第5章 工業都市エヴァンザ編 第3話(4)

 そういうわけで、ルベールがエヴァンザ工業学園の校門に現れたのは、昼刻12時を過ぎようかという頃になった。

 校門に突っ立って空を眺めていたセリナは、駆けてくるルベールを見ると声を上げた。

「あ、やっと来たわね。遅いわよ、お兄ちゃん」

「ごめんごめん、父さん達との話が少し長引いてね。待ったかい?」

「別に。今更待つのに迷惑するほどでもないでしょ」

 さらりと返しつつ、セリナは一応、ルベールに報告する。

「道中、何事もなかったわ。怪しい気配もなし。夕刻4時までには迎えに来てほしいって言ってたわよ」

「そうか。ありがとう、セリナ。面倒をかけたね」

「別に、大したことはしてないわよ。あんたの妹だし、無下にもできないしね」

 何でもないことのように手を振ってみせるセリナに、ルベールが訊ねた。

「それで、どうだいルチアは。迷惑をかけなかったかい?」

 ルベールの問いに、セリナはややぶすっとしながらも答えた。

「相変わらずよ。口は棘があるわ、態度はデカいわ。でもわりと嫌いじゃないわ」

「そうか……そう言ってもらえると、少しは救われるな」

 安堵する様子を見せるルベールに、セリナは小さく可笑しそうに笑う。

「あんたが気に負うことでもないでしょ。でもホント、生意気で可愛い妹ね。扱いに困ったりしないの、お兄ちゃんは?」

「そりゃあまあ、ね。けど、そういう君だって姉弟仲はいいじゃないか。似たようなものだと思うけれどね」

「姉弟……ああ、クランツのこと?」

 ルベールの指摘に、セリナはクランツのことを、ついでにルチアの詮索を思い出し、半ば憤然となりながら返す。確かに、もはや姉弟といっても良いような仲ではあるけれど。

「別に、あいつとはそういうのじゃないわよ。小さい頃からずっと一緒だったって、それだけだから」

「そうかい? 君達の間には姉弟以上の繋がりのようなものを感じることもあるけれど。それこそ、血よりも濃い、ね」

「あーはいはい、好きにして。別にあいつとは変な関係とかじゃないから、ホントに」

 むくれるセリナに、ルベールは態度を畏まるようなものへと変えた。

「でも、やっぱり君がいてくれてよかった。君がいてくれると、ルチアが気を逸らしてくれるから助かるよ。あの子、意外と思いつめやすいからさ」

「そうなの? ちょっと意外ね……」

 そう言いつつ、セリナはルチアの心情を慮る。

 あの年頃で母親を亡くし、父親は忙しい身、敬愛していた兄も遠くに離れていたとあれば、心情不安定になっても仕方ないくらいだろう。自分の経験も踏まえてそう考えると、ルベールの心配もあながち杞憂とも言えない。

 そんなことを思ったセリナは、ふと思い浮かんだ疑問をルベールに向けていた。

「ねえ、ルベール。あんた、どうしたいわけ?」

 表向き意味の取れないセリナの質問に、ルベールはとぼけたふりをして訊き返した。

「随分と抽象的な質問だね。どういうことだい?」

「とぼけるんじゃないわよ。この町とか、ご家族とかとあんたの関係のことよ。あんた、今は王都自警団にいるけど、この先どうするつもりなの? この町とか会社とかルチアちゃんのこと、放っておきっぱなしにもするつもりじゃないでしょ?」

 セリナの指摘に、ルベールは観念したように笑いながら首を振った。

「本当に君には敵わないな、セリナ。こっちの気にしている所を無自覚に突いてくるね」

「ぐだぐだ言ってないで教えてよ。あんた、この町やご家族をどうするつもりなの?」

 追及しようとするセリナに、ルベールは訊き返した。

「セリナ。どうしてそんなに僕の身辺が気になるのか、訊いてもいいかな?」

「え?」

 突然の問い返しにセリナは面食らったが、すぐに自分の中にある思いを言葉にできた。

「別に、そんな深い理由はないと思うけど……ただ、この町に来る前の飛行船で窓の外見てた時のあんた、やけに思い詰めたような顔してたからさ。それが気になってて。何か、この町に帰ってくることと関係あったりするのかなって思ってたからさ」

 セリナの答えに、ルベールは、そうか、と小さく笑うと、心を投げるように穏やかに晴れた空を眺めながら、己の身の上を語った。

「君の言う通りだ。僕はエヴァンザのコーバッツ公社の息子で、いずれは公社の後継者となることを嘱望されている。エヴァンザの頭の一つとなって、王国のために働く立場だ。そうすることが、何より父さんやルチアを安心させることになると思う。母さんを亡くした時からその気持ちは変わらない。だからあらゆる勉学に励もうとした。王都自警団に入ったのもその一環だ。あらゆる経験において、いい勉強をさせてもらったと思ってる」

 そこまで語って、ルベールの浮かべる笑みが愁いを帯びたものへと変わった。

「けど……遊学期間もいつまでも引き延ばしておけるわけじゃない。僕にはいずれ、戻らなければいけない場所がある。それを再確認しておきたくて、ここに戻って来たんだ」

「ルベール……」

 空を眺めるルベールの眼は、見通せないものへの憂いに満ちていた。

「僕は今回、そのけじめをつけようと思ってこの町に帰って来た。自警団に所属する身としてこの故郷に……いずれ帰るべき町に来てみれば、自分がどこにいるべきなのか、何をすべきなのか、見えてくるんじゃないかと思ってね」

「それって……この町に戻るか、自警団にい続けるか、みたいなこと?」

「そうだね。でも、どうしなきゃいけないかっていう答えはほぼ出てる。ただ、それを選ぶ自分の意志に確信が持てなかった。それを再確認しようと思ってね」

 自分を諭すような物言いをするルベールに、セリナは進言するように言葉をかけた。

「ねえ、ルベール。最終的にはあんたが決めることだから、あれこれ口出しはしないけどさ。それって……自分が何をどうしたいかって、そんなに難しく考えることなのかな? 自分が何をどうしたいか、その気持ちに従えばいいだけじゃないの?」

「普通の、大きな責任を負う必要のない立場にいられる人間なら、そうすればいい。自分の気持ちに正直に行動して、その結果さえ自分の責任にすれば、ね。けど、残念なことに僕の身は僕だけのものじゃない。僕の戻るべき場所には、たくさんの人の生活を支える義務がある。それを放ったままにしておくことはできない」

 そう語るルベールは、まるで自分に言い聞かせようとしているようだった。

「僕はここに戻って来なければならない。この町の人達のためにも、父さんやルチアのためにも、そして……僕達にその後を託してくれた、母さんの想いに応えるためにも」

 独り仮初の決意を固めようとするルベールに、セリナは呆れ交じりに言った。

「ねえ、ルベール。あんた……誰かのためになろうとしすぎじゃない?」

「え……」

 虚を突かれたような顔を見せたルベールに、セリナは忠告するように言った。

「あんた、誰かのためになろうとするのはいいけど、その分自分のことを蔑ろにしてない? 今のあんた、自分のことが何にも見えてないように見えるわよ」

「っ……それは……」

 その指摘に言葉を失ったルベールに、セリナは続けて諭すように言った。

「誰かのためになることがあんたの生きがいならそれでもいいと思うし、そのために頑張って生きればいいと思う。けど、それが無理強いされたようなものだったら、助けられる人も感じ悪いでしょ。もしも今さっきあんたが言ってた答えっていうのが無理しなきゃいけないものだって思うんだったら、それはあんたの心が納得してないんだと思う」

「けど……僕が公社を継がなかったら……」

「その時は代わりに誰かがその場所に就くでしょ。公社だってエヴァンザだってこの王国だって、きっとその時々で適当に回っていくんじゃない? あんたが全部の責任を背負う必要なんてないし、国中の責任を一人で背負うなんて、そんなことできないでしょ?」

 ルベールの拘泥した考えを、セリナは簡単な言葉で論破していく。

「それに、責められるのが怖いから無理にその場に就くなんてことになるんだったら、そんな人の下に付く人達だって不安になるでしょ。人を引っ張っていく立場に就くなら、それこそそこに立つって自覚を自分で持ってないと。あんたのことだから、自分の気持ちが定まってないせいで周りの人達に迷惑かけたくないとか思ってるでしょ? もしそういう気持ちしかないんだったら、逆にそんな立場に就いちゃいけないと思う」

「っ……」

 痛い所を突かれ続けるルベールに、セリナは翻って軽く励ますような言葉をかけた。

「でも、あんたならいい代表になれそうな気もするけどね。そんなふうに何でも難しく考えようとする癖さえ何とかできればさ。あんた人も良いし、人望も集めそうじゃない? あんたの力になりたいって思ってくれる人、きっといてくれると思うわよ」

「そう、かな」

「あたしはそう思ってる。大事なのはあんたの気持ち。覚悟次第ってことじゃない?」

 ルベールに晴れやかな笑みを向けながら、「ま、とにかくさ」とセリナは話を閉じた。

「あんたの人生はあんたのものなんだから、好きに生きればいいじゃない。あんたの人生は、誰かや何かのために捧げられなきゃいけないようなものじゃないと思うんだけど」

 セリナの言葉に、ルベールは参ったとばかりに首を振ると、ふっと表情を崩した。

「ふふ……敵わないな。本当に、君みたいな仲間を持てたことは僕の宝だよ。セリナ。君と話していると、どんなことでも理屈立てて考えようとする自分が愚かに思えてくる」

「何、あたしまた密かにバカにされてる?」

「とんでもない。君と出逢えて本当によかったと思ってる。ありがとう、セリナ」

 一心の感謝の思いに注がれるルベールの眼差しに、セリナは奇妙な心の揺れを覚えた。

「何言ってるのよ……今更言うようなことじゃないでしょ、そんなの」

 まるで、今際の別れ際の挨拶のような言い方。

 そんなことを思ったセリナの思考の空隙に、ルベールの問う声が入って来た。

「セリナ」

「ん、何?」

「お節介だったら、ごめん。君……クランツのこと、好きだったりするのかい?」

 突如突きつけられた問いに、セリナの思考が固まった。ややあってその思考が回り出すと、セリナは非難するような目をルベールに向けながら言った。

「何よ、急に……別に、あいつとはそんなんじゃないって言ったでしょ」

「本当かい?」

 だが、それに食い下がるルベールの問い返しは、異様なほどに真剣だった。意図の読めないルベールの問いに、セリナははぐらかすように言葉を継ぐ。

「そもそも、何で急にあんたにそんなこと訊かれなきゃならないのよ。あたしとクランツの仲なんて、見ればわかるでしょ。それに、あいつは団長のことが好きなんだし……」

 そこまで言ってあることにハッと気が付いたセリナは、警戒の目をルベールに向けた。

「あんた、まさか……その話をするために、あたしとクランツを分けたの?」

 厳しい目を向けてくるセリナに、ルベールは目を逸らして答えない。ルベールの煮え切らないその態度に、セリナは痺れを切らしたように不機嫌そうにガシガシと頭を掻いた。

「ったく……ホント、お節介よ。何でそんなこと、あんたに話さないといけないのよ」

「ごめん。でも、知りたいんだ。君が僕のことを仲間だと思ってくれていることには感謝してる。だからこそ、君が僕のことを知りたいと思ってくれたように、僕ももう少し君のことを知りたいと思うんだ。これからも君とは対等でいたいから……ダメかな?」

 それはルベールの方便でもあり、本心でもあった。この流れで口にされたそれが何を意味するのかくらい、さすがにセリナにもわかる。クランツのいる場でも、そしてルチアのいる場でもできない話だろう。相変わらず場の設定が周到だった。

 ルベールのこだわりに根負けしたセリナは、ばつが悪そうな表情のまま、語り始めた。

「あたしさ……七年前の王都襲撃戦の時に、家族を亡くして孤児になってさ。それで自警団の人達に助けてもらった後、街外れにできた孤児院に引き取ってもらったんだけど……その時、クランツが孤児院に来たのよ。あたしを探しに来たって言ってさ」

 語られたセリナの話に、ルベールは意外そうに言う。

「クランツも、あの時の戦いで両親を亡くしたと聞いていたけど」

「うん。お母さんは亡くなって、お父さんは行方不明。でもあいつには身柄を引き取ってくれる身内がいた。あいつのお母さんのお母さんだった、セフィラスおばあちゃんがね」

 見落としていた事実に一人納得するルベールを横目に、セリナはクランツと再会した時のことを語り続ける。

「だからあいつは本来、孤児院に来る必要なんてなかったのよ。王都の危険な混乱の中であたしを探しに来る必要なんてなかった。でも、あいつは来た。あたしを名指しでね」

 そう口にしたセリナの声が、遠い記憶に涙を滲ませるような響きを帯びた。

「あたし、あいつがあたしを探しに来たって言ってくれた時、家族を亡くして混乱してた気持ちが溢れ出してきちゃってさ……あいつに縋り付いてわんわん泣いてたみたい。あいつもあいつで、力も強くないくせに、ずっとあたしを抱きしめてくれててさ……」

 懐かしい思い出を語るセリナの声が、ほんの一瞬、微かな甘酸っぱさを帯びた。

「あとは、まあ、お察しってことで。あいつからしたら単純にあたしが心配だったって以上の意味なんてなかっただろうから、あたしがこんなこと思ってるなんて思ってないだろうけどさ。意外と罪作りよね、あいつも」

 軽笑と共に吹っ切れたように、セリナは泣き終えた後のような晴れやかな声で言った。

「それからは、今とあんまり変わらないわよ。あんたがいつも見てるような、変わらない、いつものあたし達の……あたしとクランツの関係。あいつとは、それでいいって思ってる。っていうか……このままがいいって思ってるんだ。あいつがクラウディア団長のことを好きだって知ってるし、男欲しさに誰かに横槍入れるような柄じゃないしね」

 そう自嘲するように小さく笑って、セリナは空の向こうを、あるいは自分の中に隠していた深奥の想いの底を見るような遠い目を、穏やかな晴れた空に向けた。

「あたしは、クランツの傍にいられればそれでいいの。あいつは何の理由もないのに、つらい時にあたしの傍にいてくれたから。あたしもそんなふうに、あいつの傍にいられたらいいって思ってる。あたしの望みなんて、それ以外にないんだ」

 そう語るセリナの瞳や声は達観したように穏やかで、その想いに嘘はなさそうだった。彼女の身辺事情を暴いたルベールは、苦い安堵と共にセリナに不作法を詫びた。

「そうか……ごめん、立ち入ったことを訊いて」

「話させた本人が謝るんじゃないっての。せっかくこっちは恥ずかしいの承知で話したっていうのに。この町に入ってからあんたそういうの多いわよ。あんたらしくもない」

 セリナは憮然とそう言うと、ふっと緊張を解いたように表情を緩めた。

「でも、確かにこんな話、あいつのいる場所じゃ絶対できないからね。そういう意味じゃあんたに感謝かな。こんな話したの、あんたが初めてかも。ありがとね、ルベール」

「セリナ……」

 思わぬ感謝に当惑するルベールに、セリナは仕返しとばかりに詰るような眼を向けた。

「それで、そんな乙女の恥ずかしい秘密をわざわざ聞き出してまで何の話がしたかったのかな、どこぞの頼りない王子様は?」

 意地の悪そうな目を向けてくるセリナに、ルベールは反抗の余地がないと判断する。

 こちらが彼女の深い秘密を聞き出した以上、こちらも隠し事はできないだろう。もはや隠しおおせないと悟ったルベールは、意を決したように口を開いた。

「セリナ。僕は……」

 だが、その言葉を口にする寸前、青い雷電のような直感がルベールの脳裏を走り抜けた。雷に打たれたように顔を上げたルベールに、セリナが声をかける。

「どうしたの?」

 セリナに答えず、ルベールは精神を集中させ、血脈を同じくするルチアの身元を探る。妹の身辺に異様な気配の存在を感知したルベールの表情に、焦燥が走る。

「悪い、セリナ。話は後だ。ルチアが危ない……!」

 背筋に走る悪寒に焚き付けられたように、ルベールは騒然と駆け出した。

「ちょ、置いてかないでよ! 何だってのよ、もう……!」

 セリナも慌ててその後を追い、二人はルチアの元へと急いだ。

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