第34話 動揺

「皆様、カードはお手元にわたりましたでしょうか?お持ちでない方はお近くの者にお申し出くださいませ」


 司会者の呼びかけを聞いて会場がざわめいた。いよいよメインイベントが始まるのだという熱気があふれる。

 各自一枚のカードが配られた。ペアの相手を探してエスコートして踊るという背徳に会場の男女の期待が高まる。普段はハリス教の教えもあって既婚者が配偶者以外をエスコートするは不道徳とされるが、本日だけは仮面を付けているしカードでペアを決めるので不可抗力というわけだ。

 王子とマルグレーテ、ベアトリクスとエリクがペアになるように仕組んだやらせであるが、その他はランダムである。仮面を付けているので誰かわからないのという建前が好奇心を掻き立てる。


「では、男性はお相手を探してエスコートくださいませ。その方が本日のペアとなります!」


 テーブルで待つ女性がソワソワしながらカードを見せるように手にしている。数人の男性は相手を見つけてさっそく声をかけ始めた。


「殿下がこちらに参りましたわ、海賊の面のあの黒づくめです。ではマルグレーテ様、ご武運を!」


 ベアトリクスはそっとマルグレーテに声をかけて目立たないように壁側に移動した。


(ここにいたらエリクがきっと見つけてくれるでしょう…まあ、見つからなくてもいいのですけど。お二人がダンスをしているのを確認したら部屋に戻るのもありですわね、ここにいても仕方ないですもの…)


 グレーの扇で口元を隠してぼんやりしていたら、音楽が始まった。


(あら、さっそくダンスが始まりましたわね。お二人は…)


 彼女がホールを見ようと柱から身を乗り出すと、声をかけられた。


「狼のお嬢さん、こんばんは。カードを見せて頂けますか?」


 ベアトリクスはホールに目をやりながらぞんざいにカードを出した。


「11ですね。私も11です」


 ベアトリクスは声をかけてきた背の高い男性が海賊の面を付けているのを見て変な声が出そうになった。


(ぎゃっ!殿下ではないですかっ!!)


「11…確かですか?お見せくださいませ」


 動揺を抑えてベアトリクスは彼のカードを確認した。カードはなぜか彼の言う通り11である。


(なっ…なぜっ?!)


「ほ、本当ですわね。ただ、えーっと…わたくし体調が優れませんのでこちらにいるのです。申し訳ないので代わりの者を連れてまいりますわ…」


 ベアトリクスがマルグレーテを目で探しながら半歩動くと、ヴァルデマーはすっと彼女の進路を塞いで狼の面をのぞき込んだ。海賊の接近にベアトリクスはどきりとする。


「大丈夫ですか?気分転換に外にまいりましょう」


「は、はぁ…」


 否応ない彼の声色にベアトリクスは小声で答えざるを得なかった。王子はちゃっかりと彼女の手をとっている。


(殿下は別人のように強引ですわね…わたくしだと気が付いていないようですし、こうなったら何とかしてマルグレーテ嬢と入れ替わるしか…)



 二人でたわいもない話をしながら庭園を歩いていくと、5人ほどが寛げるつる紫陽花が絡められたガゼボに到着した。

 小さな丘の上にあり、昼であれば見晴らしが良いだろう。夜は風に揺れる灯かりに照らされて雰囲気がある。

 彼に誘導されて中に入ると、舞踏会の音の代わりに波の音が聞こえる。海が近いようだ。

 会話に夢中で会場からいつの間にか離れていたのでベアトリクスは気が気ではなかった。


「こ、このような居心地の良い場所が城にあったのですね、存じ上げませんでしたわ…」


「そうでしょう、ここは亡き王妃の庭園だから普段は入れないのです。さ、こちらで少し休憩しましょう」


 王子がハンカチを胸元から出して敷いたので、ベアトリクスは仕方なく腰を降ろした。


(やはりハンカチは常備しておりますのね、流石です…っと、まずいですわっ!早く帰らないと舞踏会が終わってしまいます!マルグレーテ嬢と引き合わせられないではないですか…)


「なんて素敵な場所でしょう、是非明るい時間にも訪れたいものですわ。しかし、このような場所にわたくしなどがいては陛下もご不快に思うでしょうから…」


 今にも腰を浮かそうとするベアトリクスを圧するように、ヴァルデマーは彼女ににじり寄って無言で手を握った。剣の鍛錬の成果か以前より大きくてがっちりとした手にベアトリクスの忘れようとしていた恋心が一瞬高鳴る。


(きゃっ………なんて言ってる場合じゃございませんわ。この危機を早く脱出しないと、意外に手が早い殿下に流されそうです。しかしもちろんそうはいきません、それは他の令嬢に向けて頂かないと!)


 揺れる心を正常に戻し、逃げ腰になったベアトリクスに向かってヴァルデマーは懇願した。その声は彼女を根底から大きく揺り動かした。


「頼むから逃げないでくれ。俺は愛するに値しないのか?」


「そ、そのような…」


 その時ベアトリクスはヴァルデマーの心の一部分を垣間見た気がした。


 伯父に振られたベアトリクスは、『愛』なんてぼんやりしたものはやはり上に立つものが望むものではなかったのだと実感した。

 第一、国を統べるものがそのような気持ちで伴侶を選んでいてはそこに住む人々に申し訳が立たない。

 エリク、ベアトリクスやヴァルデマーのような者は『愛』など無縁の、ただ国にとって最も有益な相手と結ばれるのが当然だと思っている。国民の命と財産を守るのが国の役割なのだ。

 しかし、目の前のヴァルデマーは『愛』と言った。彼こそ冷徹に相手を選ぶ最たる人だと思っていたのに。


「そのような事はございません。貴方様を愛し、愛を得たいと思っている者はたくさんおります。しかし身分の高い者には『愛』などというものを望む権利はないかもしれませぬ。少なくともわたくしはそう思います」


「…諦めろと?」


「そうではなく、周りが勧める者たちの中からもっとも『愛』せそうな女性を見つけてはいかがでしょうか?『愛』などと思い込んでいても、実際はその時だけの空虚なもの…」


 ベアトリクスは自分の伯父への想いを思い出し、自虐の笑いがこみ上げた。


(そうでした、わたくしがどこまでも強いと思っていた伯父様への愛情も、拒否され離れ、ヴァルデマー殿下の側にいるうちに消えました。その殿下への想いも未来を考えたら悲しく虚しくて…結局は愛など虚なもの)


 ベアトリクスの口の端が笑っているのを目ざとく見つけたヴァルデマーは、顔を歪めて不機嫌そうに聞いた。


「そなたは愛を笑うのだな」


「いえ、貴方様を笑ったわけではなく、過去の自分が愛だと思っていたものを虚しく思い出しておりました。お気にさわりましたらお許しください。さあ、わたくしなどといるより素敵な女性と踊る為に会場に戻りませぬか?わたくしの知人に『愛』するに値する女性が…」


 そこまでベアトリクスが言うと、ヴァルデマーは重ねていた手を強く握った。


「俺はそなたを愛している。他の者となど踊りたくないし、そなたが他の男と踊るのも嫌だ」


 頭に血が上ったベアトリクスは彼の手を振り払い立ち上がった。ヴァルデマーが初めて会う女性にそんなことを言うなんて心底がっかりしたのだ。


「何をおっしゃいますか、わたくしのことなど何も知らないくせによくも…出会ってすぐにそのようなことを言う男性は信用できませぬ。わたくしなどに当たってしまい運が悪かったですわね、どなたかにこのカードをお渡ししておきますので、その女性にそうおっしゃったら宜しいですわ。では失礼いたします」


「ま、待て!」


 手を伸ばして力なく叫んだヴァルデマーだったが、追いかけることはしなかった。次冷たい言葉を浴びせられたら死にたくなるだろう。


「…俺がベアの愛を求めるのは不可能でしょうか?このまま彼女と離縁し、周りが勧めるままに誰かと婚姻を結び、子をもうけてデーン王国の為に生きろ、と…?」


 ヴァルデマーは首飾りのロケットを出して母の肖像画に問いかけた。


(このようなこと誰に相談できる?俺に王の期待をかけていないものなど周りには誰もいない。母でさえ生きていたならば相談できまい)


「それでは俺が俺として生きている意味など…ないではないですか?」

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