2話-1 んなもんわかってやってる

ピピピッ……ピピピッ……ピピピッ……


 ――うるさい


 重たい瞼を半開きに、手を伸ばして目覚まし時計を探す。しかし、それらしきものはどこにもない。一瞬混乱するが、この目覚ましの音が直接頭の中に響いているモノだと気づくと首の後ろに手を回し、手を添える。

「慣れませんね……」

 静かになるも、思わずそう呟くほどにまだ慣れない。

 杏香は身体をベッドから持ち上げて、自室の洗面所に足を運ぶ。据え付けられた鏡の前に立つ度に、誰だっけ、と思う。自分であると理解するまでいつも少々時間を有するが、これも姫奈に命じられていることである。

「目覚ましは首輪チョーカーで!あとは、一日一回、自分の顔を見ること!」

 彼女の快活で透き通ったような声が頭の中に響く。人知れず、テロリストを始末するような仕事をやっているのにあんなに明るい雰囲気がどうやってだせるのか、不思議で仕方がなかった。


 

 だから彼女のことが苦手だ。


 

 いつもの日課で地下の防音室に篭ってグランドでピアノを弾く姫奈。手が滑るままに、直感的に弾くメロディーは流れは早いが人は流さぬ清流の如しであるが、三ヶ月前、二一〇五年三月九日の第二次全世界同時多発テロに於いてスカイツリーが爆破された事件でマリー・フェザー羽野杏香を救ってからというもの、どうも調子がおかしい。

 不協和音から始まったと思えばいつものメロディーになり、またそうかと思えば今度は苛烈なアグレッシブなメロディーに変化する。

 一体何がどうしたら私をこんなに揺さぶるのか。一人の少女の運命を大きく変えてしまったことへの罪悪感なのか。それとも、中々心を開いてくれないが故の苛立ちなのか。それでも、命を預けるに足るパートナーに育て上げねば。彼女に復讐する術を与えなければ。


 

 同じ境遇の者として。



 いつのまにか防音室に入っていた杏香と目が合う。

「……驚きました。本当に多彩なんですね」

 無表情にそう告げる杏香にいつもの如く陽気に返そうと姫奈は笑って返す。

「生業的にストレス溜まるでしょ?適度な娯楽は必要なのさ〜」

「ほんと、呑気なヒト」

「『慣れ』って言ってほしいな?」

 氷の如く冷たく返されるのに、それを溶かさんと陽気に返すから絶望的に噛み合わない。

「他人の命を握る仕事だから慣れたくはないですけど……」

 杏香の気持ちはよくわかる。人を殺してはいけないとか当たり前過ぎる価値観を育んだ後に、じゃあ今日からあなたは殺し屋ですがんばってね、と言われても流石に無理があるのは姫奈にも理解はできる。

 防音室の扉の向こうから、地面がダッダッと揺れる音がする、と気づいた瞬間にはドアがガチャりと開いて小さい妖精が飛び込んでくる。

「姫奈ねーちゃ!」

 言うなれば緋色の髪を持つ、見たところ八歳くらいの少女が姫奈の胸元目掛けて飛び込む。

「おー英美里えみり〜元気してたか〜?」

 姫奈は緋色の少女――稗田英美里の頭をわしゃわしゃ撫でる。

「うん!孤児隊員育成施設小学校のみんなと友達になれたし、せんせいがゆうしゅうだっていっぱいほめてくれたよ!」

 英美里の無邪気な姿に呆気を取られる杏香の様子を察知して、姫奈は英美里に顔を近づける。

「英美里が孤児隊員育成施設小学校に入学してからちょっと経った時にデッカい事件があったでしょー?」

「すかいつりー?がこわされたやつだよねー。しってるしってるー」

「そのあとにこの家の家族になった人がいるんだー」

「え、だれだれ⁈」

 それを聞くと英美里は目をキラキラ輝かせて紹介をねだる。姫奈は杏香に目配せして自己紹介しろというサインを送る。

「あ、私です」

「お、お姉さん新しい家族だったんだ……なまえ、おしえてほしーなー?」

 手をスッと肩の位置まで挙げて主張する。英美里の視線はさっきまでは警戒感を示していたが、家族と聞くと急に態度を軟化させて名前を尋ねてきた。

「……羽野杏香と言います。よろしくお願いしますね」

「私は稗田ひえだ英美里えみり!よろしく杏香ねえちゃん!」

 元気よく家族の契りを結ぶ英美里は、今まで鉄のように表情を変えなかった杏香に変化をもたらしていた。頬は緩み笑顔に見えるが、姫奈には杏香の本心がわかっていた。

「英美里?姫奈ねーちゃと杏香ねえちゃん、ちょっと話しててさ。先リビングに戻ってラゲナパパとダリアママと今日どこ行くか決めといて?いいか〜?」

 英美里は満面の笑みで頷くと防音室を走り出た。

 杏香の顔を見るのは少し辛かったが、それでもやっぱり、普通の人なんだなと思わされる。

「怒ってる?」

「……あれが育成孤児隊員バンシーですか?」

「正確には卵だけど……まぁせうせうって感じ?」

 

 ――育成孤児隊員バンシーとは。

 児童養護施設などに入る孤児の中から『戸籍がない』『育児放棄による孤児化』などの条件に当てはまる者を選んで、孤児兵育成施設、通称『小学校』に入学し、対人戦のノウハウを叩き込まれる。もちろん、道徳観育成以外の初等教育も施す。卒業年齢になるとそれぞれの支部に配属されて、SOUのバンシーとして活動することになる。あまりに優秀な場合などは、既にバンシー予備として実際に命のやりとりを経験させる。ちなみに、英美里はバンシー予備員である。それ以外の懲役囚や現地徴収員などは実動隊員エインヘリャルと呼ばれる。


 杏香もバンシーの存在は聞いたことがあったが、流石にそんな事情があることまでは知らなかったのか、姫奈の説明に怒りを激らす。

「ふざけないでくださいッ!」

 彼女の悲痛な叫びを聞くと、根本的に優しい彼女に運命を選ばせた自分が少しだけ憎い気もした。

「わかってるわかってる。残虐非道、少年兵となんら変わらないじゃないか、と言いたいんだね?」

 杏香は肩を震わせて頷く。姫奈の微動だにしない表情――アルカイックスマイル的な微笑みを崩さない仏像――を見て、それはそれで悲しくなる。

「あえて言うけど、

 杏香もバカではないので、子供を一流の殺し屋に育て上げる簡単さはわかる。それでも、自分が、心が、感情が、脳がそれを全力で拒否する。

「うん、それでいーんだよ。杏香は何も間違っちゃいない」

 姫奈はピアノの椅子から立ち上がると、杏香の横を通り過ぎ側に耳元で囁く。

「それに助けてんだから悪いことは何もしてない、らしいよ?」

 早く初陣を迎えたい。九十数日間死に物狂いでやり続けた訓練が活かせる日が早く来て欲しい。初めてそんな感情が湧き上がってきた自分に驚きを隠せない杏香はピアノから逃げるように防音室を後にした。

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