第5章 工業都市エヴァンザ編 第4話(7)

「何ッ……!」

 突然の事態にジークが動転する中、束縛を解かれたサリューは即座に後ろに飛び退る。

 そこには、いつの間にか竜巻の檻から抜け、彼らの方へ銃口を向けていたルベールの姿があった。彼の傍へ戻ったサリューは、彼と短く言葉を交わす。

「助かったわ、ルベール。さすがは私の自慢の彼ね。信じてたわよ」

「こちらこそ気を引いていてくれてありがとうございました。おかげで時間が稼げました」

 ルベールの端的な物言いに信頼の笑みを浮かべて向き直ったサリューの対面で、ジークは彼女に縋るように憎悪の叫びを上げていた。

「サリュー……君はそれでも人間を信じるというのか。僕達の全てを虐げてきた人間を!」

「まだ勘違いしてるのね。ここにいる彼は、私達を虐げたあの奴らじゃないわ。もしも彼ですらそう見えるのだとしたら、それは貴方の眼が濁っているのよ」

 そう決然と返したサリューの言葉には、一片の迷いもなかった。

「私達はもう、あの日の痛みを越えるべき時に来ているのよ。そしてそれを果たす方法は、少なくとも同じ痛みを人間に与えることじゃないと思うわ。それはただの歪んだ自己充足……自分の痛みを人に与えてわからせるなんて、悲しくて、虚ろなだけよ」

 過去の傷を振り切るサリューの言葉に、ジークの表情から力が抜け、小さな空笑が零れた。

「悲しい、か……君にそんなことを言われるとは思ってなかったな」

「私だけじゃないわ。クララもきっと同じことを思っているはず。それでもまだ私達を、貴方達の側に無理やり引っ張り込もうとする?」

 訣別のように告げたサリューの言葉に、ジークは観念したように首を振った。

「ああ、そうだな。どうやら僕らと君達二人とは、随分と道を違えてしまったようだ。今は同じ道を歩ける気がしないよ。仕方ない、君達を連れ帰る件は一旦措いておこう」

 そして、顔を上げた。その瞳には、水を背にしたように悲愴なまでの覚悟が宿っていた。

「だけど、僕達は《計画》を止めはしないよ。あれは僕達と母様の、あの日から続いた全ての痛みの結晶だ。僕達は必ず《計画》を完遂させる……君達がそれを阻もうとしてもね!」

「上等じゃない。こっちにも止めがいができるってものだわ。いつか、私達がまた同じ場所で笑い合えるその時を取り返すために……私達も全力で、貴方達に抗うから」

 自信を乗せた笑みを浮かべて言うサリューの言葉に、ジークは観念したように笑った。

「こんな状況になって、それでもまだそんな夢を見るか……いいだろう。その時を迎えられるかどうか、僕らの《戦いの果て》に委ねてみようじゃないか」

 言葉を交わし、サリューとジークは、互いの心に突き刺すような視線を交わし合う。それは、二人が互いに信念も立場も譲らず、しかし共に心を通じ合わせようとしているような、激しい心の交錯だった。

「話は終わったかい?」

 そこに端然と割って入ったルベールに、ジークは鋭く研磨されたような視線を向けた。

「空気の銃弾を介して自分の魔力を送り込んで、僕の《檻》とサリューの《枷》を内側から解除させたか……なるほど。思っていた以上には魔法の心得があるみたいだね」

 感心したようにジークは言うと、鋭い視線と銃口を向け続けてくるルベールを見た。

「けど、君は所詮人間だ。その程度の魔力を繰れた所で、僕に勝てると思うのかい?」

「僕一人の力なら、そうかもしれないね。けど、サリューさんの言葉を聞いただろう。あまり僕らを見くびらない方がいい」

 ルベールの意味深な言葉と、それを訝ったジークが異変に気付いたのはほぼ同時だった。

 彼――ルベールの傍らにいた、彼と共に囚われていたはずの少女がその場にいない。

 同時、直感的に周囲の気配を探ったジークは、風を切る音を聞き、頭上を見上げた。

 その上空から、どうやってそんな高さに跳んだのか、拳を引きに溜めたセリナが隕石のような勢いで降りかかっていた。その瞳は真っすぐにジークを捉えている。

「やあああぁぁぁぁッ!」

「ッ……!」

 咆哮しながら地表に向けて加速するその身と拳に必殺の威力が乗っていることを察したジークは、咄嗟に一歩引き退って、セリナの着地点から逃れた。

 直後、激突するような勢いで地面に着いたセリナの拳が、岩盤の地面を轟音と共に破砕した。地面が薄氷のように割れ、石片の混じった土煙が上がる。風を纏いその煙をやり過ごしたジークは、その煙の中から緑金色の光を纏ったセリナが飛び込んでくるのを見た。

 緑と金色の光――風と空間の魔力の顕れ、空中機動の制御と加速。その力を与えたのは。

「君の属性付与たねづけってわけか……やってくれるね!」

 苦し紛れに悪態を吐きつつ、回避が困難と見たジークは咄嗟に風の障壁を張り、セリナの突撃を防ごうとする。

 直後、乾いた炸裂音が響き、超高密度に圧縮された空気の銃弾が、翡翠色の軌跡を引いて煙の向こうのジークへと直進する。彼を守る風の障壁は当然にその圧縮された空気弾を受け止め、瞬間、その弾が破裂し、衝撃と共にジークを守る風の障壁を霧散させた。

(しまっ……!)

 瞠目したジークはその眼前に、拳を溜めて踏み込んでいたセリナの姿を見た。

「っでぇぇぇぇぇぇぇいッ!」

 裂帛一声、セリナの引きに溜められた拳が、空を貫く勢いで繰り出される。

「ッ……!」

 防壁を崩された動揺も束の間、身の危険を感じたジークは咄嗟に腕を体の前で交差させ、身を守る態勢を取る。そこにセリナの引き溜めた拳が杭打機のように突き刺さった。

「が、っは……!」

 通された衝撃に、ジークの体が宙を飛んで吹き飛び、地に叩きつけられてそのまま地面を転がる。ジークの細身は土と石屑まみれになりながら対岸の岩壁に叩きつけられ、ようやく止まった。全身を走る痛覚の衝撃に抗い、ジークは身を起こして這い上がり、前方を見る。

 そこにいたのは、全身に薄衣のような緑金色の光を纏ったセリナだった。力の顕れであるその光の色の意味を知っていたジークは、不快なものを見たように苦々しい顔をした。

「ただの人間が、僕らの真似事か……侮ってくれるなっ!」

「侮ってくれたのはそっちでしょ。あたし達を舐めてかかると、痛い目見るよ!」

 一声、セリナの足の金色の拍車が光を纏い、彼女に光の神速を与える。彼女が再び眼前に迫るのを見たジークは、その背後から銃口を向けてくるルベールの姿を目に舌打ちをした。

 ジークが纏おうとする風の障壁を、ルベールの圧縮された空気弾がことごとく霧散させ、その隙を縫うようにセリナが肉薄しようとする。魔術は得意だが格闘戦に芸がないジークにとって、これは非常にやりにくい構図だった。

 昼に会敵した際には、ルベールの風銃には今ほどの力はなく、ジークの障壁にかき消される程度の力しかなかった。それが、何らかの理由で、彼の風を操る力が強化されている。おそらく、この場にいる誰かか、この場にある何かの力によって。

(連携というわけか……どちらにせよ、さすがに侮ってはいられないね)

「いいだろう……ならばこちらも、少々本気を見せようじゃないか!」

 もはや看過できないと察したジークの眼が闇を帯びた光を帯び、その全身を一層の風が纏った。風圧に吹き飛ばされたセリナは地を転がされた後にすぐさま起き上がり、ルベールは鋭い目で銃口を向けながら、その場に現れたジークの姿を目にした。

 それは、禍々しい紫闇を纏う風の鎧に身を包んだ、怨嗟の権現だった。彼の周囲を荒れ狂うように吹き荒れる闇色の風は、煽られるだけで胸の内を荒ぶる感情に晒される。

「何、あれ……やばくない?」

「言葉の通り、彼の本気の一部みたいだね」

 身構えるセリナとルベールを前に、ジークは獰猛な道化師の笑みを浮かべて言う。

「僕に拳を入れるとは、よく頑張ったね。君達の覚悟に敬意を表して、ご褒美をあげよう」

「ご褒美……?」

「ああ。この力の意味を理解するならば、君の疑念など吹き飛ぶだろう!」

 力を解放し、喜び猛るように笑うジークの瞳に、禍々しい凶気の闇色が走る。

 瞬間、ルベールが危険を察知した時には、極黒に染まった風が渦を巻いて、ルベールとセリナのいた場所を囲い込んでいた。

「セリナ、ルベール!」

「風に……僕の怨嗟に押し潰されるがいい!」

 ジークの声に呼応して、サリューの掠れた必死の叫びをかき消すように、渦を巻く闇色の風が荒れ狂うように回転の勢いを増し、内に捉えた二人を切り裂かんとその径を狭める。

 時間がないと判断したサリューが、身を捨ててでも二人を救おうと動こうとしたその時。

「う……ぉぉぉおおおおおおおああああああぁぁぁぁッ!」

 暴風の渦の中から魂を吐き出すような咆哮が上がると共に、一筋の光の柱が闇風の渦の中から突き立つように立ち昇った。それを軸に眩い翡翠色の光を帯びた旋風が解き放たれ、邪風の牢獄を内から切り裂き、霧消させた。

「⁉」

 双方それぞれに思わぬ展開に目を瞠ったサリューとジークは、見た。

 切り散らされた風の渦の中心に立つ、風を纏う光に包まれた青年の姿を。

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