第3話

第5章 工業都市エヴァンザ編 第3話(1)

 エヴァンザ滞在2日目、ルベールの家の客室にて。

「ん……ん~、ッ…………!」

 窓から差し込む朝の陽ざしにむずかりながら、セリナは上物のベッドから身を起こした。そのまま朝の光を全身に浴びるように大きく伸びをして、気怠い眠気を一気に吹き飛ばす。

「はぁ~、よく寝たぁ……」

 快活な睡眠からの目覚めの気分と共に、セリナは昨日と今日のことを思い出す。

 エヴァンザに到着した昨日、アルベルト公からの依頼の一件はルベールの父親にしてこのエヴァンザの町の有権者ルグルセン氏に問題なく同意を得ることができた。町全体の総意の判断のため、町の代表者会議である市議にかけるとルベールからは聞いたが、それさえ通ることができれば魔戒計画阻止計画におけるこの町での任務は成功だ。

 そこまで考えて、セリナはふと胸の内に小さな疑念が生まれるのを感じた。

(なーんか、うまくいきすぎな気がするんだよねぇ……本当にこのまま終わるのかな)

 胸の内にふと浮かんだその疑念は、単にこの町でのことに限らない。アルベルト公の依頼を受けてからここまでに訪れた二つの都市――農業都市ローエンツ、商業都市ハーメスでの出来事も振り返った上で、改めて生じた疑念だった。

 いずれの町で起こった出来事を振り返るにしても、嵐の前の静けさという感が拭えない。ローエンツにしてもハーメスにしても、自分達は主に《十二使徒》達によって町を巻き込む規模での妨害を仕掛けられた。自分達の所在や行動が察知されていると考えるのが自然な以上、この町でも何も起こらないとは限らない。

(そりゃ、何も起こらないに越したことはないんだけどさ……)

 見通しのつかない状況に愚痴るように、セリナは小さく陰鬱な溜め息を吐き出す。

 鍵になるのは、毎回何かしらの形で妨害を仕掛けてくる《十二使徒》達の動向だろう。彼らが毎回何を目的にし、どのような行動に及ぶか、この所ますます予想がつかなくなっている。こちらがどう動けば良いのかという判断にも関わる以上、彼らの動向に不明な点があるのを気に掛けるクラウディア団長の気持ちが、少しだけわかったような気がした。

 それらを考えた上で、セリナはぐっと気持ちを引き締めるだけにした。

 アルベルト公の案件を任されている以前に、自分は王国の人々を守る自警団の人間だ。どんな状況が訪れようと、町の人々を、そして仲間を守る、やることはそれに変わりはない。ならば難しいことを考えるより、どんな状況にもすぐに動けるようにする。ルベールやサリューのように頭が良くない分、足でカバーする。それがセリナのやり方だった。

(何が起きるかわからないなら、何が起きてもいいようにしっかりしとかないと)

 気合と共にセリナが頬を張って活を入れた所に、部屋のドアが軽く二回ノックされた。

「セリナ、起きてる?」

「ルベール?」

 扉の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた青年の声だった。

「どうしたの?」

「父さんが市議から帰って来たんだ。その報告を聞くついでに一緒に朝食でもと思って。ルチアとサリューさんはもう起きて待ってるよ。来れそうかな?」

「嘘、あたし一番最後? わかった、待ってて! すぐ出るから! 覗くんじゃないわよ!」

 ルベールに一応釘を刺すと、セリナは慌ただしく一日を始める支度を始めた。


 急いで服を着替えて作業用道具の入ったレザーポーチを腰に巻きドアを開けると、いつもと同じ涼しい顔でルベールが立っていた。

「お待たせ。悪いわね、待たせちゃって」

「気にするほどじゃないさ。おはよう、セリナ。それじゃあ行こうか。食卓まで案内するよ」

 ルベールの言葉に頷きを返し、セリナは彼の後ろに続いて邸内の廊下を歩く。時折すれ違う黒い執事服やクラシカルなメイドドレスに身を包んだ執事や侍女に頭を下げられるのを横目に眺めながら、セリナは半ば恨めしげに呟いた。

「なーんていうか、あんたも結構な王子様だったのね。全然知らなかったわ」

「はは、改めて言われると恥ずかしいな。でも知らなくても別に不都合もなかっただろう?」

 平然と弁明してみせるルベールに、セリナはそれこそ不服とばかりに返した。

「そういう言い方が気に入らないの。あんたが自分の身分をあたしに話してくれてなかったのは事実でしょ。仲間なんだから話してくれてたって別にいいじゃない。そういう、あたしを蚊帳の外に置くみたいな言い方しないでよ」

 セリナの言葉に、ルベールは思いのほか当惑したような笑みを見せた。

「そうだね、ごめん。君の気持ちを考えない失言だった。許してくれ」

「別にそこまで気にしなくてもいいけどさ。何で話してくれなかったの?」

 セリナの問いに、ルベールはわずかにいつもの調子を取り戻して言った。

「取り立てて話す機会もなかったからさ。けど、ここにいる間はいい機会みたいだ。ここにいる間に、好きなだけ僕のことについて調べてくれていい。といっても、特に掘り下げて何が出てくるような人間でもないけどね」

「絶対謙遜でしょ、それ。まあ、無闇に掘り下げる気も無いけどさ」

 流すように言いながら、セリナは胸の内がほのかに熱くなったのを感じていた。

 自分の知らないルベールの秘密に興味があるのを、自覚したのだ。

(何考えてんだろ、あたし……別に、まあ、興味がないわけじゃないけど……)

 セリナが胸の内に煩悶とした思いを生じさせている間に、ルベールは大きな臙脂色の扉の前で足を止めていた。

「ここだ。さ、入ろう。皆待ってるよ」

「あ……うん」

 セリナの頷きを受けてルベールがおもむろに扉を開けると、明るい大窓から差し込む朝の光に温められた赤い絨毯の敷かれた大広間のような食卓に、サリュー、ルチア、ルグルセンの三人が席について待っていた。そのうちの一人、湯気を立てるティーカップを口にしていたサリューが二人に気づくと、待ちかねていたようにセリナに声をかけた。

「おはよう、セリナお嬢様。王子様のエスコート付でご登場ね」

「ルチアちゃんのいる前でそういうこと言うって絶対確信犯ですよね、サリューさん」

 早くも恨めしげな目をサリューに向けるセリナに、ルチアが続けて声をかけてきた。

「遅いですわよ、セリナ様。お兄様に些末な時間を取らせるなんて、極刑ものですわ」

「悪かったってば。ってか……あんた今、あたしのこと」

 今更のようにそれに気づいたセリナに、ルチアはふん、と照れ隠しのように鼻を鳴らした。

「私があなた様をどう呼びならわそうが勝手でしょう。いいから早く席に着いてくださいませ。貴重な朝の卵とスープが冷めてしまいますわ」

「はいはい。朝でも相変わらずなのねえ、あんたは」

 ルチアの明け透けな態度にむしろ微笑ましいものを覚えながら、セリナは席に着いた。

「全員揃ったようだね。それでは、食べようか」

 ルグルセンのその一言に、それぞれに「いただきます」をして、朝食が始まった。手に取ると温かくふわふわとした感触のパンに、湯気を立てる琥珀色の温かいスープ、そして照り映えるようなつやつやとした色の目玉焼き。

(いいもの食べてるわね……ホントに王子様みたい)

 素材の滋味の効いたスープを味わったセリナがそう思いながら何の気なしに視線を向けたルベールが、ルグルセンに向かっておもむろに口を開いた。

「父さん、今日の予定は?」

 ルベールの問いに、ルグルセンは湯気を立てるコーヒーカップを手に持ちながら答えた。

「お前達の持ってきた件について、市議で討議する予定だ。どのような展開になるのか想像もつかんが、何の衝突もなく丸く収まるということはないだろう。おそらく今日はその一件にかかりきりになるだろうな」

「そうだね……今更だけれど、ごめん。大変な役目を任せてしまって」

「謝るな。お前の持ってきた話を受領したのは私自身の意志だ。これは今や私自身の扱う問題でもある。私は私の仕事をするというだけだ。お前が気に病む必要はない」

 それに、と、ルグルセンはカップを持ったまま、ルベールに対し諭すように言った。

「お前が自身の信念の元に行ったことなら、誰にも臆することなく堂々としていろ。それがお前の信じる正義に対する敬意というものだろう」

 そして、コーヒーを一口飲むと、明朗な笑みを浮かべてルベールを見た。

「私達は、お前が家を飛び出してまで探し続けた、お前の信じる道を信じている。だから、詫びるくらいならその分、お前が前に進むためにできることを探せ。その方が私やルチアも安心して仕事に励める。そうじゃないか、ルチア?」

「お父様、私の言いたいことを全部先取りなさらないでくださいませ。そこまで先に言われては、ルチアが言えることが何もないではありませんか」

 不満げに憮然とするルチアに、ルグルセンとルベールが揃って笑う。そうして笑われたルチアも、すぐに硬い表情を崩して、二人に馴染むように明るく笑っていた。

 その時の家族三人の笑顔は皆、眩しいほどに明るく輝いていた。ルベールのその時の笑顔は、飛行船の中で見た暗鬱な表情の対照にあったもののようにセリナには見えていた。

 いい家族だな、とセリナは思う。同時に、だからこそそれがルベールの心に重荷となっていたのだろうということも。それを思ったセリナは、ルベールの身上に同調するのを感じた。

 何よりも大事だからこそ、時としてその存在は悩みの元にもなる。大事な家族を持つセリナにもそれはわかった。大事だからこそ生まれるその悩みは、必要なものだということも。

 自分はルベールのために自分ができることをするだけだ、とルグルセンは言っていた。

(今、ルベールのためにあたしにできることって、何があるんだろ)

 セリナがそんなことをふと思っていた所に、ふいにルグルセンの声が聞こえてきた。

「ルチア、今日はお前に学園までの護衛を付けようと思う」

「護衛? なぜですの?」

 小首を傾げてみせたルチアに、ルグルセンは思いのほか真剣な表情で言った。

「おそらく今日討議する議題は、この町の勢力間の緊張状態を大きく高めるものになる。万が一、コーバッツ公社の身内でもあるお前に危険が及ばないとも限らない。念のためだ」

「心配しすぎ……ということもありませんわね。けれど私、もう出ますわよ?」

 承諾と共に出立の意を示すルチア。そこに、サリューがふいに口を挟んだ。

「だったらセリナが付いて行ってあげればいいんじゃないかしら。すぐ出られるでしょ?」

「「なッ……⁉」」

 あまりに唐突な話の持って行き方に、セリナとルチアが同時に声を上げた。だがしかしサリューはそれにも微塵も動じず、話を進める。

「そんなに変な話でもないでしょう。ルグルセンさんの心配ももっとも。有事における民間人の護衛、自警団員としての仕事よ。率先して動かないわけにはいかないでしょ」

「それは、そうですけど……なんであたしなんですか?」

「ルベールは同行できるかもしれないけど、私はルグルセンさんと市議から帰ってきたら少し話したいことがあるから。セリナが一番手が塞がってないでしょう?」

「う……」

 反論の余地をなくし言葉に詰まるセリナに、サリューは畳みかけるように勧めてきた。

「別に、ルチアちゃんと一緒にいたくないわけでもないんでしょ。エヴァンザの街歩きもできるでしょうし、悪い話じゃないと思うわよ?」

「う~……」

 セリナは救援を頼むように、ルベールに視線を向ける。そのルベールが、申し訳なさそうに言った。

「セリナ、任せてもいいかな。僕もちょっと、父さん達と話しておきたい事があるんだ」

 その言葉の裏に秘められていたルベールのある意志を、セリナは感じ取った気がした。

 この町に入る前、飛行船の中で見せていた、遠く彼方を眺めていたあの時の眼差しの色が蘇る。彼がその時の思いに対峙しようとしているのを、セリナは察した。

「そんなぁ……お兄様、ルチアの傍にいてくれませんの?」

「話が終わったら合流しに行くよ。そんなに時間はかからないからさ。それまではセリナに付いてもらっていて。大丈夫、彼女も僕と同じ自警団員だ。実力は折り紙付きさ」

「そういう話じゃないんですよぅ……」

「(あたしもそうだけどね……)」

 駄々をこねるルチアを前に、セリナは早々と腹を括って、席を立った。

「あーもう……わかったわよ。ほらさっさと行くわよルチアちゃん」

「私に指図をしないでくださいませ。あなた様こそ遅れたら承知しませんわよ」

 睨み合いつつも互いに席を立つ二人。その間、ルベールはセリナと視線を交わした。

 こちらを気遣うようなルベールの申し訳なさげな視線に、セリナは小さく息を吐いた。

(何ていうか……試されてるわね、色々と)

 そして、これは自警団員としての仕事だと、自分に言い聞かせたのだった。

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