第5章 工業都市エヴァンザ編 第1話(3)

「では、ルチアが公社までご案内いたしますわ。お兄様、道は憶えておいでですか?」

「自分の家への帰り道くらいわかるって。いくら五年ぶりだからってそれは見くびりすぎだよ、ルチア」

 ルチアにそう言われ、セリナとサリューはルベールの実家まで案内されることになった。

 二人を先導して歩くルチアとルベールが、屈託のない言葉を交わしている。

「五年も逢えない時間が続けば、そんなことでも心配になろうというものですわ。お兄様の方は素敵なお姉様方に囲まれて寂しいことなんてなかったんでしょうけれど、ルチアにはお兄様しかいなかったんですのよ。五年もルチアを一人にした責任を取ってほしいですわ」

「それは……悪かったよ。寂しい思いをさせていたんだったらごめん、ルチア」

 ルチアの言葉に、ルベールは意外なことに素直に詫びの言葉を入れる。それを聞いたルチアは途端に瞳を輝かせ、嬉しそうにルベールの腰に抱きついた。

「いいのですのよお兄様。ルチアのことを想ってくださっているのがわかっただけで、ルチアは光悦の至りでございますわ。どうかお気を病まないでくださいませね?」

「ルチア、それは僕も嬉しいけどちょっと離れて。歩きにくい」

 じゃれ合う二人に、少し後ろを歩いていたセリナが意外そうな声でぽつりと零した。

「仲、いいのね」

「まあ、数少ない肉親だしね。それに、長い間一人にさせちゃったのは本当だし」

 吹っ切れたように言うルベールとセリナに、ルチアが憮然と返す。

「当然ですわ。ルチアが添い遂げるのはルベールお兄様だけと心に決めておりますもの」

「ルチア、誤解が生まれるようなことを言わないで。僕らは兄妹だよ」

「あら、お兄様ともあろう方が随分狭量なことを仰いますのね。兄妹が愛し合ってはいけないなどという法がどこにありますの? 生まれながらにして血縁を分け合った仲ならば、血よりも濃いその親愛の絆が進展することなど、疑いを差し挟むことでもありませんわ」

「それは一般倫理を逸脱した考え方だよルチア。君だってそれくらいわかるだろう」

「お兄様と私の純然たる仲に、衆愚の一般論など持ち出されたくありませんわ」

 理然と暴論で盾突いてくる妹に、ルベールは参ったように笑みながら頭を掻いた。

「本当に、相変わらずだね……僕らはどこで育て方を間違ったのか」

「失礼ですわねお兄様。ルチアは育ち方を間違ったなどと思ったことはありませんわっ」

 それに、と、妖しい笑みを浮かべて、ルチアはルベールの左腕に絡みつくと、

「そんなことを仰るのなら、ルチアをこんな寂しがりな体にしたお兄様にも責任を取ってもらいたいですわね。何年もの間ルチアを一人にして、私がどんなに寂しかったか……わからないようならお兄様には後で身を以て教えて差し上げますわ」

 くすり、と可憐な妖花のように笑んだ。妄執的なその言葉に、セリナは寒気を感じる。

「身を以てって……あんた、ルベールに何する気?」

「ルチアの愛をお兄様にわかっていただく、いつものことですわ。お兄様ならお分かりになるでしょう? 部外者は口を挟まないでくださいな」

 素っ気なく払い捨てるようなルチアの言葉に、思わず血が上ったセリナは――――、

「部外者って何よ! ルベールとあたしは――――」

「――――あなたが、お兄様の何ですの?」

 振り向きざまに向けられたルチアの冷え切った視線に、思わず息を呑んだ。幼さを残した愛らしい碧い瞳は刃のように冷たく光り、もはや敵意を通り越して軽い殺意にも近づいた氷のような視線が、セリナを射抜くように向けられている。

「お兄様と私の間に何者も、ましてや他の女が入り込むなど論外ですわ。部外者の分際で、まさか自分がお兄様の特別な存在にでもなったとでも口走るおつもりですの?」

「な、ッ……!」

 言葉を失うセリナを前に、ルチアは敵意を憂鬱のため息に変えて吐き出す。

「やはりお兄様をルチアのお傍から離してしまったのは失策だったかもしれませんわね。見聞を広め研鑽が積めるとはいえ、私のお兄様がどこの雑草とも知れない女に篭絡されるなど考えもしませんでしたわ。ルチアの考えが至らないばかりに――――」

「あ、あんたねえ…………‼」

 ルチアの一方的な言い分に、セリナの頭が沸騰しかける。だがその寸前に、

「ルチア、そこまで。あと、後でセリナに謝ってもらうよ」

「「え……」」

 割り込んだルベールの冷たさの似た声に、セリナとルチアがそれぞれ異なる声を上げる。さらにそこに追い風を吹かせるように、外から様子を眺めていたサリューが言った。

「ふふ、まったく。愛され過ぎるのも考えものね、ルベール」

「ええ、全くです。本当に、どうしてこうなっちゃうのか」

「何を――――」

 再び口を挟まれたことにルチアが憤慨する。

 だがルベールはその隙で十分とばかりに、ルチア、と声をかけた。

「ルチア、言ったろう。この二人は僕がお世話になってる自警団の同僚だよ。僕を好きでいてくれるのは嬉しいけど、いくら女性が目にちらつくからって、ちょっと熱くなりすぎ」

「…………」

 その言葉の何がどこに引っかかったのか、ルチアが言葉を失い、頬が薄紅に染まる。

 その隙に、ルベールは押し切るように言葉を続けた。

「それに、僕だって君と同じさ。エヴァンザを離れて研鑽を積み続けてきたけど、いつも君のことが心配だった。たった一人の可愛い妹だ。気にかけないわけがないだろう?」

 微笑みを浮かべながらのその言葉に、ルチアは頬を膨らませ、

「……そんなことは、言われるまでもなく承知しておりますわ。けれど、ルチアを5年もの間遠くにおいていたことは事実でしょう?」

「うん、わかってる。だから償いはするよ。君の言うこと、何でも聞いてあげる。だから、あとでこの二人にもちゃんと謝って。僕の妹だ、君だって礼儀は弁えられるだろう?」

 幼子を諭すようなルベールの言葉に、気心の知れていたルチアは渋々と従った。

「お兄様が、そこまで仰られるのなら……ルチアに是非はありませんわ。けれど――――」

 そこまで言うと、ルチアはキッと後ろを歩くセリナとサリューを睨みつけ、

「お二人がお兄様に相応しい女性かどうかを見極めるのは、私個人の別件ですからねっ」

 そう言い捨てて、ふいとルベールの腕に絡みついたまま、前へと顔を背けてしまった。

 後に残された不完全燃焼状態のセリナに、サリューがさも面白そうに口にする。

「ふふ、可愛い顔してなかなか強烈な子ね」

「ホントですね……ルベールの妹っていうから、どんな子かと思ったら」

 まさかの重度のブラコンとは。――口にはしないが。

 そして、その扱いを弁えているらしいルベールも、ルチアと話していてまんざら悪い気もしていないように見えた。自分も知らない昔からずっとこんな調子だったのだろうか。

《あなたが、お兄様の何ですの?》

 心の奥に突き刺してくるようなルチアの言葉が、セリナの胸をジクジクとさせる。

 ルベールのことをそんなふうに意識したことは、なかったはずだった。ならば、胸を痛ませるこの不可思議な感情の正体は何なのか。

 セリナが一人自問に入りかけている間に、一行は市内でも一際大きな建物の前に来ていた。工場を併設しているために一般家屋とは比べ物にならない規模の大きさに、顔を上げたセリナは圧倒されてしまった。

「これが……ルベールの実家?」

「うん。詳しい話は中でするよ。門前で立ち話も何だし、いろいろと説明しないといけないしね」

 セリナとルベールの会話に、ルチアは不服そうに鼻を鳴らして言った。

「さあ、どうぞ中へ。お父様がお待ちですわ」

「そうだね、わかった。さ、二人とも入って。遠慮しなくていいよ」

 ルチアの言葉に続き、ルベールも軽く言って、建物の中へ入っていく。

 その後姿を見送りながら、セリナは仲間であるはずのサリューに訊ねていた。

「サリューさん……これ、知ってたんですか?」

「そりゃね。自警団に入る子達の詳細情報は入団前に確認するし、コーバッツ公社といえば王国の中でも結構名の知れた大きな会社だもの。正直あの子が入団希望を出してきた時は驚いたこと、今でも憶えてるわ。こうしてご実家を前にするのは初めてだけれどね」

 サリューの言葉に、知らなかったのは自分だけかとセリナは軽く肩を落とす。

 傲然と控えるコーバッツ公社の威容を見上げながら、セリナは、自分がとんでもない所に来てしまったように感じた。


 建物の中に足を踏み入れた時、セリナの驚きはそこに止まらなかった。

 建物に入った途端、玄関広間に人だかりができていたのをセリナは見た。それがこの社の御曹司であるルベールの帰還を出迎えたものであることは、容易に想像がついた。

「ルベール様、お帰りなさいませ!」「お待ち申し上げておりましたぞ、若……!」「本当に、本当にルベール様ですの?」「皆、若がお帰りになったぞ!」

 人々の異様な熱気に包まれる中にあって、ルベールは異質なまでに平然と口を開いた。

「皆、出迎えありがとう。長い間顔も見せないで、心配をかけた。皆の期待に、今はまだ応えてあげられないけど、いずれ必ず帰って来るから、もう少しだけ待っていてくれ」

 ルベールの言葉に、彼を取り囲む人々は一様にその言葉に聞き入っている。その様はさながら皇太子の宣下のようだった。彼らの視線を一身に受けながら、ルベールは毅然と言う。

「それより、今日は別件で来たんだ。父さんはいるかな? 話は通ってるはずなんだけど」

「私ならここだ、ルベール」

 その言葉に答えた声に、ルベールを取り囲んでいた人だかりが海のように割れ、道を作る。ルベールの視線の先には、彼に似た理知的な雰囲気を漂わせる壮年の男性が立っていた。わずかに白髪が混じった灰色の髪は形良く整えられ、丸眼鏡の奥に覗くその眼光は穏やかにして鋭い。穏やかながら周囲を圧倒するその存在感は、やはりルベールのそれと似ていた。

 割れた道の先に立つその男性に、ルベールは相好を崩し、帰還を告げる。

「……ただいま、父さん。長い間連絡も寄こさなくてすまなかった」

「お前がしっかり勉強しているのならそれでいい。よく帰ってきたな、ルベール」

 そう言って、コーバッツ公社社長、ルグルセン・コーバッツは、息子の帰還を出迎えた。その待遇にセリナが呆気に取られている中、二人が視線を交わすその脇で、ルチアが何やら自慢げな意地の悪い眼をこちらに投げてきていた。

(ルベール……あんた……)

 ここに来て明かされた彼のその未知の姿に、セリナはそう慨嘆せずにはいられなかった。

 そこにいた、コーバッツ公社御曹司としての彼は、自分の知らない彼のような気がして。

 それに柄にもない寂しさのようなものを感じている自分を、らしくない、とセリナは叱咤した。

(――いいわよ、だったら聞かせてもらおうじゃないの。あたしに隠してきたこと、とことんまで訊いてやる。3年もあたしに隠し事してたツケは払ってもらうんだから)

 そう自分に喝を入れ、セリナは視線の先にいるルベールに向かってずかずかと歩いていった。その後姿を眺めながら、サリューも微笑みを浮かべながら、悠然と後に続いた。

(さあ、見せてもらうわよルベール。あなたがここで、どんな『答え』を出すのか、ね)

 ――その胸中に、長年見守り続けてきた彼への、期待にも似た思いを抱きながら。

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