第38話 器

「お父様ったら…刺されるなんて油断しすぎですわ!もうお年ですわね!!」


 口では憎まれ口を叩きながらも、ベアトリクスは寝台に横たわる父にそっと毛布をかけた。

 一方エリクの涙腺は緩んで今にもこぼれそうだ。ベアトリクスにとってエリクの父が親愛の対象であるのと同じく、エリクにとってもベアトリクスの父は誰よりも頼れる父のような存在だ。

 常に娘よりもエリクを立ててくれているのを感じているが、伯父の期待に応えられない自分が歯がゆい。


(もしかしてベアよりも俺のほうが伯父さんのことを知っているのかもしれねーな…伯母さんの事をまだ愛している、とか…)


「おい、伯父さんは寝てるんだから静かにしろ!」


 エリクはベアトリクスの腕を取り、寝室を出て隣室の椅子に座らせた。その隣にはなぜかヴァルデマーが座っている。また帰ってこなくなるのではと心配でスタツホルメン公国まで付いてきたのだ。もちろん隣にクローディアスもいる。


(おいおい、この殿下ってば過保護かよ?国を放ったらかして来ちゃってるし…)


「もう!大した怪我じゃなかったんだからいいではないですか。もっと大変な怪我なのかと急いで帰って来ましたのに…申し訳ありませぬ」


 ベアトリクスは王子とクローディアスに謝意を伝えた。


「悪りーな、ベア。最初に出た刺されて重症という誤報に動転したオーラヴがエリクの為に伝令を飛ばしたんだ。さすがオーラヴ、仕事がはえーな。それにいい機会でもある」


 エリクの父であるホルムイェル・ヤールは、そばで申し訳なさそうに大きな身体を小さくしているオーラヴの肩をよくやったとばかりに叩いた。ベアトリクスは伯父が誰かを叱っているところを見たことがない。乱暴な言葉でかばったり勇気づけたりする姿ばかりだ。


「いい機会?伯父様はなにをなさるおつもりですか?」


 尊敬が多分に混じった昔の恋心を少し思い出してしんみりしながらも、ベアトリクスは聞き逃さなかった。重要なことを伯父はあっさりと言う癖があるのだ。


「ち、父上!まさか領主会を開くのですか?伯父上に聞かずに勝手に決めたら…」

「まあまあ、エリクよ。前々から言ってたが、ビルイェルの野郎はお前に力が付くのを待って跡を継がせようとしてる。でもな、俺は難しいと思ってる。おまえは公主の器じゃねーって自分でわかるだろ?」

「…」


 エリクは悔し気に顔を歪め、手を痛いくらいに握り込んだ。オーラヴは心配そうにエリクを見やった。


(そんなこと自分が一番知っている!)


「伯父様、確かにエリクには華々しい戦績がありません。しかし、治国や作戦、後方支援、他国とのやりとりで秀でているのはご存じでしょう?これからは力こぶしだけでは上に立てないとわたくしは思います。それは父も同じ気持ちだと」


 エリクの援護をしようと、ベアトリクスは立ち上がって静かに述べたが、どうしても兄贔屓の熱が入ってしまう。どこまでいってもエリクは頼れる兄なのだ。そして、伯父は息子であるエリクの能力を過小評価してると常々思っていた、とはっきり言った。

 しかし今までにない姪の反撃にどこか喜んでいるような表情でホルムイェルは諭した。


「おまえの気持ちはわかる。しかし、公国の人間は…カリスマ性があるおまえが国をひっぱっていくのを望んでいる。わかるだろ、エリク?オーラヴも」


 二人が俯くのと同時に、ヴァルデマーは話の流れの不穏さに思わず立ち上がりそうになって留まった。ここで口を出すわけにはいかない。しかし、黙っているのが苦しくて仕方なかった。

 まさかだが、新年の領主の集まりでベアトリクスが次期公主などに決まってしまったら、デーン王国に帰ってこれなくなるかもしれないのだ。

 どこに出かけてもベアトリクスの周りには人が集まってくる。老若男女問わずだ。それくらいベアトリクスは公国では人気があり、それを前回の滞在で目の当たりにしているヴァルデマーは気が気じゃない。

 二人には実質的に夫婦関係はなく、子供ももちろんいない。その上貴賤結婚と言われているおかげで両国民はベアトリクスが公国にあと3か月もすれば離縁して帰国すると思っている。


「わたくし、ですか?それは…」


 昔のベアトリクスであればエリクの補佐として統治に携わるか、最悪の場合はパートナーとなり共同で公主となり彼を盛り立てていくと言っていただろう。しかし、ヴァルデマーの気持ちを受け入れた今となっては、そう簡単には答えられなかった。

 口を濁してヴァルデマーを見たベアトリクスだが、それを見たホルムイェルは眼光鋭くヴァルデマーを睨みつけた。特大の石臼を頭に乗せられているような圧迫を感じながらもヴァルデマーは睨み返した。


「っ…では発言させてもらう。俺はベアトリクスを愛しているから離縁はしない。彼女を妻としてこれから先もずっとデーン王国を統治することを約束する。ふがいない王子だが、そこは絶対に外せないのをわかってもらいたい」


(おおお!マジか、殿下ってば親父に押されて宣言したよ…これはベアトリクスを泣かせたら八つ裂きにされるんじゃ…)


「よく言ったな、殿下!では俺の大切な姪を泣かせたときは命の覚悟をしてもらわねーとな」


 ホルムイェルの鬼の形相は一転し、急に優しい熊さんのようになってヴァルデマーの肩を抱いた。


「よーし、じゃあこれから酒でも飲んでこれからのことを相談しようじゃねーか!」

「わかった」


 言いなりになっている王子を尻目に、エリクは目を剥いた。


(この場面で酒?マジで親父ってば意味わかんねーよ!っていうか、親父とヴァルデマーが並んでると正反対過ぎて笑えるな。両方を好きになったベアトリクスの趣味って…謎だ)


「親父、酒なんて飲まないでちゃんと話し合ったほうが…」「そうですよ、ホルムイェル様ぁ」


 情けない様子で言うエリクとオーラヴを後に、肩を組んだ二人とベアトリクスは居間で宴会の準備にとりかかった。

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