第1話
第5章 工業都市エヴァンザ編 第1話(1)
王国の東端にあるハーメスからエヴァンザまでは、飛空船で1時間前後の旅程になる。その日の空模様は穏やかで、ルベール達を乗せた飛空船は順調な運航を続けていた。
その飛空船の席に腰を載せながら、セリナは何やらそわそわしていた。窓の外に広がる空の見物にも気を散らすことができず、常に窓際の隣に座る彼に気を惹かれてしまう。
席順は、窓際からの三席の順にルベール、セリナ、サリューという順番だ。セリナは窓際のルベールと通路側のサリューに挟まれる形になっている。
(絶対、サリューさんの悪意だと思うんだよねえ……)
左隣で淑やかに身を佇ませるサリューに恨み節を送りつつ、セリナはちらと右隣に座るルベールに目を向けた。
飛空船が飛行を始めてから、ルベールは一言も話さず、終始窓の外に広がる空を眺め続けている。明晰かつ明朗ないつもの彼らしくない茫漠としたその様子は、傍から見ても何か物思いを抱えていることがまるわかりだった。常に一団の場の空気を取り持ち、気の利いた冗句を口にするようなルベールにしては、本当に見たこともないほど彼らしくなかった。
これから向かう先に彼をそんな風に思い悩ませる何かがあるのだろうということくらい、さすがにセリナにも察しはつく。同時に、普段らしからぬ憂鬱を漂わせているルベールの、その表情を陰らせているものが気になり、また同時に、そこに踏み入ることができていない自分に、苛立ちにも似たもどかしさを覚える。
(気にするなっていう方が無理よ……もう)
そう心中で呟き、セリナは自分の胸の辺りが熱を持つのを自覚する。
思い返してみれば、まだクランツが自警団に入団する前に同期生として王都自警団に入団してからこの旅業に至るまで、彼と付き合う時間は多かった。彼はあの頃からこの飛空船に至るまで、終始いつもの軽く朗らかな態度のままだった。だからこそ、今自分が垣間見ているルベールのその思い詰めたような表情は、それだけでセリナの胸中をざわつかせた。
おそらく誰にも見せたことがないであろう、彼の隠された内心の表れている表情。
ローエンツでの襲撃の際に垣間見えた、彼の自分に対する異性としての欲求。
そして、ハーメスの夜祭の時、『二人きりで話したい』と彼が話した言葉。
そこまでされたら、いくら何でも意識せざるを得なかった。この場にクランツがいないことに、セリナは改めてルベールの高度な作為性を感じる。おそらく彼も何かを意図して、クランツなしで二人きりになるこの状況を作りだしたのだ。
誘われている、とセリナは感じた。そう思った途端、彼女の中の負けん気に火が点く。どの道もうこの場にいる時点で逃げ場はない上に、ここまで来たら逃げるつもりもない。
(いいわよ、何企んでるか知らないけど、ここまで来たら乗ってやろうじゃないの)
一人密かに決意を固めていたセリナに、ふいに左隣から小さな笑い声が聞こえた。セリナが顔を向けると、左隣に座っていたサリューが何やら思わせぶりな目でこちらを見ている。何だか見透かされているような気がして、セリナは少しむっとしながら言っていた。
「何か可笑しいんですか、サリューさん」
「あんまりいきり立っちゃダメ。ルベールに聞こえちゃうわよ」
小声で囁くようなサリューの言葉にやはり確信犯的なものを感じつつ、セリナは右隣のルベールが二人の会話にも反応を示していないのを見取りながら、サリューに返した。
「反応してないし大丈夫でしょ。まあ、それはそれで心配だけど」
「そうね。彼のことだから聞こえてるんでしょうけど。そういう気分じゃないみたいね」
サリューのその言葉に、窓の外を見ていたルベールがおもむろに二人の方に顔を向け、気だるげに言った。
「サリューさんも僕に負けず劣らず意地悪ですね。人の事は言えませんよ」
「あら、それはごめんなさいね。セリナを一人で放っておくのも可哀想だったから」
サリューの切り返しに、ルベールはばつが悪そうな顔になりながら、セリナの方を見た。そして、戸惑い気に見つめ返してくるセリナに、困ったような笑みを浮かべながら言った。
「ごめん、セリナ。心配、かけちゃってるかな」
自分の落ち度を自覚しながら、こちらを気遣おうとするその言葉に、セリナはなぜか少しむっとした。自分のことを顧みずに無理をしやすいどこぞの頼りない弟分の姿が重なって、セリナは自然に口を開いていた。
「別に。あたしのことなら気にしないで。それより、あんたこそ大丈夫なの? さっきからずっとぼーっとしてるみたいだけど……」
セリナはそこまで言って、次の言葉を言うべきかどうか迷ったが、言うことにした。どうせ彼に付いてここまで来ている時点で、出し惜しみはするだけ気分が悪くなるだろう。
「何か、この先で気になることでもあるの?」
セリナの言葉に、ルベールはまた困ったような笑顔を見せながら、言った。
「まあ、ちょっとね。久々に実家に帰るし、家族に何を言われるか、ちょっと心配でね」
その表情と言葉がまだ遠回しに何かを隠しているように見えて、セリナはじとりとした目でルベールを見た。
「本当にそれだけ?」
「もちろん、それだけじゃないよ。実際にエヴァンザの町で僕らの任務について確かめたいこともある。けど、それも……家のことが気にかかるのも本当のことだよ。何せもう5年近く連絡も取ってなかったからね。何も言われないこともないだろうと思ってね」
笑いながら言うルベールに、セリナはその事実に口を開けてしまった。
「5年って……」
「僕がエヴァンザを出て王都学園に入ってから自警団に入って今まで、ってことになるね」
さらりと話すルベールに、セリナは思わず言っていた。
「そんな……何で連絡の一本も寄こさなかったのよ。5年も音信不通だったら、そりゃ家族だって心配するでしょ」
「あはは、まるで家族が言いそうなことを言ってくれてるね、セリナは」
ルベールの切り返しに言葉に詰まったセリナに代わり、サリューが穏やかに口を挟んだ。
「ご実家に連絡をしなかったのは、何か意図があってのこと?」
サリューの言葉に、ルベールは一転して神妙な面持ちになる。自分と話していた時と明らかに態度が違うことに、セリナはそれにも少し不服な気分になった。それが、彼の深い部分まで辿り着けていないからだということも、気付いていた。
「元々家督を継ぐはずだった所を、自分の我が儘を通して修学の期間を貰ったんです。父はまだ健在ですが、それでもその時点で僕は家の方に負担をかけている。だから簡単に縋ったりするわけにはいかなかったんです」
ルベールの自戒のような言葉に、サリューは呆れたような笑みを見せた。
「生真面目なのねえ。そういう責任感の強い所はあなたのとても素敵な所だと思うけれど……それで、今回その信条を曲げてまで、そのご実家に縋らなければならない理由ができたということね?」
「あ……」
たった二言でルベールの事情を暴き出したサリューの話術に、セリナは呆気に取られた。ルベールは小さく頷き、その事情を語った。
「僕の実家は、エヴァンザの要職を務めています。だから、エヴァンザにおいて僕らの任務を達成するうえでは、どうしても父の助力が必要になります。それに、もしも僕らの旅程の間に《十二使徒》やその他の対抗勢力が絡んでくるとしたら、滞在中に僕らに関わる危険が彼らに及ぶことも考えられます。なら、連絡しないわけにはいかないでしょう」
「まだ若いのに、大した洞察力ね。誰に似たのかしらね?」
「はは……敵いませんね、サリューさんには」
見透かしたようなサリューの言葉に、ルベールは小さく笑った。
その一方で、セリナの中にはいくつもの疑問が噴出していた。ルベールのさっきの言葉が、自分達の旅程に直接関わっているとしたら、それは……、
「ねえ、ルベール。あんたの実家って……」
セリナがその疑問を口にしかけた時、ふいに飛空船内にベルの音とアナウンスが響いた。
『御乗客の皆様、本便はまもなく、エヴァンザ空港に到着いたします。――――』
虚を衝かれたセリナに、ルベールは言い含めるように言った。
「落ち着いたらちゃんと話すよ。たぶん実際に見るのが一番わかりやすいと思う。とりあえず、降りる準備をしよう」
「むー……約束だからね?」
完全にペースを掴まれたことにむっとしながら、セリナは渋々降りる準備を始めた。
サリューはそんなセリナを微笑ましげに見ながら、ふとルベールと目が合った。
察してください、とばかりのルベールの表情。
だからサリューはあえて試すような目でルベールを見返し、言葉にすることにした。
「ルベール」
ふいに口を切ったサリューに、セリナとルベールが顔を向ける。
サリューはルベールの目を、心の奥を見透かすように真っ直ぐに見て、言った。
「ちゃんと責任を取りなさい。あなたが決着をつけるべき、全てのことにね」
その言葉に何のことかときょとんとするセリナの横で、ルベールは降参したような表情で小さく笑って、
「善処します」
一言、密かに決然と返した。
セリナが二人のそのやり取りの意味を取れずにむっとしている内に、彼らを載せた飛空船の行く先に、エヴァンザの町が近づいて来ていた。
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