第5章 工業都市エヴァンザ編 第3話(6)
その後、セリナを連れてコーバッツ公社に戻ったルベールは、セリナと共に社長室に向かい、市議から戻っていたルグルセンとサリューに、率先して事の経緯を報告した。
報告を受けたルグルセンとサリューは共に、同じような慨嘆の息を吐いた。
「なるほど……何らかの勢力の干渉が行われると思って手を打ったつもりだったが……」
「そうね……それにしても、まさか、ルチアちゃんを狙ってくるなんて……」
ルベールにとっては案の定というべきか、二人ともルチアが攫われたことの意味を、自分達が関わろうとしている案件との関連性を正確に認識していた。
「…………」
二人が状況を整理する言葉を交わしている間、ルベールは唇を噛みしめながら、どうにか俯こうとするのを堪えていた。その視線にも表情にも、明らかな焦燥が見えた。
「ルベール……」
気遣う声をかけようとしたセリナの視線に気づいたルベールは、彼女を心配させまいと努めるように、力なく笑ってみせた。
「皮肉だな。こんな時になって、団長が攫われた時のクランツの気持ちがわかるなんてね。あの時彼を諭していた僕が、彼と同じ気持ちを味わうなんて……本当に、皮肉だ」
憔悴を隠し切れていないルベールの悲痛な笑顔に、セリナは言葉をかけることができなかった。サリューがそんな二人の様子を見る中、そのまま放っておけば停滞しそうなルベールの意識を動かそうとするように、ルグルセンが言った。
「市議の代表者達には、まだこの事を知らせることはしない。計画の発起人たる我が社に専念できない事情があると知られれば、誰もこの話に乗ろうとはせんだろうからな」
「だろうね。けど、だとすると……」
ルグルセンの言葉に、ルベールは重い頭をどうにか動かし、状況を分析しようとする。
身内であるルチアが誘拐されたとなれば、コーバッツ公社が持ち込んだ計画に専念できる状態ではないと見られかねない。そうなれば、アルベルト公の持ち込んだ計画草案は厄介事を抱え込むだけの案件となり、市議の同意を得るのは難しくなるだろう。
だとすると、ルチアを誘拐した者の目論見はやはりそこにあるのだろうか。そうであるならば、それを行おうとするのはどの勢力か。そして、この状況に際し、自分達はどのように行動すべきか。
(考えろ……いったいどこの誰が、何の目的でこんなことを……?)
ルベールは冷静に思考しようとする。いったい誰が何の目的でルチアを誘拐させたのか。
普通に考えるなら、まず自分達の敵対勢力ということになる。すなわち、自分達が任されているアルベルト公の魔戒計画阻止作戦の妨害だ。となると、下手人は魔戒計画進行に関与する勢力、すなわち十二使徒、またはベリアル宰相の手の者ということになる。
だが普通に考えれば、彼らがルチアを誘拐することでこの地に生じる影響は、ルグルセンの話した通り、計画に関与することへの警戒心を高める程度だ。魔戒計画とその阻止計画、双方への関与をエヴァンザ市議に躊躇させるそれは確かにアルベルト公の計画の進行を遅らせることにはなるが、同時にベリアル宰相や十二使徒達の関与する計画を何ら進行させることにもならない。ましてや、実質上市長と同位の立場にあるコーバッツ公社に警戒を強めさせることは彼らの計画に対するエヴァンザ地域全体の警戒心を高めることになり、彼らにとってすらリスクになり得る。そう考えると、ルチアを誘拐することとのリスクとメリットがどう考えても釣り合わない。単なる遅滞策にしては下策過ぎるように思える。
ベリアル宰相程の策士がそのリスクを予期していないはずはない。となると下手人は十二使徒側の単独行動ということになるが、霊場に類するものは何もないこのエヴァンザの地で彼らがルチアを誘拐することのメリットには全く想像がつかない。ましてや先述のような状況からすれば、十二使徒達の側にすら不都合な効果を生みかねない行動だ。
そう考えると、ベリアル宰相や十二使徒達がこのような行動に率直に及ぶとも考えにくい。しかし、自分達と利害関係を持たない他の勢力がこのような行動を取るはずもない。
(わからない……いったい誰が、何の目的で、ルチアを……?)
王都自警団がアルベルト公からの依頼をエヴァンザ市議に持ち込んでいるこの状況で、ルチアを誘拐して、何らかの確実なメリットが発生する勢力・個人、その状況は……?
(考えろ……考えるんだ。何か、必ずどこかに辻褄が……)
焼き切れそうなほどに思考を回転させ、事の辻褄を探ろうと瞑目しかけるルベールに、セリナが恐る恐る声をかけてきた。
「ねえ、ルベール……何、考え込んでるのよ?」
「何って……ルチアを誘拐した相手の素性と目的の特定に決まってるじゃないか」
当然のように返したルベールに、セリナもまた当然のような態度で返した。
「それ、ここで考え込んでるより、ルチアちゃんを探しに行った方が早くない?」
「な……」
それは、状況の把握を最優先しようとしていたルベールには思いつかなかった考えだった。それでもなお思考による帰結の存在を求めようとする悪い癖が、ルベールを停滞させようとする。
「いや……だとしても、相手の素性や目的もわからないまま行動に移るのは危険だ。ただでさえ僕達はこの町でも敵を作りかねない立場にあるし、何かの罠の可能性も存分にある。何の策もないまま無闇に動くのは……」
「でも、あんたがそうやって考え込んでる間にルチアちゃんに何かあったらどうすんのよ。相手の素性や理由なんて、ルチアちゃんを助けた後でもわかればいいでしょ。第一、もしも罠だったとしても、あんたはルチアちゃんを助けに行かないつもりじゃないでしょ?」
「それは……勿論だけど」
そんなルベールに対し、セリナは毅然とした態度で、行動を促すべく語りかけた。
「あたしが言えることでもないけどさ……ルチアちゃん、きっとあんたが助けに来てくれるのを待ってるはずよ。ルチアちゃんが大事なら、考える間のことなんて考えないで、すぐに行ってあげないと。今、ルチアちゃんを助けに行けるのは、あんただけなんだから」
「…………!」
セリナの真っすぐな言葉に、ルベールは胸に満ちる靄を掃われたような思いを感じた。
停滞しようとしていたルベールを動かそうとするセリナの言葉を、サリューが継いだ。
「らしくないわね、ルベール。ルチアちゃんが心配なのはわかるけれど、熱くなりすぎよ」
「熱く……そんな、僕はただ、どう行動すればいいかを考えていただけで……」
「冷静になろうとすることに熱くなりすぎてたでしょ。セリナの言う通り、ルチアちゃんを助けようとするのなら、まずは理屈付けよりも状況に沿った迅速な行動よ。普段の冷静なあなたならこんな簡単な判断を誤ることもないはずなのにね。らしくないわよ、ルベール」
「ッ……」
ぐうの音も出ない指摘に俯くルベールをせっつくように、サリューは言葉をかける。
「ここで行動を渋っていても、状況はたぶん悪化していくだけ。何より、大事な妹ちゃんが攫われたのに、何もしないわけにはいかないでしょ、ルベールお兄ちゃん?」
「…………」
セリナとサリュー、双方からの指摘を受けたルベールの頭が、わずかに熱から冷める。
二人の言葉に冷まされたルベールのその頭に、一つの閃きが生まれた。
(そうか……もし、この混乱するような状況を生むこと自体が、目的だったとしたら……?)
ルチアを誘拐することにより生じるのは、エヴァンザ市議の警戒心を高めるというおよそメリットに釣り合わないリスクだ。しかしもしも、そうしたリスクやメリットとは別の所に、ルチアを誘拐した下手人の勢力の行動の意図があるとしたら。
混乱を拓いた閃きと共に冴え始めた頭で、ルベールはさらに思考を進める。
ハーメスまでの一件で、十二使徒達の行動には一種の疑問点が持ち上がっていた。すなわち、彼らが単なる敵対分子とは捉えられないという考えが。もしも相手方の勢力がそれを見越していて、今回何らかの形でその認識を再び撹乱しようとしているとしたら。
《さて、君に問題だ。君達に関わる必要のないはずの十二使徒が、コーバッツ公社のご令嬢の身柄を預かり、その兄である君を焚き付ける……これは、何を意味しているんだろうね?》
十二使徒の去り際に残した言葉が、赤熱するルベールの思惟にカチリと嵌った。彼の残したいくつかの言動から導き出される、あまりにも荒唐無稽な彼の行動の意図、それは。
「僕を……試しているっていうのか……?」
導き出された帰結に、ルベールはかつてない憤激と共に、頭が氷に触れたように冷えるのを感じた。そして、激熱ゆえに冷え切った頭で、セリナとサリューに呼びかけた。
「セリナ、サリューさん。僕はルチアを取り戻しに行きます。協力してくれますか」
突然の発意に驚いたセリナを横に、サリューが訊いた。
「何か、わかったのね?」
サリューの問いかけに、ルベールは頷いた。
「ルチアを誘拐したのは十二使徒です。それに間違いはありません。そしてその目的はおそらく、僕達の計画を妨害することでも、彼らの関与する計画を進行させるためでもない」
「へ……じゃあ、何のために?」
セリナの追問に、ルベールは苦渋の表情を浮かべながら、自らの導き出した帰結を語った。
「おそらく、目的は彼らに対する僕達の認識を向け変えることだと思います。彼らはここまでの会敵で僕達を本気で始末しようとしてこなかった。それは僕達と敵対する印象を持たせるべき彼らには失策であったはずです。だから今回ルチアを……僕の妹を誘拐することで、彼らが再び僕達の敵であることを示し直そうとしているのではないかと」
「何よ、それ……そんな理由でルチアちゃんを?」
憤激するセリナの隣で、サリューは重ねて確認するようにルベールに問いかける。
「それが、あなたが導き出した結論なのね?」
「かなり無理な推論なのは否定できませんが、僕達と直接利害関係を持つ勢力でこんなことをやる理由があるとしたら、これくらいしか考えられません。少なくとも、ベリアル宰相の側にはルチアを誘拐するリスクに見合ったメリットの取れない行動をする理由がない。今この状況でルチアを誘拐することに何らかの意図があるとしたら、それはおそらく僕達の計画に直接作用するものではない、埒外のものだと思います」
ルベールの説明に、サリューは、はぁ、と重い溜め息を吐いた。
「私達の疑念をごまかすための苦肉の策ってわけか……いずれにせよ、そんなことのためにルチアちゃんを攫っていったことには、ちゃんと落とし前をつけてもらわないとね」
そして、珍しくその瞳に荒ぶる感情を灯して、ルベールに応じるように言った。
「いいわ、行きましょうルベール。ルチアちゃんがどこにいるか、見当は付く?」
サリューに応えるように、ルベールは決然とした瞳になって頷いた。
「はい。確実ではありませんが、彼がルチアを連れて行きそうな場所なら、見当が付きます」
「そう、わかったわ。案内してちょうだい。私も一緒に行くわ」
ルベールにそう返しながら、サリューはセリナに視線を合わせる。「一緒に行く?」と、無言で誘っていたその視線を受け、セリナは急かされるように口にしていた。
「あ……ルベール!」
セリナの言葉に、ルベールは迷いのない目を向けた。
「君にも一緒に来てほしい、セリナ。ルチアを助けるために、君の力を貸してくれ」
信頼を乗せたその言葉に、セリナは胸の内に勇気が湧き上がるのを感じながら答えた。
「やっと、素直に言ってくれたわね。遠回りしすぎだってのよ、バカルベール」
「そうだね。お叱りなら後でいくらでも受けるよ。今はルチアを助けに行かないと」
観念したように照れ笑うルベールの表情がいつもの調子に戻ったことに、セリナは胸に溢れる勇気と共に、勢いよく拳を突き合わせる。
「当ったり前でしょ。誰の仕業だろうがぶっ飛ばして、ルチアちゃんを助けるわよ」
「そうね。今回ばかりは私も行かずにはいられないわ。ちゃんとけじめをつけないとね」
寸分の異もなく応じた二人に、ルベールは感謝の言葉を告げる。
「二人とも、ありがとう」
「だから水臭いっての。あたし達、仲間でしょ?」
勇壮な笑みを浮かべたセリナのその言葉に微笑むと、ルベールは敢然と告げた。
「ルチアを奪還する。今から、行動を開始します」
迷いを振り払ったその瞳は、澄んだ決意の翠色を灯していた。
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