エピローグ
第5章 工業都市エヴァンザ編 エピローグ
グランヴァルト聖王国・王都ブライトハイト・王城の一室にて。
黄金色の陽光が差し込む部屋の中で読書に耽っていた一人の老人が、分厚いぼろぼろの厚革の表紙を閉じて膝に置き、静かに深い息をした。一つの歴史を潜り抜けてきた者のそれは、長旅を終えた旅人のそれに似ていた。
老人――聖王国宰相ベリアル・クロイツの瞳に、光が宿る。老年を迎えてなお覇気の衰えないその瞳は、若さの潤いを失った代わりに、乾いた炎のような光を刻むようになった。
一人、夕暮れの光が差し込むだけの乾いた部屋の空気に、ノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼します」
礼と共に扉が開き、軍服に身を包んだ、凛とした容姿の青年が姿を現す。ベリアルは視線をそちらに向けもせず、ただ瞑目していた目を開いただけだった。
「また、読破されたようですね」
「己の原風景というのは何度巡っても良いものだ。常に初心を思い出させてくれる」
青年――宰相秘書クレス・アークヴェルトの細かな気付きに、ベリアルは深みを帯びた声で答えると、一転、厳粛さを取り戻した眼をクレスに向けた。
「《鷹》の動きは、どうだ」
「は、どうやら成功したようです。ですが、これであの魔女の方も動きを見せてくるかと」
「そうか」
クレスの返答に一言だけで返すと、ベリアルは続けてクレスに思い出したように訊いた。
「レヴィンは、何か言っていたか」
「は……『コーバッツの跡取りは、敵にするのが惜しい』と」
「そうか……敵にするのが惜しいか。さぞや優秀な人材だったのだろうな……」
その報告を聞いたベリアルは、くく、と忍び笑いを漏らした。
「ベリアル様……?」
不審に思ったクレスの心の内を読むように、ベリアルが口を開いた。
「クレスよ。前にした話を憶えているか。正義の証明のためには、《敵》が必要だと」
「は……憶えております」
「《敵》の存在とその障害化は、そのまま正義の証明への正しい順序なのだ。私の《計画》は多少の誤差も含め、概ね思惑通りに動いている。喜ばしいことよ」
言って、ベリアルは枯れた色の右の掌を、運命でも手の内に入れているかのように見た。
「徐々に《敵》も私も成長しつつある……機は熟してきたようだ。面白くなってきたな」
策を巡らせて楽しんでいるベリアルに、クレスは無理と知りながら諫言を挟もうとした。
「しかし、予期せぬ不安材料もあります。FSPSの遊撃員が流れ込んだという情報も――」
「案ずるな。既に先は見えている。後はこの未来がひっくり返されるのを待つだけよ」
そう言って枯れた色の掌を握り込むと、ベリアルは温度のない声で、クレスに言った。
「クレス。次の指示だ。彼らが合流する次の町に《蛇》を送れ」
瞬間、その指示を受けたクレスが、全身に緊張を走らせた。
「は……しかし、次の彼らの合流地点は……」
「わかっておるよ。わかった上での指示だ。聖地に《狼》を送るのは野趣が過ぎるのでな」
異論の余地を挟まないベリアルのその言葉に、クレスの表情が緊張に強張った。
次の目的地に、《蛇》を送る――それが示すのは。
「いよいよ、本格的に《最終段階》に入るということですね」
「ああ。機は熟しつつある。そろそろこちらも動く時だろう。乗り遅れるわけにはいかん」
そして、椅子の背に凭れたまま、クレスに目を向けずに言った。
「部隊の潜伏の都合もあるだろう。早急に指示を出せ。これ以上は繰り返さん」
「畏まりました」
緊張した表情のクレスが部屋を出るのを見送ったベリアルは、左手の人差し指に嵌めた、透き通った水晶の指輪を眺め、そこにいる誰かに語りかけるように呟いた。
「しかし、先が読めるというのは存外に退屈なものだな……のう、旧き友よ」
ややの無言の後、ベリアルは突如、話の合いの手のように愉快そうに笑った。
「ほう、そういうものか……それはそれは、面白いことを聞いた」
そして、手にした本を閉じて机に置くと、緩慢な動きで椅子を立ち、窓へと歩み寄った。部屋の壁ほどに広がる大窓からは、城壁の屋根越しに、暮れゆく陽の光が差し込んでくる。潤いを失い乾いた琥珀色の瞳にその光を砂金のように吸い込みながら、
「いいぞ……そのまま歩み続けるがいい、迷い子どもよ。我が悲願は、お前達の旅路の果てに成されるのだ……楽しみに待っているぞ、いずれ運命の導きの元に
老将ベリアル・クロイツは、悪鬼のようにしわがれた、凶悦に満ちた笑いを漏らした。
その獰猛な獣のような笑い声を、彼の策謀の果てにあるものを、誰も知るものはなかった。
夕暮れに向かう王都の青い夏空は、天輪のような黄金の光を、無限の地平線に広げていた。
革命のクラウディア 第五章 了
革命のクラウディア -Klaudia die Revolutionar- 分岐:ルベール編 青海イクス @aoumi
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