第5章 工業都市エヴァンザ編 第5話(7)
眼下に広がるエヴァンザの光景が、ゆっくりと雲の向こうに隠れてゆく。
飛空船の外部デッキの手すり越しに、長いこと留守にした故郷と家族から再び離れてゆく光景を眺めていたルベールは、自分を見つめる気配に気づいて背後を振り向いた。
「僕が感傷に浸るのは、らしくないですか?」
「別に。誰もそんなこと言ってないじゃない」
ぶっきらぼうに言って、セリナはルベールの隣に並び、雲の向こうに離れていくエヴァンザの街を見やる。二人が並んで立つその様子を、サリューが微笑みながら見守っていた。
「それに、五年も留守にしてた故郷をまた出るなんてなったら、情くらい移るでしょ。あんたが家族をとっても大事にしてるのはわかったし……なんか、わかるよ。その気持ち」
セリナのその言葉が、『家族を大事にしたい』という大切な気持ちの共感であったことを感じ取ったルベールは、大きな安心感を得ながら彼女に答えを返した。
「そうか……ありがとうセリナ。君はやっぱり優しいんだね」
「それ、あたしの前であんなの見せた後でよく言えたわね」
「あんなの?」「あら、何のことかしら?」
「別に。覚えてないならいいわよ、この色ボケ二人組め」
二人して天然ボケを決め込むのにセリナがむくれてぷいとそっぽを向く。それを困ったような笑みを浮かべて見ていたルベールの様子を見ていたサリューが、ふいに訊いた。
「お父様の話、やっぱり気になる?」
サリューの真面目な問いかけに、ルベールは自らの内にあった思いを整理する。
「そうですね……予想していたとはいえ、父も予断を許さない状況に置かれることにはなると思います。気にならないと言えば、嘘になりますね」
ルベールの答える声を聞いたサリューは、安心したように言った。
「けど、あまり悩んでるようには見えないわね?」
「今は今、やれることをやるしかない……改めて、それを痛感させられましたから」
そう言いながら視線を向けてきたルベールに、横のセリナは意趣返しのように言った。
「しっかし、今回は本当にらしくなかったわよね、あんた」
「そうね。それだけこの町への思い入れが強かったってことでしょうね」
「はは……言い返せませんね。本当に、ご迷惑をおかけしました」
「別にいいけどさ。こっから先はちゃんとしてよね。まだ旅業は続くんだから」
呆れたように溜め息を一つ吐くと、セリナは試すような目でルベールを見据えた。
「で……答えは見えたの?」
核心を突くセリナの問いに、ルベールは小さく目を閉じて開くと、それに答えた。
「正直、これから先のことをいろいろと考えると、はっきりとした見通しはつかない。けど……やらなきゃいけないことは、少しは明らかになった気がするよ」
決意を語るその目からは迷いが晴れ、元の澄んだ光を取り戻していた。
「僕はもう、ルチアを泣かせるわけにはいかない。そして、父さんや公社、エヴァンザの町、王国、そして何より僕を支えてくれるたくさんの人達を、僕は失わせるわけにはいかない。この先何をすることになろうとも、僕はそのために僕のやるべきことをやるだけだ」
決然と言ったルベールを喜ばしい目で眺めながら、サリューが問うように言った。
「立派な覚悟だと思うけれど、そんなに多くのものを一人で抱え込めるかしら?」
「たぶん、無理だと思います。僕は何事にも全力を尽くすつもりですが、それでも僕一人でできることなんて、たかが知れてる。だから、これから先もいろいろな人の力を借りていくことになると思います。僕に力を貸してくれる人達のことを、僕は信じたい」
そう言って、ルベールは「セリナ、サリューさん」と、二人の仲間に呼びかけた。
「僕はこの先も、守るべきもののためにできることを探し続けていきたいと思います。いろいろな厄介事も引き連れていくことになるかもしれないけれど……よければ、これからも力を貸してもらえますか?」
弱気な笑みを見せたルベールは、脳天にセリナの拳骨と、突き刺すような激励を貰った。
「何よ今さら。あたし達、仲間でしょ。この天然タラシ」
「セリナ……」
迷いのないセリナの言葉と、真っすぐに注がれる眼差しに呆然となるルベール。その様を眺めていたサリューが、彼の内にわだかまっていた懊悩を濯ぐように笑った。
「ふふ、これじゃ、この先セリナには頭が上がらないわね。ルベール」
心の澱みを穏やかに笑い飛ばすその笑みに、ルベールは吹っ切れたように笑った。
「そうですね……尻に敷かれても仕方がなさそうです」
「だからあんなの見せておいて今更そんなこと言う二人とも⁉」
唸るセリナを前に、ルベールは迷いを拭い去った瞳を、二人の仲間に向けた。
「ありがとう、セリナ、サリューさん。これから先も、よろしくお願いします」
それは、一人で戦い続けようとしていた彼が、仲間達に心を開いた証だった。
「それを言うのに回り道しすぎだってのよ、まったく……よろしくね、こっからも」
「いいじゃない、ここまで来れたんだから。こちらこそ、これから先も頼りにしてるわよ、ルベール」
信頼を示すその言葉に、セリナは半ば憮然と、サリューは悠然と、信頼の笑みを返した。
ルベールはその信頼に、逃げることなく笑みを浮かべて頷きを返した。
「さてと……私は席に戻ろうかしら。次の町でも忙しくなりそうだし、少し休んでおくわ」
それを見届けたサリューが満足そうに笑むと、ひらりと身を翻した。その背中に、不審なものを覚えたセリナが訝しげな目を向ける中、ルベールの声が飛ぶ。
「サリューさん……大丈夫ですか?」
「その言葉、そっくりそのまま返しておくわ。あなたこそ、あまり無理はしないようにね。頑張るのもいいけど、あんまり身を削るといろんな人が心配するわよ。私も含めて、ね」
その言葉と共に振り返ったサリューの視線が自分に向けられたのに、セリナは勘付いた。
「それじゃあね。外は寒いし、体は大事にしなさいよ。お二人さん」
思わせぶりな視線と言葉を残して、サリューは颯爽と船内に去って行った。
(もう……この状況で二人きりにさせるなんて、何考えてんのよ……サリューさんのバカ)
その背中を複雑な心境で見送ったセリナの隣で、ルベールがふと参ったように呟いた。
「まったく……サリューさんも人が悪い。これじゃあ完全に僕が悪者じゃないか」
「……へ?」
ルベールの呟いたその言葉に、一瞬、セリナの頭が真っ白になった。
次の瞬間、セリナは胸の内に弾けた想いを自覚しながら、恐る恐る隣を見た。
隣ではルベールが、珍しいくらいに困ったような顔で、視線を逸らしながら笑っていた。
「セリナ……その、ごめん。君がいる前であんなふうに言って。迷惑だったよね」
「あんた自覚あったのね……」
歯切れの悪いルベールの言葉に、セリナはこれ見よがしにむくれてみせた。
「別に。現にあんた達もうラブラブでしょーが。今更どんな言い訳しようってのよ」
「はは……まあ、そうだね。じゃあ、言い訳じゃない話をしようか」
その言葉に降参したように返すと、ルベールの表情が真面目なものに切り替わった。
「改めて言うのも何だけど……セリナ。今回は君がいてくれて、本当によかった。僕一人だったら、最後まで諦めずに戦えたか、正直わからない。君が何度も励ましてくれたおかげだ」
真っすぐに思いを示すルベールの言葉に、セリナは不貞腐れるように口を尖らせる。
「別に……一人じゃなければってんなら、サリューさんやルチアちゃんだって……」
だがその天邪鬼を、続けたルベールの確信を秘めた言葉が、完全に持って行った。
「いや。誰よりも僕を傍で助けてくれたのは君だよ。ありがとう、セリナ」
「あ……」
その言葉に心の隙を見せてしまったセリナに、ルベールは畳みかけるように言う。
「さっきも言ったけど、僕はこの先も一人じゃダメだと思う。今度の件でエヴァンザに帰ってきて、それを痛感した。僕には頼れる仲間が必要だ。共に生きて、笑い合って、どんな困難にも一緒に挑んでいける、かけがえのない仲間が」
そして、真っすぐにその瞳を見据え、その心を射抜くように、セリナに一言で告げた。
「勝手かもしれないけど……君さえよければ、この先も力になってくれたら、僕は嬉しい」
「ルベール……」
その言葉を遮断しようとしたセリナの心に、電撃のようにある思考が駆け巡った。
いつも身内をからかい、女を手玉に取るようなお調子者ではあるが、彼がこんなふうに、『誰かを必要としている』という気持ちを、その誰かの前で口にしたことが、これまでにあったろうか。少なくとも、セリナの記憶の内には見当たらなかった。
軽い調子の裏で、誰にも頼ろうとしてこなかった彼。
その彼が、心から信頼できる相手として、自分を選んでくれたということならば。
しばらく、無言の内に風が流れた後、セリナがぽつりと呟いた。
「……何で」
「ん?」
「何で、あたしなのか……理由、訊いてもいい?」
降参したようなセリナの最後の抵抗に、ルベールは自然な笑顔で言った。
「君と一緒だと、誰よりも楽しいし、自然でいられる気がするんだ。それじゃ、ダメかな?」
簡潔すぎるその言葉に、セリナは涙目になりながら、少し背の高いルベールを見上げた。
そんなふうにしか言われなかったら、否定のしようがない。全く以てズルい。
「こっの……だからあんたは天然タラシなんて言われるのよバカーッ!」
そして、胸の内に湧き上がる熱い感情をぶつけるように、ルベールにぶち当たった。
(絶対これを見越してたってわけね……サリューさんのバカ!)
見えない所でサリューがほくそ笑んでいるのが、セリナには垣間見えた気がした。
そうして、半泣きの自分にどつかれているルベールの困ったように笑う顔を見ながら、
(でも……悪い気は、しないかも。あたし、こいつのこと……嫌いじゃないし)
そう、セリナは胸の温まる気持ちを感じながら、小さく密かに笑んでいた。
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