第35話 気になる
「本当に宜しいのですか、ベアトリクス様…」
お茶会で眉尻を下げられるだけ下げたマルグレーテ嬢は、ベアトリクスに泣きついた。間違っても嬉しそうではない。
「もちろんですわ。貴女様とクローディアス様の御兄妹で殿下をお支え下さるなら、わたくし安心して公国に帰ることが出来ます。そうですわ、次のお茶会には殿下をお呼びして、親交を深めましょう」
仮面舞踏会でヴァルデマーと一曲だけ踊ったマルグレーテは、仏頂面の王子に困惑していた。カードをマルグレーテに渡したベアトリクスは、王子の言葉に酷く心が乱されてすぐに部屋に戻った。
(お約束通り殿下はマルグレーテ嬢と踊って下さったのですね。あとは二人がうまく収まるよう仕上げましょう。しかしマルグレーテ嬢はあまり気乗りしていないのかしら?彼女は殿下に憧れていらっしゃったはずですが…)
「マルグレーテ様、嫌なら嫌だと言わないと強引にくっつけられますよ?」
そばにいたエリクがこっそりと耳打ちしたら、マルグレーテの頬にぱあっと朱が散った。
仮面舞踏会では、ヴァルデマーの頼みに負けたエリクが二人のカードを交換した。よって、マルグレーテ嬢はカードのペアになったエリクとペアになって踊ったのだが、それからというもの彼が気になって仕方なかった。
公国ではエリクはベアトリクスほど強い戦士とは認められていないが、デーン王国の青白い貴族と違って身体も常時鍛えているので踊るとすぐに違いがわかる。
マルグレーテは彼のたくましい腕に抱かれて踊った時のトキメキが忘れられなかった。その上、デーンの男とは違って女性をモノとして扱わずに人として尊重するのにも密かに感動していた。
しかしそれを知らないベアトリクスは、王子を思って赤くなっていると思い込んだ。
(あら、赤くなっていらしゃるわ…やはり遠慮しているだけで殿下をお好きなのね!では問題がなさそうなので進めると致しましょう)
「マルグレーテ様、デーン王国と公国との末長い繁栄を願うわたくしには遠慮など必要ございません。言いたいことがあるなら何でもおっしゃって下さいませ?」
マルグレーテはいつもの快活さをすっかり潜め、虫が鳴くように答えた。その様子がどうもエリクの庇護欲を掻き立てる。公国の女性はあらゆる意味ではっきりしており強いので、このようにもじもじすることはあまりない。
「いえ…父母が王妃になるようにと強く勧めておりましたので、家門としては願ったりのお話です。父はベアトリクス様のお力添えを酷く喜んでおります」
「ですわよね」
二人の父は、ベアトリクスが公国から嫁ぐのに反対した有力貴族の一人だ。3年で子が出来ない場合は離縁するという案を王が提示してやっと矛を収め、娘を結婚したヴァルデマーに接近させてきた。
もちろんそれをベアトリクスは知っていた。その上でマルグレーテの人物を評価してヴァルデマーに勧めている。
これからの公国との付き合いでデーン王国に強い味方を作りたいベアトリクスの思惑は、エリクやクローディアス、もちろんヴァルデマーにもわかっている。
しかしエリクは疑問に思う。
「親が望むからなんて、マルグレーテ嬢は本当にいいのですか?」
エリクが思わず口を出すと、案の定ベアトリクスからギロリと睨まれ固まった。
「次の公主ともあろう者が何を言うのです!家の繁栄は国の繁栄、国の繁栄は民の繁栄ですわ。マルグレーテ様は殿下をお好きなのですから全く問題がございません。ですわよね?」
ベアトリクスの強い圧を感じ、マルグレーテとエリクが同時に俯いた。エリクは彼女を元気付けようとマルグレーテの膝の上の左手に自分のそれをそっと重ね、すぐに戻した。マルグレーテは動揺してからからになった喉を潤そうとぬるくなった紅茶を口にした。
「最近マルグレーテ嬢はどうしたのかしら?何度かお茶会にお誘いしているのですが、体調が優れないというお返事ばかり…」
舞踏会から2か月が過ぎ、もうカーニバルが近づいていた。年末だ。樹々は葉を落とし、いつもは目立たない針葉樹林がこれでもかと自己主張している。人の着る服も温かいものに変わっていた。
ハリス教の講義の後の昼食の席で、ベアトリクスはエリクに訊ねた。向かいには白王子のオーロフもおり、三人で最近のハリス教の上納額が跳ねあがっていることについて激論を交わして一息ついたところだ。
「ブフォッ…!そ、そうですか、クローディアス殿にお聞きしておきます…ね」
滑舌悪くエリクが答えるのを見てオーロフが笑った。
「おやおや、エリク殿ってばお忘れですか?先日城外でお二人をお見掛け…」
「そうですか、クローディアス殿とマルグレーテ嬢が二人で?オ元気トイウコトデショウカネ…」
珍しく少しにやけた白王子の言葉にかぶせるように、エリクが早口で言う。
「あら、お元気なのですね?それなら良かったですわ。そうですわ、お誘いのお手紙を直接お家に持って行ってみようかしら?久しぶりにお顔を拝見したいですし」
何も疑問を持たないベアトリクスがつぶやくと、後ろから声をかけられた。
「城から出るのか?俺もクロードに用があるから一緒に行こう」
「で、殿下…」
かれこれ二か月ぶりくらいに声をかけてきたヴァルデマーに、ベアトリクスは面食らった。仮面舞踏会で告白じみた事を言われてから彼女は意図的に避けていたのだが、久しぶりに見た彼は少しやつれて見えた。
(嫌だわ、殿下が会ったばかりの女性に好きだと言ったとしてもわたくしが殿下を避ける理由にはならないのに…殿下の気持ちが簡単に動くのを目の当たりにして苦しくなった自分が恥ずかしいですわ。マルグレーテ嬢とうまくいったら思ったよりも辛くなるのかもしれません…)
「お気遣いありがとうございます。では本日の夕方はいかがですか?あちらにもお伺いを立てておきます」
「わかった。では5の鐘(午後三時)に部屋に迎えに行く」
「かしこまりました」
ベアトリクスは緊張で汗ばんだ掌を膝の上でぎゅっと握った。ヴァルデマーはいつものスンとした涼し気な表情をしており、お門違いとわかっていても憎らしくなってくる。
「兄上、エリク、今は忙しいのでまた」
「そうですね、ゆっくり話しましょう」
オーロフがにこやかに答える。エリクはやたら真剣な顔でわかったというように頭を少し下げた。
足早に去るヴァルデマーの後姿を彼女が眺めていると、オーロフが「気になるね」と言ったのでベアトリクスが飛び上がった。膝が机に当たってガチャンと鳴る。
「な、なに…っ」
「どうしたの、ベアトリクス?ヴァルデマーが最近忙しそうで気になるよね?」
「あ、そ、そうですわね…」
いつも快活なベアトリクスがしどろもどろに言いながら席につくのを見て、オーロフが優しく笑った。
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