第14話 襲撃

(来ましたわね。5人…いや、6人…)


 ベアトリクスは自室にいると見せかける為に狭く暗い通路からヴァルデマーの部屋にやってきていた。窓の外は真っ暗で、すでに最終の就寝の鐘がなってからずいぶんたっている。

 彼女はいつもの扉の側で廊下の気配を伺った。

 服の下に防刃の胸当てを着ているので少し不機嫌だ。動きにくいがエリクがあまりにうるさかったので仕方ない。髪はいつもの朱い紐で縛っている。


 隣室にはクローディアスと兵士10人が息をひそめていた。

 こちらにひたひたと足音が向かう廊下の気配に気が付いたベアトリクスは、就寝中のヴァルデマー王子の寝台に忍び足で向かい、耳元で囁いた。


「殿下、ご避難下さい」


「…来たか」


 王子は枕元の剣を手にして寝台から降りた。ベアトリクスは王子を暖炉の避難路に誘導しようとしたが、なぜか王子は扉を凝視している。

 彼は寝間着、戦闘できるような服装ではない。


「殿下、こちらから…」


「嫌だ」


 嫌な予感がしたが、きっぱりとした拒否にベアトリクスはめまいがした。

 彼を守りながら暗殺者たちと戦えるほど強くないと自覚している。ましてや何人いるのか正確にわからない。

 彼女は瞬時に頭を切り替え、手近の布を丸めて王子のベッドに入れ人型に偽装した。

 王子は彼女の冷静さを目の当たりにして感心した。


「時間がありません。今すぐ避難して下さい!」


 ベアトリクスが少し声を荒げると、ヴァルデマーは、


「嫌だ。俺の為に戦う者たちを置いて逃げれば俺は王になる資格がなくなる」


と彼女を真っすぐ見据えて答えた。その返答は予定外で、ベアトリクスは彼を見損なっていたと感じた。


(これは説得は無理ですね。危険ですが仕方ないわ…)


「わかりました。では隣室に…」


 そう言っているうちに廊下につながる唯一のドアが開けられる気配がした。すうっと違う空気の層が寝室に流れ込んでくる。王子を隣室に移動させる時間はなさそうだった。


「ではそちらの長いカーテンの影にお隠れになって下さい。絶対に、絶対に出られませんように。これだけは守っていただかないと後で酷くお仕置き致しますから!」


「ベアトリクスのお仕置きか…それは興味あるな」


 ヴァルデマーは城正面の広場が一望できる窓の床まである分厚いカーテンの中に素早く隠れた。それを確認してベアトリクスはベッドのそばの柱の陰に潜り込む。


 すぐに寝室にフードを目深にかぶった6人の男たちが音もなく侵入してきた。一際短躯な男は寝台のそばに立つと、剣で人らしき山を深く柄の部分まで刺し貫いた。

 手ごたえがない為フードを降ろして布団をめくったのは、彼女の予想通りダグであった。かぶれて腫れたような分厚い唇は見間違えようがない。


「王子を探すだ」


 ダグが鋭く5人に指示を出したその瞬間、ベアトリクスは手持ちの短剣を投げて寝台の上の灯りを吊るコードを切った。重量級の燭台は勢いよく彼らの2人の上に落下し、その激しい音を合図に隣室から兵士を率いるクローディアスが飛び出してきた。

 廊下からは公国の戦士たちがなだれ込む。


「捕えろ!一匹も逃すな!!」


 平時のクローディアスからは想像も出来ない怒号を耳にしながら、ベアトリクスは燭台を身軽によけたダグに対峙した。手には先ほどベッドを刺し貫いた剣が握られている。修道僧の割にはよく使い込まれているのを見てベアトリクスは思わず笑ってしまった。


(とんだ僧ですわね)


 その表情を見てダグはバカにされたと思い怒り狂った。


「王子はどこだ?素直に教えたら異教徒でも天国に行かせてやるだ」


「天国ですって?そんなバカな誘い文句に乗るのは愚か者だけですわ!」


「…ぐうっ!慈悲心から天の国へ行くチャンスを提示してやったというのに…恩知らずな異教徒め、死ぬですだ!」


 ベアトリクスは向かってくるダグの振り下ろした剣をくぐり、彼の脇腹にウルフバートを走らせた。分厚い脂肪を切り裂く感触がウルフバートから直に伝わる。命を取らぬよう内臓に傷をつけない。


(殺すのは簡単ですが、死なない程度とは難しいですわね。まあ、1日生きてたら拷問には十分でしょう)


「ぐおっ!おいらを傷つけると神の怒りが…」


「申し訳ございません、わたくしの神は伯父様ですのよ。それに、殿下の命を狙った者をすぐには殺しませんわ。死んだ方がましだとは思うかもしれませんが…」


 ベアトリクスはダグが逃げないよう彼の剣を取り上げて右太ももを床に縫い付けた。つまりはももを刺し貫いて床まで深く刺した。

 豚の断末魔のような絶叫が部屋にこだました。ダグは異教徒をなぶり殺すのは得意だが、自分の傷には弱いようだ。


「ベアトリクス様っ!」


 ダグを傷付けられて怒り狂った狂信者が剣を振りかざしているのに気付いた彼女は、ウルフバートで剣先をいなしてそのまま暗殺者の手首を切り裂いた。

 勢いで骨まで断たれごとりと剣を握った手首が床に落ちる。男は自分の血が飛び散るのを見て「ヒィッ!」と小さく叫んだ。

 返り血が顔に付着したが彼女はものともしない。


「あぁ…なんてこと!王子の部屋が酷く汚れてしまいました…考えが及びませんでしたわ」


 不本意そうに床の汚れを気にする血まみれのベアトリクスを見て、ヴァルデマーは彼女とは生きてきた世界が違うのだと実感してぞくっとした。彼はまだ人を殺したことがない。

 王子はカーテンから出てベアトリクスに声をかけた。


「汚れなど気にするな。終わったか」


 すでに暗殺者6人は床に転がって縄に縛られていたり、燭台の下敷きになって動けなくなっている。


「そのようですわ…ではクローディアス様、後はよろしくお願いいたします。このダグという僧が中心人物の一人かと」


 クローディアスはベアトリクスに足を貫かれた短躯の男を見下ろした。両手をだらりと垂らし、分厚い唇をわななかせ、端からはよだれを垂らしながらうめいている。やっと輝かしくない自分の未来を実感できたようだ。


(ベアトリクス様にかかれば聖職者にも容赦ない。同じハリス教徒としては複雑な気持ちだな。これが陛下が彼ら公国の者に頼った理由…)


「了解致しました。殿下とベアトリクス様は陛下にご報告下さいませ」


「…わかった」「わかりましたわ」


 血なまぐさい空気から逃れようとさっさと部屋を出るヴァルデマーの後に付き、ベアトリクスが廊下に出た瞬間だった。廊下の柱の陰から長身の男が刀を振り上げて襲い掛かって来た。


「…死ねっ!」


 二人の間にさっとベアトリクスが飛び込み、長身の男の剣をウルフバートで受け止めた。フードがはだけて残虐な目が見える。グンナルだった。


「忌まわしい邪教徒め、地獄へ行け!」


「あなたがです」


 意外なグンナルの力の強さに負けてベアトリクスは剣をいなしきれない。押し合っていたらグンナルは口角を急に上げた。


「…っ」


 彼は左手を懐に入れ、短剣を取り出してベアトリクスに切りつけた。とっさに彼女が半身をずらした。グンナルが狙ったのは首の頸動脈だったが、彼女はとっさに半身をずらしたので肩口の下から鮮血が飛び散った。


「くそっ!」

「べ…ベアっ!」


 彼女の背にいたヴァルデマーは目前の信じたくない出来事に対応出来ず、足の力が抜けて膝をぐらつかせた。グンナルはチャンスを見逃さず、すぐさま右手の長剣で王子に切りかかった。


「永遠に地獄で苦しめ」

「させませんっ…!」


 傷つきながらもヴァルデマーをかばおうとするベアトリクスをグンナルが力任せに押しのけると同時に、グンナルの胸から剣の切っ先が王子の目前に現れた。

 彼の吐いた黒い血がヴァルデマーにかかる。その背後からぬらりとエリクが現れた。長剣でグンナルの肺を刺し貫いたのだ。


「ベア、大丈夫か!」


 エリクはグンナルの身体からクレイモアを音をたてて引き抜くと、ヴァルデマーには目もくれずベアトリクスにすがりついた。

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