第5章 工業都市エヴァンザ編 第2話(4)
セリナとルベールがルチアを連れてルグルセンの執務室まで戻ると、彼もその場に残ったサリューと何らかの話を終えた後らしかった。
「あら、お帰りなさい三人とも。少しは落ち着いた?」
「ええ、何とか。セリナのおかげです。ありがとうセリナ」
サリューの前で感謝の意を示すルベールに、セリナは決まり悪げに頭を掻いて答えた。
「別に。あたしにお礼言うくらいなら、もっとしっかり見てなさいよね。お兄ちゃん」
「セリナ様。お兄様の愛称を気安く呼ばないでくださいませ。それはルチアのものですわ」
「はいはい。あんたもあんまり拗ねてお兄ちゃんを困らせるんじゃないわよ」
「お兄様の愛称を呼ぶなと申しましたでしょう⁉ これだから知恵のない女は……」
「何か言った?」
「耳がおかしいのではありませんの? お医者様をご紹介しましょうか」
辛口を交わした後、互いに顔をぷいと背けるセリナとルチアを目に、サリューとルグルセンは子供の喧嘩を眺める大人のように笑った。
「それだけ口喧嘩ができるなら心配はなさそうね。でも、セリナの言う通りよルベール。大切な妹ちゃんをあんまり心配させちゃダメでしょう、お兄ちゃん?」
サリューの指摘に、ルベールはわずかに俯き、その表情に自省の色を浮かべた。
「すみません。いくら計画への必要性からとはいえ、ルチアの気持ちに配慮が足りていなかったのは事実です。言い訳はできません」
「私に謝ってもしょうがないじゃない。私の言いたいことは、さっきのセリナと同じよ?」
「はい……善処します」
平伏するばかりのルベールを目に、セリナは隣にいるルチアに小声で問いかけた。
「(……ねえ。あんた、サリューさんにはあんまり風当たり厳しくないのね)」
「(貴女様よりは気品や知性も感じられますし、お兄様の傍にいるに値する方のように思われますから)」
いちいち棘のあるルチアの物言いにセリナがイラッとする中、ルグルセンが言った。
「お前達がいない間に、こちらもサリュー殿から話を聞かせてもらって、大まかな概要の把握はできた。議題として市会にかける必要はあるだろうが、改めて私達コーバッツ公社は、市の暫定代表としてお前達の計画に賛同の意を示すことを誓おう」
「父さん……」
ルグルセンのその言葉にルチアの表情に影が差すのを横目に見て、ルベールが言う。
「話を持ちかけたのはこっちだし、その言葉はとてもありがたいけれど……ルチアも心配していた通り、この件は、この町の在り方にも革変を促すものだ。波風が立たないことはあり得ない。それを……あの時と同じ政争を再び行うことを、父さんは受け入れるの?」
「無論だ。言ったろう。お前達の持ち込んだこの話が、この町はおろかこの王国全土に広がる革変の先端となるだろうことは、既に理解している。ならば、先手を打てる機会を逃さないというだけのことだ。大波が来るとわかっているのなら、乗り切る準備を始めるのみよ。かつて我が公社はそうした大革変に際し、そうすることで常に危難の時代を乗り越えてきた歴史がある。私はその精神を継ぐ者だ。お前もそれを忘れたわけではないだろう?」
ルグルセンはそう言って、決意を定めた瞳でルベールとルチアを見つめた。
「それに、あの時と同じようにはさせない。いかなる危難が襲い掛かろうとも、お前もルチアも、私は決して失わせはしない。それが、私がルミエに果たせる、せめてもの報いだ」
「お父様……」
ルチアの零した声に、ルグルセンは堂々とした笑みを浮かべて、ルベールに言った。
「この件に関しては私に任せて、お前は自分の目の前に集中しておけ。話すべきことは、これから始まる全てが片付いた後、ゆっくり聞かせてもらうことにするよ」
「ありがとう……父さん」
安堵の表情を浮かべるルベールに笑みを返すと、ルグルセンは腕の時計を見て言った。
「さて……そろそろ日も傾いてくる頃だな。そう言えばルベール。宿の当てはあるのか?」
「うん。いつもなら自警団ギルドの詰所に厄介になるか、宿を手配してもらう所なんだけど」
「お兄様。ここではそんな必要はありませんわ。ここはお兄様の家なのですから」
言い淀んでいたルベールに、ルチアが嬉々とした色を浮かべながら言った。
「せっかく帰ってきてくださったのですから、ルチアのお傍にいてくださるでしょう? もしもルチアを一人残して他の女と別の宿に寝るなどというのなら……許しませんわよ」
ルベールに懇願するようにそう語るルチアの刺々しい視線は、当然のように他の女――セリナとサリューに向いていた。
「あら、けっこう敵視されてるみたいね、私達」
「たぶんサリューさんの方がですよ」
涼しげな顔のサリューと参り顔のセリナの横で、ルグルセンが思いついたように言った。
「そうだな。ちょうどいい。ルチア。皆さんを温泉に案内して差し上げなさい」
「はい?」「温泉?」
ルグルセンのその提案に、セリナは首を傾げ、サリューは目を輝かせ、案内を任されたルチアは苦い顔をし、その様子を眺めていたルベールは困ったような笑みを浮かべて、良案を出してくれたルグルセンを見ていた。
「意外ね。エヴァンザって温泉の町でもあるんだ?」
コーバッツ公社を出て、紹介された温泉施設へと向かう、夕暮れ近い道すがら。
ルチアに付いて後ろを歩くセリナに、隣を歩くサリューが解説していた。
「エヴァンザは鉱業を軸に発展してきた都市だから、鉱脈を掘り進める過程で源泉を掘り当てることもよくあったみたいよ。鉱山都市にはありがちなことね」
「王国内でもそれなりに認知されている情報だと思っておりましたけれど、ご存知ありませんでしたの? 世間のことには疎いのですのね」
「悪かったわね、世間知らずで。あたしなんてどうせただの王都育ちってだけの田舎娘よ」
むくれたセリナから、ルチアは隣を歩いていたサリューに話の矛先を向けた。
「サリュー様は、この町の温泉のことはご存知でしたようですね」
「ええ。私自身お酒もお風呂も好きだから、エヴァンザの温泉には一度入ってみたかったの」
楽しそうな調子で言うサリューに、ルチアは意外そうな目を向けた。
「意外ですわね。サリュー様は、遊興がお好きなのですか?」
「母親がそういう遊興好きな人だったから、それがうつっちゃったみたい。意外に見える?」
悪戯っぽく問いかけたサリューの言葉に、ルチアは微笑みを浮かべて頷いた。
「ええ。ですがそれは貴女様の品位を損なうようには見受けられませんわ。その裏の一面すら、貴女様の気品の前では一種の魅力に見えます」
「あんまり持ち上げないでちょうだい。私なんて、ただのお酒好きのものぐさ女よ」
「ご謙遜を。何の魅力も持たない女に、お兄様が親しくなるなどありえませんもの」
サリューに、ルチアは興味と反感が混じったような声で言った。
「やはり、貴女様の方がお兄様には相応しいようですわ。あくまで比較論ですが」
「光栄ね。気に入ってもらえたのなら、私のこともお姉様って呼んでくれてもいいわよ?」
「あまり調子に乗らないでくださいませ。そこまで貴女様を許したわけではありませんわ」
頑なな態度を見せるルチアを、サリューは可愛がるように笑む。
「残念。道理で、随分私達を警戒してるみたいね?」
「無論です。お兄様を他の女に取られるなど、決してあってはいけませんもの。比較論と言ったのもそういう理由です。いかに貴女様が高貴な方であろうと、お兄様は渡しません」
「そう。ふふ、愛されてるわね、ルベールも」
「からかわないでくださいませっ」
子供っぽく反発するルチアに、大人の余裕を見せて笑うサリュー。
警戒心はありつつも親しげな会話の弾む二人を前に、セリナは隣を歩くルベールに疲れた声で話し掛けていた。
「ねえ、ルベール……何であの子、あたしばっかり目の敵にするんだろ。あんたに絡みついてるってことで言うんなら、サリューさんこそ警戒すべきなのに」
「ルチアは気品のある人が好きだからね。その点、サリューさんは警戒されにくいんだろう」
「それ、逆もまた然りってこと?」
「そうだね。でも、ルチアが君を過度に警戒するのは、そのせいだけじゃないと思うよ?」
「へ……」
思わず間抜けな声を漏らしたその時、先を歩くルチアが立ち止まり、振り向いた。
「到着しましたわ。こちらが湯場『カローネ亭』になります」
ルチアの言葉に上を向けば、そこには煙突からほかほかと湯気を上げる煉瓦造りの建物があった。年季の入った建物の風格あるその威容を見上げながら、セリナが呟いた。
「意外ね。あんたが案内するっていうから、もっとハイソな所に来るのかと思った」
「憩いの場である湯場に過度な装飾は必要ありません。それにこの湯場は長きに渡りエヴァンザの人々の疲れを癒してきた由緒正しき名所です。その年季に敬意を払う心さえあれば、古びた建物も誇り高き古城に見えるというものですわ」
またも何やら棘のあるルチアの言葉にムッとするセリナを促すように、ルベールが言った。
「さ、せっかく来たんだから入ろう。僕は先に出て外で待ってるよ。皆はゆっくりしてて」
「あら、いいの? せっかく帰ってきた故郷のお湯なんだから、ゆっくりすればいいのに」
「あんまり長湯できないんですよ。それに、お姫様方を寒い中待たせるのも何ですから。それじゃ、また後で」
さらっとそう言うと、ルベールはさっさと暖簾を潜って中に入って行ってしまった。後に残されたセリナが、ふと益体もなく思ったことを呟いていた。
「あいつ……まさかとは思うけど、覗いたりとかしないわよね」
「お兄様がそんなお猿さんみたいな真似をするはずがないでしょう? あなたと同じ思考にお兄様を当て嵌めないでくださいませ。これだから思慮の浅い女は――――」
セリナに当て付けをするルチアの横で、サリューが何の気もなさげに零した。
「ふぅん。まあ、私はルベールだったら見られてもいいかなぁ。女は見られて綺麗になるって言うし」
「「なッ……⁉」」
絶句する二人の様子をまるで楽しむかのように、サリューは苦笑した。
「冗談冗談。ほら、入りましょ。エヴァンザの温泉かぁ、楽しみだわぁ」
爆弾発言をさらりと流し、サリューも悠々と暖簾を潜っていく。
「あー、その……入ろっか」
「そ、そう、ですわね……せっかくの来客ですし、失礼にならないよう努めますわ」
後に残されたセリナとルチアは、半ば呆然としながら、その後に続いていった。
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