第5話 高慢と義務
(あの時の娘…⁈)
2年前、パーティで勇ましくテーブルに飛び乗った娘が花嫁だと知って王子は驚いた。
これ以上ないくらい目を見開いてベアトリクスをガン見している息子を前にして、クリストファ王はタイミングの悪さに苦笑いを浮かべた。
ベアトリクスは即刻父親に連行されて帰国まで部屋で謹慎していた。よってクリストファ王しかあの娘が公女ベアトリクスだと知らない。
娘を誇る公主だが、『乱暴者の公女』と噂されることを避けたいのは親心だ。
王子は事件から進んで鍛錬するようになった。食事の席で何度か娘について聞いたのだが、王は意図的に言を濁した。
公女を王子の嫁にと考えるようになった王は頭を抱えていたのだ。
問題は彼女の出自である。
デーン王国では子の序列は母親の身分で決まる。母の身分が極端に低いと『劣り腹』とされ、子供を奴隷のような扱いをする貴族もいる。
実際ヴァルデマーにはオーロフという5歳上の兄がいるが、彼を産んですぐに亡くなった母親の身分が低かったので王位継承権は2位だ。
なので王は王子にあの少女がベアトリクス公女であることを言わなかった。潔癖な王子は公女の出自を知ったら忌避すると思ったのだ。
そして王子が20歳になって
(『女は見栄っ張りで傲慢で話がつまらないから一緒にいるのは時間の無駄』と言う王子だ。自分の息子ながらゆがんどるわい。ベアならうまくいくと思ったんじゃが、最悪の再会になってしまった。暴漢を一発で仕留める狼公女、怒り狂って付き添ってきた兵士達と一緒に結婚式をぶち壊したりせんだろうな)
「べ、ベアよ…これの言った事はな、違うのだ…お、王子は照れておるんじゃ…」
王は苦しい言い訳をしながら、背筋に冷たいものが伝うのを感じた。目の前のベアトリクスの瞳は氷のように青く冷たく澄んでいる。
(ひえーっ!何と言ってもこの場を取り繕えそうにないわい。しかしベア嬢に嫌われるのがこれほど悲しいとはな、これが父親の気持ちか)
しかし、ベアトリクスは暴れるどころか苦い顔の王をとりなした。
「陛下、よいのです。母親の身分で子供の資質が変わるのは事実、そしてわたくしの母の身分が低いのも事実。わたくしは殿下がご承知だと思っておりました。ご存じないなら抗議するのは当たり前。そこで提案です」
ベアトリクスは狼狽する王子をそっちのけで失意のクリストファ王に詰め寄った。背丈も横幅も王よりもずいぶん小さいのに大きく見える。
「結婚を無効にすると両国にわだかまりが残りましょう。なのでわたくしを3年間護衛としておそばに置いて頂くのはどうでしょう?夫婦らしいことは一切行わず、血統を汚すような子孫も作りません。殿下はただ3年辛抱し、その後に正しい身分の女性を王妃に迎えれば宜しいのです。もちろん恋人を作って頂いてかまいません。
そのかわりに今後50年間スタツホルメン公国に侵略しないと文書でお約束下さい。いかがです?」
王子が契約結婚だと知らない事実に驚いたが、彼に嫌われているのは都合が良い。心奪われるほどの美男子だろうが構わなかった。
ベアトリクスは王が頷いたのを確認してから、氷河より冷たい目を王子に向けた。口では当然だと王子を擁護しても、母を侮辱されて心は荒れていた。
見ていた王は、自分がそんな眼を向けられたら心臓が止まってしまうと震えあがった。
(こんなことなら契約結婚だと話しておけばよかったわい…良かれと思ってしたことが裏目にでたな)
「いかがですか、ヴァルデマー殿下?貴方様にもお聞きしているのです」
王子は密かに好意を寄せていた少女との酷い再会と成り行きにただ小さく頷くしかなかった。しかしこんな時でさえベアトリクスの美しさに目は釘付けになっていた。
(失態だっ!花嫁があの娘だと知っていたら、このようなことには…いや、やはり己の狭量のせいだ。父は『時代は変わった。血筋も大事だが能力はより価値がある』と何度も言っていた。俺が聞く耳を持っていれば…)
ベッドに横になったヴァルデマー王子は、寝室の扉のそばの椅子に姿勢よく座り本を読む妻、ベアトリクスをちらりと見た。何を読んでいるのか、かなり分厚い。距離があるので書名が読み取れない。
結婚式での彼女は高貴な振る舞いを見せ周りを魅了したが、今の彼女は銀色のふわふわとした髪を下ろしており、部屋着姿も愛らしい。
(あぁ、妖精のようだ!その上強く聡明とはこの世のものとは思えぬ。絵画に残して持ち歩きたいものだ)
彼の視線を感じたベアトリクスは本を静かに閉じて立ち上がり、本を椅子に置いて音もなくベッドに歩み寄った。
(なっ…夫婦愛は求めない約束では…?彼女の承認があれば本当の夫婦になれると父は言っていたが、俺が好かれているわけがない。なぜ無表情なのだっ、クロード、助けろっ!)
自分の仏頂面を棚に上げて公女の仮面のような表情に怯えた王子は、親友であり部下であるクロ―ディアスの名を心で叫んだ。
「殿下、失礼ながらご挨拶させて頂きます。わたくしはベアトリクス・ヤール。ビルイェル・ヤール現公主とフェンニー族の母の間の娘でございます。殿下におかれましてはこの婚姻は非常に不本意とは存じますが、三年間護衛をさせて頂くこととなりました。
常に衣服の下にはナイフを隠し持っております、ご了承下さいませ。夜から朝まで護衛しますので、毎日正午から自室にて休憩を頂きます。
陛下には万事ご了承頂いておりますれば、出来るだけ殿下の目を汚さぬように致しますので何卒ご容赦下さいませ」
いつまでも自己紹介をさせてくれない王子に業を煮やしたベアトリクスは、仕方なく自分から挨拶をした。今夜を逃すと三年間名乗れないまま離縁となりそうだった。
(しまったっ…しかし今さら愛想良くもできまい。なんせ彼女をひどく侮辱したのを聞かれたのだ。それも我正しいと言わんばかりに声高に…思い出すだけで顔が火照ってきた)
いかんせん顔に感情が出ないように訓練されているので酷く乱れた内面とは違って外面はスンとしている。
「わかった」
王子は心中赤面しつつも不愛想に冷たく言い放った。
(謝罪のチャンスっ…?)
そう思ったが、彼女は義務を果たしたとばかりに頭を下げてまた椅子に戻る。その表情は全く読めない。怒っているような微笑んでいるような嘲笑っているような。
(本当であれば夫婦となった彼女との初夜であったのに、己の未熟さのせいでこのような関係となるとは…)
婚姻を進めた王は残念ではあったが、王子を守るというベアトリクスとの契約通りなのでまずは良しとしていた。当の王子だけカヤの外にいる事に気が付いていない。
(なんと情けない俺だ…)
彼女がペラリペラリと頁をめくる音が心地良く、王子は久々に朝までぐっすり眠った。夢の中では彼女が結婚式で国民に見せた愛らしい微笑みが自分に向けられていた。
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