを守るように抱え込む。

「ダメなもんはだーめっ!大切なものは誰にも触らせたくないわけよ〜」

 しょんぼりしている茉奈に三咲が笑いながら近づいて肩にぽんと手を置く。

「まぁまぁ。誰にだって秘密の一つ二つはあるってもんでしょ?」

「それはそうだけどさ……」

 おずおずと目的地の望海高校に歩みを始めた。

 望海高校は名の通り海を望む高校。しかし、周りに家らしい家はない。チャイムが五月蝿いとかなんとかで、住宅の方が撤退したそうだ。

 姫奈は歩きながら、大パネルのニュースに耳を傾ける。

『今日未明、日本時間の一時二十九分にアメリカのルイジアナ州ニューオーリンズで銃乱射事件が起きました。死者二名、重軽傷合わせて十四人が怪我をするなどに被害が出ていて、ルイジアナ州警察はAUN模倣犯行として捜査をしており……』

(今日もどこかでAUN紛いの小規模テロか……)

 一年前のあの日――東京スカイツリー爆破テロの日からAUN関連のニュースを聞かない日はない。二日に一回、いや報道されていないだけで毎日だろうか。世界のどこかで人が死んでいるのだ。それはテロリストによるものかもしれないし、逆にテロリストが射殺されているかも知れない。とにかく、人が死なない日というのは一日も無くなったのだ。

「あの日のこと、ほんっと忘れられないよね」

「うん。怖いよね……」

 同じくニュースに耳を傾けていたのか、少し声に力が入ったような二人の話を聞いているとちょっと安心する。きっと一年前の日本だったらこの二人の会話は気の抜けた会話だっただろう。日本国民としてテロ事件の当事者になってからようやく意識したのかなと思いながら話を合わせる。

「だから法律とか国防が硬くなったんでしょ?」

「うんうん!証拠に中規模大規模な事件は一件も起きてないしね」

 ポジティブな指摘を入れて会話に花を添えるとか最早日常茶飯事ではあるのだがまぁ、そういうのも悪くはないと思う。

「あ、姫奈は昨日のドラマ見たー?」

「あの刑事ドラマ?見た見た!あの刑事さん……名前なんだっけ」

「佐倉さんだよ!」

「そうそう佐倉さん。犯人を捕まえるシーンとかめっちゃカッコよかったよねー」

 そんな何でもない話をしていると気付かぬうちに高校の正門を通過する。来る者拒まずと開けっ放しになっているガラスドアを通り、校舎へ入っていった。

 特に急ぐことも無く教室に入っていくと、いつもの騒がしい教室のという空間が広がっていた。三咲と茉奈は自席へと直行するや否や、周辺の友達と会話し始めた。姫奈も自席に着くと、金髪ロングのいかにも西洋のお嬢様的振る舞いの少女――羽野はの杏香きょうかが近づいてきた。

「およ?杏香じゃんか。おーはよ」

 立ち上がって軽いノリで肩を叩いて挨拶。

「おはようございます。姫奈は相も変わらずで結構なことで」

 少し苦い顔をして丁寧すぎるくらい丁寧に返した。

「んで、どした?」

「要がなければ話しかけちゃダメなんですか……」

 そう言う杏香に姫奈がきょとんとして返す。

「いや?というか杏香から話してくるとか珍しいからさ」

「ま、要はありますよ?コレとか!」

 自信満々にタブレット端末を見せてくると、内容は『反射神経テスト評価』と銘打たれた書類だった。

「ああ終わったんだね。どれどれ……ん、めっちゃ伸びてるじゃんか」

 姫奈は素直に評価すると杏香が素直に嬉しそうにすると、調子に乗って次の書類を見せる。

「理論的戦略構築評価試験とか完全に負けてるし……あ、でも体力試験は私の方が圧倒的だね!」

「それは敵いませんよ。年季が違いますから……」

「歳は同じだからね?」

 妙に中年扱いされた気分になったのであくまで同い年であると釘を刺しておいた。

「んー……あ、今日訓練場行く?」

「いいですね。次いでに模擬戦もやっておきましょうよ」

 単なる思いつきで提案してみる姫奈だったが、杏香は意外にも乗り気なようだ。

「へー?コテンパンにブッ倒すよ?」

 不敵な笑みを浮かべて煽ると、杏香も自身ありげに頷く。

「ええ。今日こそは負けませんから」

「言うね〜?」

 教室の片隅で微妙に物騒な話をしているというのは既に認知されていて、サバゲーマニアと疑われている程である。事実、クラスの男子に誘われてしっかり二人組で倒したこともあるくらいだった。

「ウォーターゲートでいいですかね」

「盗聴器とかついてなよね……」

「わけないでしょう?……あ、もしもし?私ですいつものアンジュです……」

 鞄からスマホを取り出して電話をかける杏香を見て、あだ名は伝わらんでしょと内心ツッコみながらフフッと笑う姫奈であった。

 杏香の姿を見てさっきの評価試験の結果を思い出す。一年前から驚くほど成長したなと思う今日この頃であるが、姫奈は杏香に内心嫌われていて、好かれる理由が皆無なのも理解している。寧ろ信頼してくれているのが奇跡なくらいで、杏香がしっとりした雰囲気が嫌いじゃなかったら明らかに不仲であってもおかしくなかった。どこか申し訳ない気もしながら、同時に杏香には感謝しているのだ。

「……はい……はい。午後五時ですね?ではよろしくお願いします」

 会社員のような会話を済ませると、杏香は鞄にスマホを戻して頷く。

「予約取れましたよ」

「ん。てか取れなきゃ困るしおかしいからね」

「それはそうですね……」

 ここで予鈴が一つ鳴る。

「んじゃあ」

「ええ」

 簡易的に別れを済ませると杏香も自席へささっと戻っていく。それと同時に、担任の教師が教室に入ってきた。

「はーいみんな座ってー。出欠とるよー」

 もはや聴き慣れたルーティンワードを耳にすると、姫奈にはようやく一日が始まるのかと思えるのである。

「……っとよし。奇跡の全員出席だな。今日は五限に講堂で全校集会があるから授業はないぞ。講堂が開放されるのは二十分前からだから、余裕を以って遅れずにくること」

 全校集会ほど怠いものもないので、えーだとか、めんどくせぇーだとか、ブーイングの嵐が巻き起こる。

「こらこら、静かに!予定表に書いてあったし分かりきったことだろ?」

 生徒が静かにするまで少しの間待ってから単にの教師は口を開く。

「まぁ、今日も一日頑張ってな。あ、三限化学実験室な」

 一言伝達事項を残して教室から去っていくと教室は鐘が後二つ鳴るまで束の間の賑わいを取り戻す。特に話すこともないので、大人しく一限目の準備をすることにした姫奈は、無性に周りを見回す。

 これは姫奈の癖であるのだが、常に周りを見回して人間を常に観察するのだ。無意識ではあるが目的は主に二つ。一つは視覚的満足感を得るためである。もう一つは、自称臆病な姫奈が常に周囲を警戒しているためである。そのおかげで他人が困っていることなどを把握することもでき、気遣いができる優しい人という評価をもらっているのである。

(うんうん!やっぱり視覚からしか得られない栄養分もあるもんですなぁ〜)

 周りを見渡すと、今を精一杯楽しもうとする同級生の姿が目に映る。それを見て、自分もついつい嬉しくなるのだ。無駄話で笑っている人。イジられてプンスカ怒っている人。恋バナに興じて黄色い声をあげる人。様々な感情がひしめき合うこの空間が姫奈は何より好きで、彼女が何よりも大切にしているものなのだ。

(ホント、かけがえないよね……)

 いつもの如くきょろきょろしていると、見慣れない人がいつも空席の場所に座っていた。

(そういえば、今日は奇跡の全員出席とかいってたか。入学して間も無く学校に全く馴染めず登校できなくなった……ジェームズ・サントス・デラクルスくんだっけ?)

 気づけば姫奈は机のサイドにかかっている鞄に手を伸ばしかけていた。よくない癖だと自嘲の笑みを浮かべながら手を引っ込める。それでも、自分が手を伸ばしたと言うことは感覚の上では最大限警戒している証拠だったので、今日一日は本人には気づかれないように警戒することにした。

 気付かぬうちに一限目の本鈴が鳴り、起立の号令でようやく一時間目開始を察知した。

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