第5章 工業都市エヴァンザ編 第2話(3)
(思ってたよりラブラブだなぁ……あの兄妹は)
ルチアを慰めているはずのルベールを待ちながら、セリナは廊下で深い息を吐いていた。
邸宅の二階を訪れる人はなく、扉の向こうからはもうすすり泣く声もしない。まるで、あの二人の兄妹だけが階の空気を占めているような、濃密な静寂がその空間には満ちていた。
そうして息を吐いた自分の心情を、セリナは問いとして自覚せざるを得なかった。
(あたし……ルベールのこと、どう思ってるんだろ)
今更、変にごまかすつもりはない。ただ、それはセリナの中でもまだ不確かだった。
ルチアにも言った通り、もうルベールは自分にとってただの他人ではない、それは確かだ。仲間達と共に二年も寝食を共にし、同じ旗印の元に共に日々を駆け抜けてきた。その間に、彼との間に何らかの特別な、大切にしたい感情が生まれていたというのも、確かに感じる。ただ、それを何と呼ぶ種類のものなのか、セリナにはうまく言い表せなかった。
単純な恋愛感情ではない。かと言って、ただの仕事仲間のような冷ややかなものでもない。そうした感情が混ざり合っていて、判別しにくい。そういうまどろっこしさがセリナは嫌いで、自分がそんな状態に陥っているとなると尚更だった。
「何なのよ、もう……」
嫌々ながらに呟いていた所に、扉が開き、中からルベールが出てきた。どこか暗い目をしていたルベールは廊下に佇んでいたセリナを見つけると、安心したような笑みを浮かべた。
「セリナ……よかった、待っててくれたんだ。ありがとう」
「ルベール……」
考えていた事が事だけに、セリナはばつの悪い気分になりながら、ルベールに訊いた。
「どうなの、妹ちゃんの具合は?」
「ひとまずは落ち着いてくれたよ。これも君が来てくれたおかげだ。ありがとう」
「別に……あたしは何もしてないわよ。ただ憎まれ口を聞いただけ」
「それでもいいんだ。少しでもルチアが落ち着いてくれたから。君のおかげだ」
いつになく礼を重ねるルベールに、セリナは半ば憮然としながら言った。
「ルチアちゃんから聞いたわよ。あんた達の気にしてる事情のこと」
「そうか……悪かったね。身内の事情に巻き込んじゃって」
こちらを気遣うルベールに、セリナはルチアの時とは異なる疎外感を感じて、言っていた。
「別に気にしてないわよ。ルチアちゃんにも言ったはずだけど、あたしももうあんたと二年は付き合ってんだからさ。今更他人行儀はやめてよね。あたし達、仲間でしょ」
「……そうだね。かえって失礼を働いたか。すまなかった」
「いいから、気にしないで。謝ってばっかりなんてらしくないわよ、ルベール」
「らしくない、か……そうだね。本当に……らしくないな」
そう言って、ルベールは小さく自嘲するように笑って、陰った眼を伏せた。いつになく覇気のないその様子に、セリナは訊いていた。
「あんたさ……何でそんなに弱気になってるの?」
セリナの言葉に、ルベールは重い首を上げて、意外そうにセリナを見た。
「弱気になってるように見えてるかな」
「今はね。よっぽどルチアちゃんのこと気にしてるように見えるわよ」
「そうか……さすがに、ごまかしきれないみたいだな」
空笑を零すルベールに、セリナは問いを重ねた。
「ルチアちゃんのこと、大事なのね」
「たった一人の妹だしね。それに、守ってあげてくれって、母さんにも頼まれたから」
「お母さんに?」
思わぬ方向の話に訊き返したセリナに、ルベールは小さく頷いた。
「ルチアから聞いたと思うけど、僕達の母さんは気の病が元で六年前に亡くなった。僕達は母さんを治すために何もできなくてね。母さんは亡くなって、父さんもルチアも心に深い傷を負った。僕も今でも悔いている。家族のために何もできなかった自分のことを」
自責の念を表情に滲ませるルベールに、セリナは助言するように言った。
「ルチアちゃん、言ってたわよ。あんたは最期までお母さんの傍にいてあげてくれたって。あんたが思っているほど、ルチアちゃんはあんたを恨んだりしてないと思うけどなぁ」
「そうか……だといいんだけどね」
ルベールの纏う重さがわずかに緩む。その間にセリナは気になっていたことを口にした。
「でも、どうしてお母さんの病気はそんなに酷くなったんだろう? 気の病って、命に関わるようなことになったりするのかな?」
セリナのその疑問に、ルベールは「推測でしかないけど」と前置きして話した。
「母さんは魔女の血を引いていてね。そして母さんが病気を発症したのは、七年前の帝国の王都襲撃戦の時期と重なっていた。前から、何も関連がないとは思えなくてね」
「え……ルベールのお母さんって魔女だったの?」
「うん。だから僕達も魔女の血を引いているはずだ。だから、魔女を犠牲にする魔戒計画を止めるための行軍に参加しようとしたのにも、あながち縁がないわけでもなくてね」
そう話して、「話を戻すけど」と、ルベールは話を継いだ。
「僕は知りたかった。母さんが死ななければならなかったその原因を。そして償いたかった。僕が何もできなかったせいでルチアや父さんを悲しませることになったことを。だから五年前、僕はこの町を出た。知るべきことを知るために。為すべきことを、見つけるために」
決然と語っていたルベールは、ふいにその表情からふっとその熱を消した。
「学院や自警団での皆との生活は、僕にとって大きな価値を持つ経験になった。そしてその中で僕なりに行動と学習を重ねて、ルチアや父さんやエヴァンザ、それに自警団の仲間達やこの王国のためにできることを探してきたつもりだった。けど……今になっても僕はまた、ルチアを泣かせてしまう。ルチアが一人で寂しかったってことにすら、ろくに気付けずに。結局、どれだけ勉強しても……僕は、ルチアの笑顔を守ることもできないなんてね」
己の無力を笑うルベールに、セリナは半ば憤然となりながら口を切った。
「あんたがそう思うなら、そうなんでしょうね。それであんたの成長はストップよ」
「セリナ?」
虚を突かれたルベールに一途な目を向け、セリナは質すように問いかけた。
「でも本当にそう? 自分には何もできないなんて本当に思う? ルチアちゃんのために、お父さんのために、あんたはできることを探して、今まで全力で頑張ってきたんでしょ? これまであんたが頑張ってきたことに意味がないなんて、本当に思うの?」
「それは……」
答えを言い淀んだルベールに、セリナは畳みかけるように切なる言葉を重ねる。
「あんたのその頑張りに知らないうちに助けられたり、勇気づけられた人だって必ずいる。あんたが何もできない人間なんて思ってる人は、あんたの周りにはきっといない。少なくとも……あたしはそうは思わない。あんたは誰かの力になれる人間だって、ずっと思ってた」
「セリナ……」
瞠目するルベールの正面に回り、セリナはルベールの肩を掴んで、少し高い彼の目を見た。
「だから、あんたは自分を否定しないで。あんたが過去にお母さんの死で心につらい傷を受けたとしても、あんたはそこから前に進もうとして、皆のために、誰かのために、できることを探して、ここまで必死でやってきたんでしょ。そんなあんたを信じようとしてる人が、あんたの周りにはたくさんいるんだから。だから……あんたは、自分を否定しないで」
一心を言葉にしたセリナに、ルベールは泣き暮れたような眼を上げ、試すように言った。
「それは……君もかい?」
セリナはわずかなためらいを振り捨てて、決然と言った。
「そうよ。あたしだけじゃない。ルチアちゃんも、あんたのお父さんも、クランツもエメリアも団長もサリューさんもゲルマントさんも――皆、あんたに助けられてる。あんたに感謝してる。あんたを信じてる。あんたが信じる道を行くことを、きっと応援してくれる」
そして、ぐいと手をかけてルベールの顔を上げさせ、まっすぐな目でルベールの目を見た。
「だから、そんな目をするのはやめなさい。大事な妹を泣かせるわけにはいかないんでしょ。だったら暗い顔するのはやめて、しゃきっとしなさい。お兄ちゃん」
一心に見つめてくるセリナに、ルベールは参ったとばかりに首を振って笑った。
「はは……まったく、君には敵わないな。君と話してると、下手な言い訳をしようとする自分が情けなく思えてくるよ」
「どういう意味よ、それ」
突っかかるセリナに、ルベールは複雑そうな笑みを返す。
「ありがとう、セリナ。正直、まだ吹っ切れるかどうかは自信がないけれど……君が信じてくれているっていうのなら、僕もなるべく自分を信じられるよう努めてみるよ」
「言い方がいちいちまだるっこしいのよ、あんたは。頑張るよ、でいいでしょ」
ルベールの悪癖を窘めたセリナは、それと、と付け加える。
「別に、無理に吹っ切れろなんて言ってないわよ。あんたにとっては大きなことなんだから、無理して忘れることもないし。あたしはただ、あんたがもうなるべく後悔しない道を行ければそれでいいって思ってるだけだから。無理してあたしの言う通りにしなくたっていいし」
「……そうだね。ありがとう。そうするよ」
「――お兄様」
そこに、小さな声が入り込んできた。声のした方を見ると、開いた扉の陰から、ルチアがこちらを覗うように顔を覗かせている。いつ割り込むかを探っていたような眼をしていた。
ルベールはルチアの方に目を向け、穏やかに笑むと、彼女の方に手を差し出した。
「ルチア。一緒に父さんの所へ戻らないかい? セリナも一緒に来てくれるってさ」
そして、言い含めるような目をセリナに送ってくる。セリナはその周到ぶりに半ば呆れながらも、ルチアの方に目を向け、小さく笑むと、迎えるように手を差し出した。
「来なさいよ。ルベールの隣はあんたに譲ってあげるから」
セリナのその言葉に、ルチアは混じり合う感情に唇を引き結ぶと、
「当然、ですわっ……お兄様の隣を、あなた様などに譲るものですか」
涙の後の震える声でそう言って、扉を離れ、部屋から出てきた。
セリナはルベールに目配せし、二人の手が握り直されるのをその場で見届けたのだった。
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