第21話 手

「伯父殿は歴戦の勇者と聞いている」


「そうですわ。何度かご一緒させて頂きましたが、伯父は味方を守って鬼神のように戦いますのよ。戦いの中返り血を浴びた雄々しいお姿はそれは素晴らしいのです」


 ダンスをしながらベアトリクスはヴァルデマーに伯父の事を聞かれ、浮かれて話した。公国の為に力を行使するものが尊敬の対象となるのだ。


「そうか…」


 ダンスで疲れたのか気が塞いでいる様子の王子をベアトリクスは気遣った。


「殿下はお疲れのご様子。お部屋にお戻りになられますか?」


 少し離れたテーブルに控えるクローディアスに彼女が目をやると、意を得た彼は公主であるベアトリクスの父に退出の挨拶をしに場を離れた。両脇に侍らせていた令嬢が見るからにがっかりしているのを見て、ベアトリクスはクスリと笑った。


(どうもこの主従は似たもの同士のようですわ。ヴァルデマー殿下にいい方を見つけましたら、次はクローディアス様ですわね…)


「しかしベアトリクスはまだここにいたいだろう?」


「わたくしにお気遣いなく、殿下。お部屋までお送り致しまして、殿下がお休みになられてからも宴会が続いていたら戻ってまいりますわ」


「戻るのか…」


(異国で心細いのかしら…?まあいいですわ、久しぶりに皆と話せるのは今夜だけですが、また2年程で戻ることですし…)


「…では今夜は共に退出致しましょう。夫婦、ですものね」


 ベアトリクスの言い方は寂しそうに見えたが、王子は彼女が宴会に戻らないと聞いてホッとした。人気者の彼女が他の男性と踊ったり一緒にいるだけで苦しかったのだ。


「気を遣わせてすまない…」


「いえ、大丈夫です」


 二人の前にクローディアスが現れたので、三人は会場から姿を消した。女性の注目の的である美貌の黒い王子と、公国民の愛情を一身に受ける狼公女がいなくなり、会場の熱気が一気に下がった。




「殿下がお休みになられるまでこちらにおります、ご安心下さいませ」


「…そなたは寝ないのか?」


 貴賓室の3人は寝られる大きなベッドからかなり離れたソファに座ろうとするベアトリクスに、ヴァルデマーは質問した。


「もちろん寝ますわ。部屋の外にも衛兵がおりますので」


 くたくただが、実際は公国で殿下になにかあったら大事なので眠るつもりはなかった。ソファに座って本を開いた途端に王子が口を開いた。


「少し、話せるか?」


「はい…?もちろんですわ」


 ベアトリクスがベッドの側に寄ると、ヴァルデマーは端にいざって彼女に座るよう促した。


「…折角の里帰りを邪魔してすまなかった。楽しそうにしているそなたを見て後悔しているところだ」


「陛下の命令ですもの、仕方ございませんわ。お気になさらないで下さい」


 ヴァルデマーは黒髪をぐしゃぐしゃと掻いてから、そっぽを向いた。


「違う。そなたがいないと…」


「と?」


 蚊の鳴くような王子の声を聞き取ろうとベアトリクスはヴァルデマーににじり寄った。


「眠れなっ…っ!」


 振り向いたらすぐそばに彼女がいたので、驚いてヴァルデマーは飛びのいた。その拍子にベッドから落ちそうになった王子の腕をベアトリクスが掴んでベッドの上に軽々と引っ張り上げた。


「大丈夫ですか?強く握ってしまいました」


「す…すまぬ」


「不安で眠れなかったのですね…早く言ってくだされば帰国しましたのに。わかりました、不安な夜は護衛致しますのでおっしゃって下さいませ。御心配はごもっともでございますわ」


 王子はベアトリクスが里帰りしていると淋しくて眠れない、と言ったつもりだったのだが、ベアトリクスはまた襲撃があるかもしれない不安から眠れないのだと理解した。


(そうだったの…殿下ってば遠慮されていたのですね)


 その時王子がベアトリクスの手を持ち上げて自分の頬に当てた。


「ひゃっ!」


「す、すまない…つい触ってしまった…」


 ベアトリクスは驚きのあまりにヴァルデマーの手を振り払った。王子は慌ててすぐに謝まる。


「いえ、こちらこそ…」


「いや、俺が悪い…」


(殿下ってばお母様が恋しいのかしら?いつまでも男性は母親が大好きだと聞いたことがあります)


「心構えがありましたら大丈夫ですわ。どうぞ」


 ベアトリクスがとばかりに手を王子に伸ばすと、彼はおずおずと手に取った。美しく整った頬や額、頭に当てたりしている。

 

(こ、こそぐったいんですけどっ…いえ、我慢よ、我慢!!戦に比べたらこんなくらいなんてことないですわ!)


 彼女は冷静になるべく以前遭遇した海賊との戦いを思い描き、体内から溢れ出る恥ずかしさに耐えた。


「…柔らかい…ベアトリクスの手はとても優しくて…」


「…?」


 きょとんと首をかしげたベアトリクスを見て、王子は慌てた。


「すまん。なぜだろうな、昨日そなたから『母親と話していた』と聞いてからやたらと母を思い出すのだ」


「(やはり)そうでしたか…」


 懐かし気にベアトリクスの手を使う愛くるしい王子に一気に恋情と憐憫と何かわからないものが溢れてきて叫びたくなるのを彼女は耐えた。


(キャーー------ッ!なっ、何ですのっ、この愛らしい生き物はっ!もう耐えられないですわっ…普段の言動と目の前のギャップにやられています!特に計算でないのにも参ります。そうですわ、殿下のことを『天然』ってエリクが言っているのを聞きましたが…これがそうですのねっ!)


「で、殿下…わたくしの手などいくらでも使って頂いてかまわないのですが、もうそろそろお眠りにならないと」


「そ、そうか。気が付かず済まなかった…ありがとう」


 名残惜しそうに彼女の手を離す様子に、ベアトリクスは複雑な気持ちになった。


(手を触られていると心臓が酷く鳴ってうるさいけど、離されると心臓が痛くなって寂しく感じてしまう。これが『恋』…)


「いえ、わたくしの手などが殿下のお役に立てば幸いです。さ、お疲れですしお休みになって下さいませ。わたくしはそちらで控えておりますのでご安心し下さい」


 ベッドの中央に寝かせて布団をかぶせた王子が子供のように頷くのを見、密かに胸をときめかせた。

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