第20話 伯父と姪

「あーあ、伯父様ったら『断って後悔している』くらい言って下さいませ!がっかりですわ!!」


「まあまあ、そう怒るな。しかしずいぶんと…元気になったじゃあないか?」



 早朝に森のロッジを出発し、夕方にはヴァルデマー王子とクローディアス、ベアトリクスとエリクはヤール家の水城、カルマル城に到着した。皆が馬なので速い。

 四人はビルイェル・ヤール公主に帰還の挨拶をし、次の日の夜にパーティーが催された。もちろんデーン王国の王子の歓迎の意を込めたものだ。

 そのパーティーの主役である王子とベアトリクスは最初に一度踊ったきりで、次々と目の前に現れてダンスを申し込む老若男女をさばいていた。

 

 お気に入りだった深紅のドレスをまとうベアトリクスは、伯父ホルムイェルと踊るころには疲れていた。父である公主、エリク、クローディアスだけでなく、親せき、貴族など久しぶりにベアトリクスと踊りたい者がまだ列をなしている。


「まあ、からかっているのですか?もう伯父様とは金輪際踊ってあげませんことよ」


「怒るなってば。そういやおまえの『殿下』も大人気だな」


「…そのようですわね。洗練されていらっしゃいますし、殿下はお顔が宜しいですから…」


 ベアトリクスは、着飾った令嬢と踊る上から下まで真っ黒の衣装のヴァルデマーにちらりと目をやった。


(…デーンに帰ったら殿下に身分も心根もぴったりの素敵な女性をお選び致しましょう。そうね、殿下のお母様のようにおしとやかで美しい女性が良いわ…)


「ほう!そうか、おまえもとうとう恋をしたか!いや、良かった良かった!!俺みたいな年寄りに言い寄ったりして心配してたんだぞ。意外と面食いなのな、おまえ…」


 王子が他の令嬢と踊っているのを見て眉間に小さな皺を寄せたベアトリクスに軽口を叩いたホルムイェルは、思い切り足を踏まれた。


「いって!」


 それほど痛そうでないのが憎らしくてベアトリクスはきっと睨んだ。


「伯父様ってば本当におバカですのね。殿下は政略結婚のお相手ですのよ?恋などするわけが…」


「でもな、おまえカルマル城ここに帰って来てずっと塞いでたくせに、殿下が迎えに来た途端元気になっちゃってさ。なんてわかりやすい…狼公女も可愛いところがある…うおっ」


 ベアトリクスが伯父の手をぐいっと引っ張り、部屋を出て以前プロポーズした砦に連れ出した。


「おいおい、どうした…また俺に告白でもすんじゃねーだろうな?りぃがまた断るぞ」


「伯父様、何をおバカを言っているのです。わたくしたちは夫婦ではありません、期間が3年の偽装結婚です。正式な婚姻の申し出以前からクリストファ王からの内密なお申し出があり、わたくしがデーンで3年殿下を守れば未来50年は公国への不可侵をお約束です。態のいい傭兵ですわ。これは父にも申し上げておりません。知っているのはエリクだけです。わたくしと陛下とのお約束を知らない殿下ですが、わたくしの母の身分が低いという理由で結婚を拒否されております」


「なっ…なんだとーー---っ?」


 エリクやベアトリクスの父と違い完全なる武人であるホルムイェルは顔を怒りで歪め、いきなり砦の壁に八つ当たりをして拳をめり込ませた。ぱらぱらと砂がこぼれる音が夜に響く。

 彼は政略結婚であろうともベアトリクスならば幸せをつかみ取ると信じていたのだ。


「俺がそれを知って王子を許せると思うのか?」


「伯父様、これは婚姻前から密かに陛下よりわたくしだけに提示されていた取引です。公国に有利だと思うからこそ喜んで受けました。しかし…父には…言えませぬ」


「そうだろうな、あいつきっとショックで倒れるぞ…おまえも可哀そうに」


 ベアトリクスの頭を大きな手が覆い、髪形が崩れない程度にゆっくりと動いた。


「まあ!わたくしの頭を撫でるのは止めて下さいませ。もう子供ではないのです」


 可愛らしく睨む姪っ子を密かに憐れんだホルムイェルは、大きくため息をついた。幼い頃に母を亡くした姪にはどうしても幸せになって欲しかった。

 そのようなことなら自分から陛下に話しに行くので公国にこのままいてはどうかと言おうとした時、


「ベアトリクス!ここにいたのか」


と声をかけられた。

 ホルムイェルは噂の当事者である憎っくきヴァルデマーの様子に驚いた。明らかに嫉妬に燃えた深緑色の目をしたその男は、ホルムイェルからベアトリクスを引き離すように腕を引っ張って自分の側に引き寄せた。そしてホルムイェルに挑むような表情を見せた。


(な、なんだ、この小僧!睨むくらいなら俺たちのベアを幸せにしてみせろ!!…っていうか、おまえら両想いなの?意味が分からん…ええぃっ)


 ホルムイェルはぐしゃぐしゃと自分の赤毛を豪快に掻きまわして気を落ち着けた。


「殿下…奥様を占領して申し訳ございません。さ、ベア、殿下と踊っておいで」


「…はい、伯父様」


「ホルムイェル殿、失礼した」


 王子は冷たく言い放って会場に向かった。

 いつもと違って少ししおらしく、でも跳ねるような嬉しさを滲ませて殿下の後を付いていくベアトリクスの後姿を見ていたが、急に彼女はくるりと振り返ってホルムイェルに走り寄って来た。


「伯父様、絶対に先ほどのお話はナイショですよ。お父様が憤死しちゃう…」


 耳元でこしょこしょとささやく彼女は幼い頃と変わらない。愛らしく、一族と公国を命より大事にする少女のままだ。


「わかった。おまえのウルフバートに誓おう」


「ありがとう、伯父様」


 彼女はチュっと音を立ててホルムイェルの頬にキスし、また跳ねるように王子の元に走っていった。王子の顔が酷く歪んでいるのが遠目にもわかる。


(うーむ、やはりヴァルデマー殿下は…しかしベアトリクスは全くわかってないようだな。エリクの気持ちにも全く気が付かなかったし、鈍感なのは親譲りか)


 ホルムイェルはベアトリクスの父親がフェンニー族のノルゲからのラブコールに気が付かず、業を煮やした自分が色々とお膳立てをして結婚させたのを懐かしく思い出した。その時に協力してくれたのはノルゲの妹だった。フェンニー族最強と誉れの高い彼女とホルムイェルはそれがきっかけで恋に落ち、再婚したのだ。


「ノルゲ…おまえの娘は愛した方に愛される立派な娘に育っているよ。父親に似て頭はいいが恋愛が苦手そうだな」


 夜空はどこまでも澄んでおり、彼は亡き妻とその姉のが返事をするように煌めくのを見つめた。

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