3話-5 TRUST YOU
「うーんッ!疲れたなァ……」
作戦終了後は再び前線拠点で落ち合うことになっているので、そこに向かうと一足先に帰っていたラゲナとずっとモニターしていたダリアが既に機材の片付けを始めていた。
「お疲れだ」
「おッつかれーッ!」
「お疲れさまー」
二人に一言挨拶を済ませると、恐ろしく違和感に襲われる。なんだろうかと考えていると、そこになければいけない存在、今回のMVPではないかという人物をすっかり忘れている。これはまずいと思った矢先だった。
『誰か助けてくださーいッ!』
アンジュ――杏香の声が頭いっぱいに響く。そういえば、一人で持ち運べないものを持っていたかと今更思い出す。
「行くか……」
自分の愛車からヘルメットだけ取り出して杏香の愛車『隼』に跨る。
「私の愛車で帰っていいよ。壊さないでね〜」
そう言い残すと、アインス――姫奈は隼を出した。
「ひどいですよ……」
「ごめんごめん〜」
「……ていうか私の隼じゃないですか」
杏香は姫奈がまたがるバイクが自分の愛車であることに気づくと、驚いたようにそう言う。
「うん。私のバイク、ラゲナたちに貸しちゃったからさ」
「はぁ……まぁ、いいですけど」
割と自分本位な行動も、なんとなく今は許せる気がしてきたのが恐ろしいところだと杏香は感じる。
姫奈は
「ん、できたよ」
「ありがとうございます。じゃあ、後ろに乗ってください」
「そうさせてもらうよ」
姫奈は
隼が高速に乗ったあたりで、姫奈はグッとより強く抱き寄せる。
「どうしたんですか、姫奈?」
「最後の援護射撃、助かったよ」
「ああ、ええ。もしかしたら何の考えもなしに走ってるんじゃないかなと思って」
「あはは。いつもはそんなこと無かったんだけどなぁ……」
あの状況がいつもなら銃弾を牽制射撃で放つとか色々できたはずなのに、何故か杏香の援護射撃を期待した自分がいた。
「ええ。私がいなければ絶対死んでましたね」
そうは言いつつ、実際はなんとかして見せてた気もすると杏香は思う。側から見ていても異常な反応速度だ。より正確にいえば、どこか
「ともあれ助かったよ……相棒」
「いやぁー怖いですね、吊り橋効果って」
「ええー?何言い出すのさ」
「嘘です冗談ですよ」
お互いスピーカー越しなのか、地声なのかわからない距離感で話している。姫奈にとっては正にいい相棒ができたといったところだが、まだ杏香がどう思っているのか不安ではあった。しかし、その感情は押し殺してなるべく普通に振る舞うのである。
「私も姫奈の助けになるならそれで嬉しいですよ」
杏香のどうしようもない善意に触れると、姫奈は余計に申し訳なさが湧き上がる。それを隠すように、皮のスーツで覆われた背中にヘルメットを押し付ける。
「……ちょっと寝かせて」
「ウトウトするのはいいですが、ここ高速の上なんであまりしっかり寝ないでくださいね」
「うーん……」
杏香は姫奈のスーツの腕に付いているベルトを自分の腹の前で固定する。とはいえ、完全に眠たそうな様子である。さてと思うと、ちょうど近くに
『では、最新のニュースです。今日十三時三十八分、御嶽山油木美林山荘における人質立て篭もり事件の主犯が逮捕されました。容疑者は国際テロ組織AUNの構成員で――』
「流石、事件はすっかり解決されたみたいだ」
夕陽が差し込む窓を背景に、男が二人向かい合って座る。
「さぁ?いつもの彼女なら、人質であってもAUNに手を貸した地点で殺していたでしょうけど」
仏頂面の若い男、根岸夏樹は相変わらず何者も寄せ付けぬオーラを纏っている。しかし、相対する男はそれを祓うが如く重苦しくも軽い口調で話しかける。
「吉兆は良いことだ」
「
総理と呼ばれた男――延山は満足そうに頷く。
「いくらテロが起こるとはいえ、今の米中関係は緊張状態だ。いつ戦争が起こってもおかしくないと思うと……」
そう言ってコトンと延山は手に持っていたグラスを置く。その姿に夏樹は疲れを見た。
「……少しはお休みになってはいかがですか?先週は中国、一昨日にアメリカ、明日にはロシアに行くのでしょう?もっと身体を大切にしてくださいよ」
無表情ながらも心配してそう言うと、延山は力のない高笑いを見せる。
「アッハッハッハッ!君らよりは楽な仕事だよ?」
「だったら、せめてご自宅でお休みになってください。議事堂に居を構えてまで、その身体を酷使することはないでしょう?」
延山はどこか諦めじみた口調でため息混じりに言う。
「おそらく、次の戦争は世界大戦になるだろう。それも大国同士のな。しかし、中国はというと民主化運動が激しく半ば内戦のような状態な上、AUNの巣窟となっているし、アメリカは第二次レッドパージで忙しくなっている。そしてロシアは核兵器保管庫としての役割しか果たしていない」
人口の増加でバーンズ条約に調印し、連合の名を借りた間引き政策を始めた。人権感覚が皆無な政策に激怒した国民がAUN化したり、民主化運動を行なったりでもうそれは大変な状態だ。
「アメリカは中国を早く潰したい気持ちでいっぱいでしょうね」
「アメリカの対中包囲網は強固だからな。我が日本はその前線に据えられているし」
戦争の回避が自国を守るための行動なのである。
「そういえば、所得税などの間接税を減税して消費税三〇パーセントにする政策は結構賛否両論でしたね」
「ああ。自営業者とかには手痛い仕打ちだろうさ。何かと経費ということにすれば税金を取り立てられずに済むというのは、普通の会社員と比べて少々公平性に欠ける。直接税を大幅に増やせば、脱税もできないから否が応でも税金は回収できるからな」
嫌がられることを進んでやっている上に、この社会情勢だ。確かに、少しでも移動を控えたいという気持ちもわかる気がすると夏樹は考える。
「では、私はこれで」
夏樹は一言述べると立ち上がり、首相個室を後にしたのであった。ガラ空きになった向かい席を一望、そして夕日を眺めて一息。
「五十年生きて、今が一番辛い人生というのもまた貴重な経験だな……」
一つの信念を持つその男は、これからも彼自身の戦場で戦うのであった。
――ウォーターゲート 地下防音室
なんの考えもなしにピアノの前に座る。こうするとマリーのことを忘れずに済む気がして、杏香は自分という存在に重みをつける。
白鍵に右手の人差し指をトンと置くと、ピアノはズレることのない音を奏でる。弾き手がミスタッチさえしなければ、思うようにならすことができる楽器というのはヴァイオリンのように特に目印もない弦に指で押さえて鳴らす楽器とは大違いだ。
「八十八鍵が奏でる圧倒的な音域とフォルテピアノの原題に違わず、簡単に音の強弱を示せる楽器でもあるよな」
先ほどまで睡眠していたはずの姫奈が寝巻きのまま防音室へ入ってくる。
「起きたんですね」
「なんか目が覚めちゃってね。ちょっと弾きたくなったんだよ」
擦ったのか少し赤くなった目でそう言うと、姫奈は杏香の右隣に座る。
「なんか弾こーぜ?」
「ラヴェルのマ・メール・ロワとかいかがでしょう?」
「いいね〜」
二人が奏でる旋律が一つになるこの素晴らしさが一体誰にわかるというにだろうか。音楽は魅せるものだが、その実弾き手にしかわからない微妙な差があると言う。
確かにそうだ。
弦の張りが弱まることによって音程が下がっていることや、どこかに異常があって少しくぐもったような音がするとか。そんなのは私たちにしかわからないのかと姫奈は思いながら、二人だけの特別な時間を過ごしたのであった。
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